GRIPS Development Forum |
日本語版メインページ(詳細版):
PRSPの多様化 |
PDFバージョンはこちら (96KB) |
PRSPの多様化 Diversifying PRSP ―成長志向型貧困削減のモデルとしてのベトナム The Vietnamese Model for Growth-Oriented Poverty Reduction 以下の文章は、PRSP策定において政府が強いオーナーシップを発揮し、(1)既存の長期的・包括的な開発ビジョンに基づき、(2)「成長への配慮」を含み持続的成長と貧困削減のバランスに留意した、ベトナムの経験を世界の開発援助関係者に発信することを目的として作成したものである。GRIPS開発フォーラムは、この基本メッセージを伝えるメインぺージを中心に、関連データ、文献などをリンクし、英文WEB(「情報モジュール」)として将来にわたり対外発信に使用していく。この情報モジュールは、「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(World Summit on Sustainable Development: WSSD)におけるサイドイベント・ワークショップ(ヨハネスブルグ、2002年8月30日、9月1日)のための参考情報として準備された。この会議後も関係者からのコメントや新たな展開などを踏まえ、随時、改訂していく予定である。幅広くコメントを頂ければ幸いである(英語版がオリジナル、日本語版は日本人コメント用)。 |
|||||||||||||||||||||
貧困削減を基調とする近年の開発動向のなかで、国連ミレニアム開発目標(MDGs)や世界銀行が主導する貧困削減戦略書(PRSP)が、貧困国の開発戦略に大きな影響を及ぼしつつある。ただし貧困をめぐる様相は各国ごとに異なるから、それに対処するための政策手段や制度構築はそれぞれにオーダーメイドされなければならない。そのバリエーションと各途上国のマッチングについては十分議論が尽くされてきたとはいえない。貧困削減は本格的な実施過程に入りつつあるが、崇高な数値目標を現地の実情にあった現実的・具体的政策に翻訳するには、さらなる知的インプットが早急に要求されている。 以下、われわれは、貧困国を(1)ドナーとの関係、(2)既存の開発計画の有無・成熟度、(3)貧困の原因、の3つの観点から分類した上で、これらの相違がPRSPの策定・実施にどのように反映されるべきかを考察する。そして、各途上国における既存の開発計画との関係や貧困問題の様相も考慮して、PRSPの内容・形式や策定手続きをより柔軟にする必要性について問題提起を行う。 またベトナムの包括的貧困削減・成長戦略書(Comprehensive Poverty Reduction and Growth Strategy: ベトナム版PRSP)を紹介し、この実例が途上国側の強い自立性および成長志向という点で際立っており、PRSPの1つの模範となりうることを示唆する。ベトナムのPRSPは、アジアダイナミズムという同国が置かれた地理的・歴史的環境に強く影響されているが、「貿易と投資を通じた成長、およびその結果としての貧困削減」という開発戦略は、東アジアのみならず、他地域においても有効であるとわれわれは信ずる。 経済協力も受入れ国の個性に適した内容をもたねばならないのであり、そのような成長志向の強い開発戦略をとる国に対しては、インフラ整備、人材育成、技術移転、産業研究などがきわめて効果的である。 |
|||||||||||||||||||||
1990年代末以降、貧困削減という目標が世界の開発援助を強く支配するようになった。 |
|||||||||||||||||||||
PRSPとは? 貧困削減に向けた新アプローチの柱が「貧困削減戦略書(Poverty Reduction Strategy Paper: PRSP)」である。世界銀行の提唱による「貧困削減戦略書(PRSP)」は、途上国の主体性(オーナーシップ)のもとで、多様な開発アクターが参画(パートナーシップ)して作成される、3年にわたる経済社会開発計画である。1999年に導入された当初のPRSPは、特定の重債務貧困国(HIPCs)に対し「拡大HIPCイニシャティブ」を適用する際、債務削減で浮いた資金が貧困削減に向かうことを担保するツールであった。しかし、その後すべてのIDA融資対象国にも作成が義務づけられることになった。 現在世銀は、PRSPに基づいて国別援助戦略を作成する方針を打ち出し、IDA資金へのアクセスと途上国の貧困削減努力のリンクを強めている。貧困国に対しては、PRSPに基づく開発予算配分、分野別・事業別プライオリティ、個別案件の選定、効果測定を提唱している。また他ドナーに対しても、PRSPに基づく援助協調への参加を推奨している。かくしてPRSPは、すべての開発アクターを巻き込む協力枠組みとして、貧困国の開発政策に大きな影響を及ぼしつつある。 現在、80カ国がIDA融資対象国であり、そのうち76カ国がIDAから何らかの形の支援を受けている(融資あるいは他の形態)(世銀データ、2002年7月)。