ODA Salon
National Graduate Institute for Policy Studies |
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「新しい日本のODA」を語る会 |
Last updated 10. September. 2007 |
コメント紹介コーナー |
第11回ODAサロン:幹事による第11回会合の概要 |
【幹事からの報告】 【冒頭発言(1):田中辰夫氏(APIC専務理事、元パプアニューギニア大使)】
【冒頭発言(2): 岡本岳夫氏(博報堂)】
【質疑応答】
【雑感】 @ODAという用語を使わない、A政府や実施機関を主体としない、B非政府アクターによる広報の推進等、今までの「政府広報」の概念を脱した発想で取り組むべきとの意見が多く寄せられました。ターゲット層ごとに緻密な広報戦略を練り、政府・実施機関とNGOとの役割分担を考える等、広報のプロと一緒に具体的な行動をおこす段階に来ていると感じました。 |
コメント | |
会合出席者からのコメント
2007/8/1 |
■広報における協働戦略 博報堂の岡本様の論点メモにありました「Story Telling」という手法ですが、ODAという長期に渡って経過を見守る「商品」については、おそらく政府やNGOやメディアが主体となってストーリーを作るよりも、政府・NGO・メディアが一体となった、サクセス・ストーリーの「シミュレーション・ムービー」を作るのが有効かと思われます。 これは、リアルな物語を追って、ドキュメンタリーやシリーズ作品を作るよりもずっとコスト安で済むというメリットがあります。また、シミュレーションは創作なので、いわゆる「キラー・キャラクター」ともいうべき「ODAのマスコット」を作り出すことも可能となります。実在の人物ではこれは難しいでしょう。つまり、広報の王道であるマーチャンダイジングに結びつく形での展開が、シミュレーション・ムービーという形態をとれば可能になります。 ムービーは、政府・NGOの実績データや経験などに基づいて作られ、開発支援地域などでの情勢も考慮した近未来予測も加えることでリアリティを増すことができます。これにはJICA、JANICなどの実施機関の経験・データが役立つでしょう。NGO側は、現場組織としての強みを生かして、シミュレーションにより現場に近い要素をファクターインする形で貢献できます。またメディアには、グラフィカルなプレゼン技術などで協力してもらえば、飽きのこない、シリーズ化可能なシミュレーション・ムービーの作成も可能でしょう。市場性によっては、ソーシャル・インサイトの視点から、ゲーム会社の協力も得られるかもしれません。 このように、NGO・政府・各種メディアの協働が実現すれば、強力な訴求力を持つ広報媒体としてのシミュレーション・ムービーあるいはゲーム(WFPがすでにコナミと実践済み:)の作成が可能だと思われます。 ■官・民・政のエンパワメント、協働、シナジーについて 上記のような統合されたODA広報戦略を展開するためには、官・民・政(国会)の三者による協働体制が必要不可欠です。これは、それぞれの中での意識改革から始まりますが、まずは双方における苦手意識を克服し、具体的に協力を行うための窓口機関を設けるというステップが必要になるでしょう。 これら三者のアクターのうち、民・政が一番恐れるのは、アカウンタビリティ・ファクターといわれるものだと思われます。これも、意識改革によって克服すべき問題ではありますが、三者間での相互受容の度合いを高めるというステップが、まず必要になるでしょう。つまり、官・民・政の三者が、それぞれの分野でエンパワメントを行い、そのシナジー効果により連携を強化するというものです。 具体的に、この三者が互いに有効に協働する場合は、官は情報開示と情報収集、民は協調努力、ネットワーキング、そして政は予算承認、政治的意志の醸成、政治のネットワーキングなどが、ぞれぞれの役割分担となると思われます。こらら三つの役割を、相互に緊密に情報交換などを行うことで一体化させて、統一されたODA戦略というものを創出することが可能になるのではないかと思います。勿論、この構造の中にメディアを取り込むことも念頭に入れておく必要があり、それぞれの立場でいかにして協働できるか、ブレインストーミングを行う必要があります。 このような協働体制が体系化して慣習化したとき、前述したような広報戦略が可能になるのではないかと、かように考えます。それにはまず必要なのは、各者が持つ苦手意識や固定観念の撤廃であり、これを情報の相互開示などによって緩和する努力がその第一歩となるのではないかと考えます。 |
会合出席者からのコメント 2007/9/6 23:25 (特活)アフリカ 日本協議会 稲場 雅紀 氏
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■ 「世界と日本をともに変える」ためのツールとしての開発援助
〜内向きの議論から脱却し、世界システムの変動を見通した戦略的議論を〜 1.アフリカを巡る長期的な視点 先日、政策研究大学院大学で行われた「新しいODAを語る会」で、三菱商事の方の お話を聞いてきました。この方は12年南アフリカで勤務し、現在、ムベキ大統領やナイジェリアのオバサンジョ前大統領の顧問委員会の委員なども務めていた方です。この方のお話は、アフリカの現在と将来について考える者にとって有用な様々な素材を たっぷり含んでおり、大変意義深いものでしたが、もっとも興味深かったのは、この方の視線が、今後50-100年程度の長期的なタイムフレームを持っていたことです。 彼の長期的な視点は、彼が手がけた、NEPADの発想に基づく、どことなくソ連のコ ンビナートを思わせるモザンビーク南部の大規模なアルミ精錬事業(モザール・プロ ジェクト)にも表れています。民営化といった欧米のドクトリンに縛られるな、とい う強烈なメッセージで始まった彼の主張の中でもっともインパクトがあったのは、 (1)アフリカは21世紀後半における世界経済の軸となりうる存在である、(2)今後アジアの隣国が興隆する中で、今アフリカに何ができるかが、将来の世界での日本の地位に響いてくる、ということでした。質疑応答の中では、日本はなぜベトナムに 1000億円も出して、あの広大なアフリカに800億円なのか、と述べて、日本の援助関係者のいわゆる「優等生国家」援助志向に厳しく釘を差していました。 2.援助議論の「内向き」な傾向