2002年6月時点で、作業の初期段階の国も含め、60カ国余がPRSP策定に取り組んでいる。そのうち、アフリカ12カ国、中南米4カ国を含む18カ国が最終版PRSPを完成し、IMF・世銀理事会によるレビューを終えている[世銀 2002b]。暫定版PRSPを作成済の国は44カ国にのぼり、その半数以上がアフリカである。また、2002年5月下旬には、アジア初の例としてベトナムが最終版PRSPを完成し、6月末〜7月初旬にかけてIMF・世銀理事会によるレビューが実施された。 PRSP導入が2年を経たことをうけて、IMFと世銀(IDA)はPRSP中間レビューを実施し、2002年4月の世銀・IMF合同開発委員会に最終報告書を提出した。また、本レビューの一環として、2002年1月には世銀イニシャティブでワシントンDCにおいて途上国政府、援助国政府・機関、シンクタンク、NGOを含む多様な開発パートナーを招いた包括的レビュー会合が開催された。報告書では、PRSPの有効性については開発パートナーの間で広い合意があり、今後ともPRSPを世銀・IMFの基本戦略とすることが謳われている。同時に、これまでの教訓や留意点を整理し、柔軟性をもって各国の個別事情を考慮したアプローチを採択すべきことも指摘している[IDA/IMF 2002a]。 |
|||||||||||||||||||||
2000年のミレニアムサミットでの合意をうけて、2001年9月の国連総会で貧困削減に対する国際的決意として、2015年までの絶対貧困半減などを含む「国連ミレニアム開発目標」(UN Millennium Development Goals: MDGs)が発表された。また、2001年9月11日以降は「貧困削減はテロ対策」との認識が強まり、貧困削減のための国際援助熱が高まっている。この雰囲気の中で、2002年3月にメキシコのモンテレイで開催された国連開発資金会議では、MDGs達成のための援助増額、債務削減、途上国の貿易・投資の促進にむけた途上国と先進国間のパートナーシップ強化を謳った「モンテレイ合意」が採択された。 こうして、一方でMDGsという開発目標が採択され、他方で戦略策定の手続きとしてPRSPが確立された。なお世銀エコノミストは、MDGsの達成には今後15年間に年あたり400〜700億ドルの追加的な資金援助が必要と試算している[Devarajan et al. 2002]。 |
|||||||||||||||||||||
日本の開発援助関係者の多くは、PRSPが重視する途上国のオーナーシップやパートナーシップの基本原則には同意しつつも、実施上の画一性、戦略的内容の不足、ドナー・途上国双方の予算・人材面での負担などについて問題を提起している。とりわけPRSPが、理念レベルでは経済成長と貧困削減の密接な関係を謳いながら、具体的な支援内容や枠組作りにおいては教育、保健、環境、農村インフラなどのpro-poor施策に関心が集中し、経済成長のための充実した議論を欠いている点に懸念を表明している。 たとえば、わが国の開発経済学の権威である石川滋一橋大学名誉教授は、PRSPを「成長促進から貧困削減へのゴールシフトを伴う世銀の新しい途上国援助方式」と位置づけたうえで、それが「予算支出の裏づけをもつaction planレベルでの体系をそなえる提案としてみるにはきわめて不十分」と指摘する。そして、現状のPRSPにはpro-poor支援を偏重する傾向があるが、貧困削減が効果をあげるためには、途上国ごとに貧困発生のメカニズムを深く分析したうえで、(1)貧困層を直接裨益する貧困ターゲット策(pro-poor targets)と、(2)国全体の経済成長を通じての成長促進策(broad-based growth)の適切な組合わせを検討すべきであると述べている[石川2002]1。 |
|||||||||||||||||||||
貧困国はそれぞれに社会的、経済的、政治的条件が異なっている。PRSPを各国の個性に応じて現地化するにあたっては、(1)ドナーとの関係、(2)既存の開発計画の有無、(3)貧困の原因、の3つがとりわけ重要である。 |
|||||||||||||||||||||
ドナーとの関係 PRSPのありようを決める第1の要因は、途上国がドナーとどのような関係をもっているかである。このいかんによって、途上国の主体性とドナーの力関係、さらにはその国におけるPRSPの位置づけがかわってくる。具体的には次のような状況が想定される。 第1に、債務救済との直接的リンクの有無。アフリカや中南米の最貧国にとっては、PRSP作成は「拡大HIPCイニシャティブ」適用の条件であり、またドナーにとっても援助資金管理、成果確認の重要なツールである(図1参照)。他方、ベトナムを含む東アジア途上国の場合、「拡大HIPCイニシャティブ」による債務削減は意図されておらず、PRSP作成はIDA融資へのアクセスという、より弱い動機にもとづくものである。 第2に、援助依存度と主要ドナーの構成。たとえば、ベトナムの援助依存度はアフリカ・中南米地域の最貧国に比べ、相対的に低い(図2参照)。援助依存度が高いほど、ドナーからの圧力が高まるのは当然である2。また貧困国からみた主要ドナーは、アフリカでは世銀(IDA)と欧州、中南米では世銀(IDA)とIDBの比率が高いのに対し、東アジアでは日本、世銀、ADBからの援助が多い。主たるドナーの個性が援助政策に反映されることになる。 第3に、主要ドナー構成の相違は援助形態にも影響を及ぼす。ベトナムの場合には譲許的融資がODA資金の約3分の2を占めるのに対し、アフリカではグラントが大半(約7割)であり、中南米はその中間である(図3参照)。これらの相違は、援助モダリティの調和化を議論する際にも重要となる。
|
|||||||||||||||||||||
既存の国家開発計画が存在するか否か、その内容がどれだけ成熟しており実質的に予算・公共投資などを支配しているかは、外来のPRSPがどのように受容されるかを左右する。これは、途上国のオーナーシップに深く関わる問題であり、またIMF・世銀のPRSP中間レビューで指摘された「既存の政策決定プロセスとの整合性」とも関連する点である。途上国の開発計画とPRSPの関係は複雑であるが、ここでは議論の簡単のために以下の2パターンを提示しておく。 ●補完型 PRSP as a supplementary document ベトナムでは「10ヵ年戦略」と「5ヵ年計画」が国家開発計画の基本文書である。これらは関係省庁や共産党により検討・議論され、党大会での審議をへて採択された。ゆえにこの2文書は、法的位置づけやaccountabilityの点で他の文書より断然上位にあり、これらを踏まえて各種セクター計画が作られ、公共投資計画や毎年の予算配分が決定される。この枠組みのもとでは、PRSPは「他の文書」の一つにすぎず、PRSPが独占的に予算をしばることはありえない。PRSPは、貧困削減および参加型プロセスの促進という観点から、既存の国家開発計画を補完する有効なツールではあるが、その役割は国家政策の一部への貢献に限定されている。PRSPは開発ビジョンを総括するものとは意図されていない。 ●優先型 PRSP as a primary document これは、既存の国家開発計画とPRSPが並存するものの、新たに導入されたPRSPが予算面や法的面で実質的に国家開発計画を吸収し、前者より大きな影響力をもつ場合である。たとえば、タンザニアの場合には、長期の国家開発ビジョン(Vision 2025)や貧困削減に関する個別戦略(National Poverty Eradication Strategy 2010 (NPES))は存在するが、これらの文書は象徴的役割をもつにすぎず、予算プロセスや政策面への実質的影響はない。ウガンダでは長期の国家開発ビジョン(Vision 2025)が以前から存在し、PRSPはその中の貧困撲滅行動計画(Poverty Eradication Action Plan: PEAP)が改訂されたものである。このような違いはあるものの、両国においては、PRSPがセクター計画や中期支出枠組み(Medium-Term Expenditure Framework(MTEF))3にリンクされ、援助協調と計画策定のツールとして中心的役割を果たす。特にMTEFは3年間のローリングプランで、これを通じて全公共支出(投資・経常予算、ドナー資金)の配分が決定される。加えて、ウガンダPRSPには援助手続きへの言及もあり、タンザニアの場合にはPRSP本体ではないが、ドナーの援助手続きの原則を定めたTAS(タンザニア援助戦略)が別途作成されている。開発資金の多くを援助に依存する国にとって、援助手続きは開発事業のデリバリーのあり方を決定的に規定するものである。これらの国では、PRSPを基本文書として、開発資金にかかる数々の実務手続きが構成されている。 なお、「優先型」が進化・発展した場合、将来的に想定しえるパターンとして「独占型」(PRSP as an exclusive document)に言及したい。これは、PRSPがその国の開発計画として公式に宣言されるか、あるいは何らかの理由により国家開発計画が消滅し、PRSPが中心的な計画文書と位置づけられ、政策全般、セクター計画、及び予算算配分に独占的な影響を及ぼす場合である。「優先型」でPRSPが策定された国において、次のサイクルで開発計画およびPRSP策定が並行して行われる時に、このような状況が生じる可能性がある。 ボリビアのPRSPは、文書上では「独占型」にみなされるものの、実際にはPRSPと予算システムのリンクは限定的であり、「優先型」(その中でもリンクは弱い)に分類する方が妥当と思われる。ボリビアPRSPは「国民対話法2000」(PRSPの基本原則や運用手続きを法令化したもの)とともに、地方自治体(市町村)が実施する貧困対策事業を中心に実施体制、資金配分基準などを規定している。しかし、同国ではMTEFは浸透しておらず、PRSPが予算全体に影響を与える仕組みは確立していない4。
以上を比較すると、第1の「補完型」におけるPRSPの貢献は、貧困分析の充実、貧困への横断的対応の強化、多様なステークホールダーを含む参加型プロセスの浸透などを通じて、従来の国家開発計画およびセクター計画を補強することに限定される。この場合、ドナーは既存のシステムを否定・代替しようとするのではなく、むしろそれを支持・尊重する形で支援することが現実的でありかつ望ましい。また支援分野もPRSPの範囲に限定されることなく、開発ビジョン全体に関わる案件、プライオリティが高い事業への支援も積極的に実施すべきであろう。 他方、後者の場合には、PRSPを軸として予算・各種セクター計画・援助受入れに関する手続きが制度化されており、途上国に対する影響は決定的に大きい。この場合は、ドナーはPRSPを通じて計画づくり・予算制度強化などへの支援を行うのがよい。実際にウガンダでは、(独自の努力で策定されたPEAPの改訂版である)PRSPを媒介として、MTEFとの関係も念頭においたキャパシティビルディングが成功しつつある。 PRSPの国際比較については表1を参照されたい。 |
|||||||||||||||||||||
貧困削減という目標は各国に共通でも、貧困国の様相はそれぞれ異なるから、当然ながらその達成手段は各国ごとに異なってこなければならない。一国の中でも貧困の状況は年齢、性別、家族、職業、地域、社会階層などにより異なる。貧困削減が奏効するためには、個別国・個別ケースの貧困の原因に対する深い洞察が不可欠である[石川2002]。 貧困発生の原因は、たとえば次のようなものがあげられよう。
これらは基層社会の失敗、政策の失敗、実施上の失敗などを含んでいる。またそれらは互いにオーバーラップし関連しあっている。一国の貧困は通常、複数の原因から生じていることも容易に想像できる。 重要なことは、貧困の原因が異なれば対策も異なってくるということである。各国ごとにニーズと政策が正しくマッチングされなければ、いくら援助を積み増しても効果は期待しえないのであって、これこそが貧困削減の核心部分とさえいえる。またこれまでのPRSPにおいて、十分な検討がなされてこなかったのもこの側面であった。 社会サービスのデリバリーが問題ならば、その改善に努力を集中するのが賢明である。予算配分上のバイアスや根深い民族格差が問題ならば、政治レベルでのイニシアティブが求められる。経済危機や国際統合が新たな貧困を生み出しているならば、それに対する政策の改善が必要となる。基層社会の根源的な低生産性に対処するには、産業・技術・インフラなどに資源を投下しなければならない。 この点については、UNCTADも2002年6月に発表した報告書において、社会広範に存在する貧困問題への対応として生産性向上が有効であること、そのための貿易・投資のリンクの活性化が不可欠であることを指摘している[UNCTAD2002]。 |
|||||||||||||||||||||
一般論として貧困削減と経済成長が密接な関係にあることは、多くの公式文書で広く認知されているけれども、具体的にその関係がどういうものであるかの国別・ケース別分析はきわめて貧弱な状況にある。貧困削減と経済成長の関係についても、やはり各国の貧困の原因研究に関わる問題として検討されなければならない。 たとえばある国で、社会公正を重視する政策体系がすでに存在し、各村に社会サービスのネットワークがはりめぐらされているならば、外来の貧困削減政策を別途移植する必要はない。足りないのはシステムではなく購買力であるから、民間で所得が高まり、政府の歳入が増加すれば貧困はやがて克服されるであろう。この場合は成長戦略こそが鍵となる。 逆に、過去の経験から、経済成長だけでは取り残される階層が存在することがわかっている国もある。社会公正の原則をねづかせ、あるいは社会サービスを実施面で改善したい国にとっては、有効な貧困削減メカニズムの確立こそが重要である。国内にその基礎がなければ、国際機関が提供する枠組をそのまま、あるいは修正を加えて、政策の根幹にすえることもよいであろう。この場合は、成長戦略に加えてpro-poor政策の効率的な立案・実施が中心的課題となる。 上2つは、議論のために単純化された例である。現実の途上国の貧困の様相は、より複雑であることはいうまでもない。 |
|||||||||||||||||||||
以上の視点を念頭におくと、ベトナムは、1.ドナーへの依存度が相対的に低く、2.家開発計画を基本文書として確立しており、3. 経済成長が不平等を悪化させないための関心と政策手段をすでに有する、という特徴をもつ。(ただし、多くのドナーが指摘するように、効率性など質面で貧困対策事業を改善していく余地はある。)そしてこれがベトナムのPRSPのあり方を強く規定している。すなわち、政府が強いオーナーシップを発揮し、既存の開発ビジョンを変更することなく、成長の視点を前面に押し出したCPRGSが下位文書の一つとして作成されたのである。 しかしながら、計画策定や資金動員におけるCPRGSの役割について、ドナー間で必ずしも見解が一致しているわけではない。CPRGSは基本文書として位置づけられるべきで、公共投資計画やドナー支援を同文書に対応(align)させることが望ましいとの立場をとるドナーも少なくない(世銀、英国、北欧ドナーなど)。こういった役割をめぐる問題を曖昧にしたまま、CPRGSの最終版が作成された(表2参照)。また石川は、貧困削減を唯一の国家目標とすることに強い躊躇を示すベトナム政府高官の発言を報告している[石川2002]。 ベトナムのような性格をもつ貧困国は普遍的とはいえないが、かといって同国だけが例外というわけでもない。東アジアの最貧国の多くは債務救済を意図していないし、彼らの国家開発計画は予算に一定の影響力をもつ。アフリカにおいても、国家開発計画を有する国は少なくない。既存の計画システムに基づき、計画や予算策定の補完的文書としてPRSPを位置づけているベトナムのCPRGS経験を他国・他地域のPRSPへの1つのモデルとして提示することは有意義と思われる。 さらに、ベトナムの事例は、「成熟した開発計画策定システムをもつ国において、定型文書としてのPRSP作成を新たに義務づけるのが本当に必要か」という基本的な問題も提起している。このような国においては、仮にPRSPのもつ性格(の一部)が既存のシステム改善のために有用たりえても、(完全に新たな仕組みを導入するのか、プロセスの一部を変更するのかを含め)その導入方法については、現行の制度を踏まえさまざまなオプションを考慮する余地があろう。 |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
(注) 2002年3月から5月にかけて実施した現地調査結果に基づいて筆者作成。 |
|||||||||||||||||||||
貿易・投資を通ずる東アジアの発展 過去半世紀の途上国の開発経験を振り返ると、持続的成長を通じて貧困削減に成功したグループと、そうでないグループとの二極分化が顕著である。東アジアの多くの国は前者に属する。いくどかの戦乱・停滞・危機を経ながらも、長期的にみると、東アジアが地域全体として所得水準、所得分配および社会的指標においてめざましい改善を示したことは否定できない。 東アジアの際立った特徴は、発展段階の異なる国々が、民間活動によって同地域にはりめぐらされた、ダイナミックな生産ネットワークへの参加を通じて経済成長を遂げてきたことである。そこには貿易・投資を媒介とし、先進国市場をターゲットとする、明確な序列と構造をもった生産分業が存在している。東アジアの途上国にとって、経済発展とはその分業の1つの環に加わり、域内諸国との競争関係と補完関係の中で、改善への圧力を常に市場から受けながら、工業化を低次から高次へと実現していく過程にほかならない。途上国どうしがこうした相互依存関係を形成し、グループとして成長を遂げている地域は、東アジア以外にはみられない5 。 東アジアの成功を分析した世銀の「奇跡」報告は、その原因としてマクロ安定、人材育成、輸出振興、官民協力などを指摘した[世銀1993]。またアジア危機後の世銀の診断は、各国が制度と政策を改善せねば同地域に成長は戻ってこないというものであった[世銀2000]。しかしながら、各国別の政策評価だけでは、この地域のダイナミズムを真に理解しえないであろう。東アジアが地域全体として、キャッチアップのためのモデルと環境を各国に提供してきたという事実を無視することはできない。また、この地域ダイナミズムがどれだけ維持され活性化するかが東アジアの将来を占う鍵であり、それは個別国をこえて、国境を越えた民間活動とそれを補完するための地域協力政策に依存するのである。 日本経済にとって、東アジアは最も重要な途上国地域である。東アジアにとっても、日本は主要な貿易相手国および投資国であり、また日本の多国籍企業は地域生産ネットワークの最大の構築者でもある。これに加えて、東アジアのダイナミズムは、欧米との貿易・投資関係、および華僑・台湾・香港などの中華資本の活動によっても支えられてきた。 日本は東アジアにおける最大の援助国である。その経済協力の特徴は、民間企業を担い手とするこうした経済リンクの補完にある。日本の援助案件の多くは、東アジアの途上国が国際分業体制の中で自国の発展段階にふさわしい地位を獲得し、それを通じて所得のキャッチアップと貧富格差の縮小を実現することを目的としてきた。とりわけインフラ整備、人材育成、産業協力は、途上国が直面するボトルネックを除去し、民間の貿易・直接投資をさらに促進することによって、アジアダイナミズムを補強してきた。これらの案件は多くの場合、途上国および日本の民間ニーズを吸い上げながら形成されてきた。こうしてもたらされる東アジア各国の経済成長や社会安定は、日本自身にも大きな便益をもたらすものであった。 |
|||||||||||||||||||||
ベトナムは、その志向(aspiration)と成長メカニズムにおいて、典型的な東アジア型の後発途上国といってよい。ベトナムの一人当たりGDPは390ドル(2000年、世銀統計)であり、最貧国に属する。同国は地理的には東アジアの中心部に位置しながらも、過去の戦乱と計画経済により、近隣のASEAN諸国に経済面で大きな遅れをとってしまったのである。国内企業の競争力は弱く、市場経済は未発達である。 政治体制や行政機構は比較的安定しており、効率性・腐敗・変化への対応などには課題を残すものの、経済政策の実施主体としての政府は明確に存在している。国家目標としては、成長志向と社会の安定・公正に対する関心がきわめて強い。 ベトナムは1986年よりドイモイと呼ばれる国内自由化を実施した。その後1992年頃から西側諸国・国際機関との積極的な国際統合を開始し、対米外交関係回復(1995)、ASEAN加盟(1995)、APEC加盟(1998)、米越通商協定(2001)などを経て、10年程の比較的短期間に、貿易・投資・援助を通じて世界と深く結びつくようになった。この国内自由化と国際統合の相乗作用により、ベトナム経済は年7〜8%程度の高成長を実現し、社会は大きな変容を遂げつつある。1990〜2015年の25年間に絶対貧困率を半減するというMDGsの最重要目標を、ベトナムはすでに1990年代に達成してしまったのである。 前述のように、ベトナム政府の中長期開発ビジョンを体現する基本文書は、2001年4月の第9回共産党大会で採択された「社会経済開発10ヵ年戦略(2001〜2010年)」および「第7次社会経済開発5ヵ年計画(2001〜2005年)」である(囲み1参照)。これらの文書が掲げる国家目標は、2020年までの「工業化・近代化」実現である。これは、東アジア先行国の経験に沿って直接投資の導入や産業育成を推進し、東アジアの生産ネットワークに参画しようという、ベトナムのキャッチアップ願望を如実に示している。 1991〜2000年にベトナムに流入した直接投資は年平均でGDP比5.4%であった。これは低中所得国の平均(0.9%)を大幅に上回るばかりか、チリ(3.5%)、マレーシア(3.2%)などの中進国に比べても高い水準にある[世銀/ADB/UNDP2000]。多数の途上国が直接投資誘致のために法整備・インフラ整備などに努力する中で、ベトナムのように、国際統合後まもなく直接投資が成長のエンジンとして機能しはじめている国はそれほど多くない。徐々に改善しつつあるとはいえ、ベトナムの投資環境は決して良好ではないことを考えると、この投資流入は、東アジアのダイナミズムに参加しつつある同国の将来への期待によるところが大きいと思われる。 すでに過去10年間のベトナムの工業化は、東アジア先行国と類似のパターンを示しており、輸出構造は原油・米・海産物などの一次産品から縫製衣料・靴履物・電子部品といった加工型製品へと急速にシフトしている。予想しうる国際統合リスクを避けながら、東アジアのダイナミズムをさらに自国にとりこんでいくことは、ベトナムの国家開発戦略の根幹をなす重要課題である。 |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
ベトナム政府は、伝統的に社会公正への配慮を重視してきた。制度的にも、効率性や質・量の問題はあるものの、村落レベルまで社会サービスのネットワークが発達している。ベトナムの社会指標は、識字率(国民15歳以上の93%)や5歳未満の乳幼児死亡率(1000人当たり42)が示すように、同じ発展段階にある途上国より格段に秀でている[1998年データ、世銀2000b]。初等教育予算の26%が最貧層20%に対し支出されているなど、政府の社会支出が所得再分配機能を果たしている[世銀等2000]。また、山岳地少数民族や遠隔地の貧困層などを対象とした貧困対策事業も実施されている。 このような状況でさらに貧困削減を進めるためには、既存の政策・制度の改善に加え、あるいはそれ以上に、経済全体の生産性・競争力を向上させ人々に雇用と所得を与える必要がある。ベトナムにおいては、経済成長と貧困削減の関係は国民にも政府にも明瞭なのである。すでに1990年代を通して貧困層比率が半減したが、これは政策・制度の改善というよりも、経済自由化と国際統合に伴う農業生産性の向上、就業機会の増加、外国資金の流入、貿易の拡大などに多くを負うものであった。 |
|||||||||||||||||||||
従来から援助を続けていたUN機関、スウェーデンなどのドナーに加え、90年代半ばまでには日本、世銀、ADB、フランス、ドイツ、デンマーク、オーストラリア、英国といったドナーが対越援助を本格的に再開した。1990年代後半には援助協調が活発化し、とりわけ1999年以降、ベトナム政府の「包括的な開発フレームワーク(CDF)」や「貧困削減戦略書(PRSP)」への取り組みも本格化した。 ベトナムは1999年に東アジア唯一のCDFパイロット国となり、それをうけて多様な開発プレーヤーからなる20余のパートナーシップグループが設置された。その1つである「貧困タスクフォース」は、貧困アセスメントの実施、モニタリングのための開発指標(“Vietnam Development Targets”)作成など、一連の調査・技術協力・ワークショップを通じた支援を行った。 ベトナムは、東アジアで最も早くPRSP最終版(Full-PRSP)を策定した国でもある。計画投資省(Ministry of Planning and Investment: MPI)が中心となり、関係省庁・機関と連携しつつ、2000年3月には暫定PRSPが作成された。その後、PRSPはベトナム側により、「包括」と「成長」の語を加えた「包括的貧困削減・成長戦略(Comprehensive Poverty Reduction and Growth Strategy: CPRGS)書」と改名され、2001年12月CG会合においてドラフトCPRGS提示、2002年初めの4地域(及びNGOによる6コミューン)でのコンサルテーションを経て、5月に最終ドラフトが首相承認された。なお、最終版CPRGSは、2002年5月の非公式中間CG会合でドナーに提示された。 ベトナム政府は、CPRGSを5ヵ年計画や10ヵ年戦略を実行に移すためのアクションプランの1つと位置づけている(囲み2参照)。CPRGSはその名が示すように、経済成長の達成(10年間に国民所得倍増、前半の5年間で年率7.5%のGDP成長目標など)、貧困削減と社会公正の達成、の両者をともに掲げている。このうち成長目標や予算配分計画は5ヵ年計画や10ヵ年戦略をそのまま踏襲したものだが、これらが成長重視を強く打ち出した点を補完して、CPRGSは成長の「質」にも配慮し、成長過程における格差是正や貧困削減の方法を具体的に提言している。CPRGSの作成過程でベトナム政府が発揮したオーナーシップやパートナーシップ努力は、ドナーコミュニティーから高く評価され、CDFやPRSPの模範例(good practice)とされている。
|
|||||||||||||||||||||
5. 日本の対ベトナム支援6 インフラ整備と政策支援 日本に特徴的な開発アプローチは実物経済の動態に対する関心であり、日本の対ベトナム援助もこれを強く反映している。それはすなわち、後発途上国としての長期開発問題、市場経済システムへの体制移行問題、東アジアに展開する生産ネットワークへの積極的で意味のある参加、というベトナム固有の3つの戦略的課題を認識した上で、ベトナム国民・政府自身の意志を尊重しながら、経済成長の実現とそれが引き起こす社会問題への対処からなる、バランスのとれた開発過程を支援していくという姿勢である。 ベトナムにとって、日本は95年以来のトップドナーであるが(1998〜2000年平均、ODA支出純額ベースで全体の45%)、同時に日本からみても、援助対象国の中でベトナムは1999年に第4位(支出純額ベース。インドネシア、中国、タイに次ぐ)、2000年は第2位(同、インドネシアに次ぐ)にランクされており、経済協力の最重点国の一つになっている[外務省2001、OECD2002]。 日本政府が2000年6月に策定した「ヴィエトナム国別援助計画」は、対越支援の重点分野として次の5つを掲げている[外務省2000]。
以上5分野のうち、とりわけ市場経済化とインフラ整備に対する支援は、上記の日本の開発支援の特徴を強くあらわすものである。日本の運輸・電力セクター分野における援助供与額は世銀やADBを上回り、ドナー間で最大規模となっている。また市場経済化に向けた政策研究・人材育成・制度構築においても、多数の技術協力案件および専門家派遣に加え、以下に代表される大型政策支援を実施しており、これは日本自身の他の途上国支援と比べても特筆に値する。 |
|||||||||||||||||||||
日本は、ベトナムの開発ビジョンつくりにも貢献してきた。たとえば、第6次および第7次の5ヵ年計画、および10ヵ年戦略の策定・実施に対する助言(「石川プロジェクト」、「新宮沢構想」など)、CPRGS策定過程における貧困タスクフォースへの積極的な参加、運輸セクター、中小企業/民間セクター育成、ホーチミン市のODA計画・実施能力強化などのパートナーシップグループのリードドナーを担当するなどの、重要な知的貢献を行ってきた。 国際統合を深化させながら工業化を進めていくことは、ベトナムにとって重要な課題である。だが、これに対するベトナム政府の準備は必ずしも十分ではない。ベトナムの開発ビジョンを、生産性向上や競争力強化をめざすアクションプランとして現実化・具体化していくには多大な努力が必要である。グローバル化時代に適合した、後発国の産業開発戦略づくりが求められている。ベトナム政府は、今後、経済成長と貧困削減のバランスに配慮しつつ、東アジアの生産分業体制のダイナミズムに食い込んでいく成長戦略を深化させていく必要がある。この過程においても、日本政府は無償・技術協力・有償資金協力と多岐にわたるツールを活用して、引き続き支援を行う決意である。 日本はインフラ整備に加え、知的支援を通じて、ベトナムの外向きな成長戦略の現実化に積極的に貢献したいと望む。東アジアの開発経験と日本の援助経験を踏まえた実物アプローチを、ベトナム経済固有の文脈の中で構築していくための知的支援が重要である。成長への具体的関心は、二国間援助の枠内にとどまらず、CPRGSを含むマルチラテラルの枠組みにおいてもとりあげられるべきトピックである。広範な成長戦略(broad-based growth strategy)に関わる研究と議論を実施し、その結果と整合的な国際支援を行っていく必要がある。新たにとりあげられるべき、あるいはこれまで以上に強化されるべき候補テーマとして、工業化、貿易、農村開発、中小企業・裾野産業育成、民間セクター開発、産業を支える人材育成、産業インフラ整備などへの戦略が含まれよう。 最近のグローバルな開発戦略は、途上国の貧困削減に最大の配慮を払うものとなっている。たしかに貧困削減は崇高な目標だが、それを実現するための道は一つではなく、複数の道の中から各国が自らオーナーシップをもって選ぶべきものである。東アジアの開発経験は、キャッチアップへの国民的熱意と産業競争力に対する深い関心に特徴づけられるのであって、これらを「貧困削減」の枠組みだけで理解し議論することはできない。ベトナムの経済社会発展もまた、アジアダイナミズムのコンテクストに留意した具体的な成長戦略の構築抜きには推進不可能であろう。 |
|||||||||||||||||||||
注釈:
1石川は、貧困削減のためにpro-poor targetsへの支出とbroad-based growthへの支出の2つを適切に組み合わせたアプローチの必要性を指摘している。石川によれば、broad-based growthへの支出は、まずGDPの拡大に貢献し、その結果として生ずる貯蓄の増加が財政・金融その他さまざまな経路を経て最終的に貧困削減につながるものである。 2援助依存度はアジア各国間でも異なる。例えば、一人当たりODAは、モンゴル79ドル(対GDP比20.6%)、ラオス57ドル(同23%)、カンボジア29ドル(同11.9%)であり、インドネシアの6ドル(同1.5%)やベトナムの15ドル(同4.3%)に比べ、その依存度は高い。こういった相違が各国のPRSP対応に影響を及ぼす可能性はある。 3 MTEFは、セクター計画が示す方向性をハード予算制約の中で中期の支出プライオリティとして具体化するものである。また、成果主義に基づく業績モニタリング指標も含んでいる。MTEFは予算枠組書(各年)とともに年間予算計画の指針となる。ウガンダやタンザニアでは90年代にMTEFやセクター計画(保健・教育分野を中心)が順次導入され、これらを土台に新たにPRSPが貧困削減のための政策全般を方向づけている。実際には、MTEFは導入後、十分な期間を経ていないこともあり、PRSPとプロセス面でのリンクづけが不十分な国もあるが、少なくとも理念的にはPRSPが基本文書としてMTEFや他のセクター政策・援助手続きを誘導することが想定されている。 4 ボリビアでは1997年に「国民対話」を通じて国家開発計画(National Action Plan 1997-2000)が策定されたが、その後、同文書を代替する形でPRSPが作られた。最終版PRSPは2001年6月に完成したが、並行して制定された「国民対話法2000」はPRSPの基本路線および地方自治体(市町村)を通じた貧困対策事業の実施を規定し、PRSPの手続きを法制度化している。他方、公共投資計画(5ヵ年間)の大半を PRSPの優先事業に配分することも想定しているが、上述のアフリカの事例ほどMTEFは浸透しておらず、PRSPが予算配分全体に影響を与える仕組みは確立していない。 5 詳細は、Kenichi Ohno “Development with Alternative Strategic Options: A Japanese View on the Poverty Reduction Drive and Beyond,” GRIPS Development Forum Policy Note No.1, May 2002及び 現在作成中の「情報モジュール」に掲載予定の“East Asian Experience in Economic Development and Cooperation,” GRIPS Development Forum (at http://www.grips.ac.jp/forum-e/)を参照されたい。 6 詳細は、GRIPS開発フォーラム「日本の対ヴィエトナム開発協力―貧困削減を伴う広範な成長への支援」(2002年5月)、英語版はJapan’s Development Cooperation in Vietnam--Supporting Broad-based Growth with Poverty Reduction, GRIPS Development Forum, May 2002を参照されたい。 7 「市場経済化支援調査」(石川プロジェクト)は1995年4月の日越首脳会談での合意をうけ、石川滋一橋大学名誉教授を日本側の団長として延べ6年(1995〜2001年)にわたり実施された。本プロジェクトは日越共同研究の形で進められ、重点トピックとして、農業・農村開発、産業政策および貿易政策、財政金融政策、国営企業政策、中小企業促進などが選ばれた。また、マクロ経済の安定やアジア金融危機対応についての研究も行われた。 8 「経済改革支援借款」(新宮沢構想)は日本初の独自の政策コンディショナリティを盛り込んだ構造調整借款であり、具体的には民間セクターの育成、国営企業改革、非関税障壁の関税化を柱とする政策改革プログラムを支援した。交換公文と借款契約は1999年に締結された(総額200億円)。 |
|||||||||||||||||||||
|
Copy Right 2002 by GRIPS Devlopment Forum, National Graduate Institute for Policy Studies |