日本最大の民間セクターの中で仕事をしてきたこの方の話に含まれる「長期ビジョ
ン」とその中での「日本国家百年の計」の萌芽の部分は、残念ながら、援助を日本国家の視点から議論する援助関係者の議論の中で、充分討議されてこなかったように思
います。これまでの日本の援助関係者の議論の多くは、残念ながら、「援助は『国
益』のためなのか、『地球益』のためなのか」という二項対立をたててそこから出発
し、「援助は地球益のため」という欧米の議論を「建前」として切り捨てた上で、
「援助は『国益』のため」という定理を再三にわたって確認することに終始しているように、私には感じられました。しかし、実際には、「援助は『国益』のため」とい
う定理は、国際場裡で堂々と発言するにはなかなか難しい主張であり、それを繰り返
していても始まりません。そこから、最近は、先の二項対立=「国益」と「地球益」
をどう止揚し、それを「日本の援助」としてアピールするか、という検討が行われ、
そこから「卒業のための援助」というキャッチフレーズが生み出されようとしているようです。 しかし、この「卒業のための援助」に、私は限界を感じざるを得ません。それは、 このフレーズが、50年代の援助議論などで唱えられた「単線発展史観」に依拠し、先 進国・途上国の歴史的な関係から来る様々な複雑さを捉え損ねているように感じられるからです。 単線発展史観とは、単純に言えば、世の中には低開発国と先進国が「同じレール」 で並んでいて、一定の金とドクトリンを与えれば、子どもが小学校、中学校、高校と進んで大人になるように先進国になっていく、という考え方であり、日本の援助は、子どもが学校に行って、順調に学んで成長して卒業していくことを促すものだという ことです。彼らの頭でいえば、アフリカは小学校、ベトナムは中学校3年くらい、タ イは高校生、ブルガリアやルーマニアは専門学校生というところでしょうか。こうした考え方は、50年代の米国の開発援助戦略の中で、ロストウなどによって唱えられたものです。 しかし、その後、たとえばエマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論 や、サミール・アミン、アンドレ・フランクなどの従属理論などによって、世界が 「単線」などではなく、歴史的・経済的に構築された複雑な網の目によって構成されており、特定の投入をすれば発展するなどというものではないということが明らかになっています。少なくとも15世紀の地理上の発見以来、世界はグローバル化し、異なる地域が有機的に結びつけられ、世界は一つの連携したシステムを発展さ せてきました。特定の地域の経済発展は、そこと結びついた特定の地域からの収奪と低開発、長期にわたる不等価交換の結果として形成されてきました。 この世界の構造は動的に生成され続けているものですが、一方で、長期間にわたる歴史のくびきにつながれていることも確かです。特定の地域の「離陸と飛躍」のため には、この歴史のくびきを解き、地域が旧来的な構造の束縛から自由になることが必 要です。いわば、歴史によるねじれを解いていく、既成の世界システムのあり方を変えていくことが必要となるのです。既成の世界システムを維持することを前提にしていては、いくらお金とドクトリンを与えても「卒業」はあり得ません。 たとえば、いわゆる「アジアの発展」は、「日本の経済援助がすばらしかった」から、という説明をされることがありますが、むしろ、近代史の中での東アジア・東南アジアの国民国家や国民言語の形成、冷戦下の開発独裁における政府機構の整備、民主化運動などにおける民度や国民意識の向上、国家へのオーナーシップ意識の向上と いった様々な「発展のための要因」が整備され、「発展」のための基盤が整ったこと を無視することは出来ません。さらに、冷戦の終結に前後して、世界システムにおけ る東アジア・東南アジアの位置が大きく変化したことが発展の大きな力となったとい うことが出来ると思います。もちろん、日本の援助の戦略性などが、この地域を「花 開かせる」ために一定の役割を果たしたかも知れませんが、この地域の浮揚については、歴史的・地理的に、より大きなダイナミクスを捉える必要があると思います。
こうした観点からすれば、特定の地域の発展に資する「援助」の戦略は、連携し合
う世界の構造の中でその地域が持っている個別の文脈に着目する必要があり、その文脈から、戦略が構成される必要があると私は考えます。単線発展史観に依拠する援助戦略では、援助の対象となる地域の文脈を捉え損ねてしまう可能性があり、大きな自己撞着を抱えかねないのではないかと懸念します。 「世界システム」を考えたとき、世界が今、大きな転換点にさしかかりつつあるこ とは重要です。米国および欧州以外に、巨大な経済力を持つ地域が登場し、ここ5〜 6世紀において続いてきた欧米のヘゲモニーが大きく揺らいでいます。今、日本が 「アフリカ」に注目しなければならないのは、三菱商事の方がはからずも述べている ように、まさにその点からです。アフリカは、興隆しつつある中国、インド、ブラジルといった国家がアフリカと結ぶ関係の如何によって、既存の世界システムにおける 底辺という、これまでの位置を大きく変えることができるかもしれません。一方、既存の世界システムの中で欧米と独自の関係を構築することによって支配的な地位を占めてきた日本は、長期的なビジョンと哲学をもって、世界の中で日本の占める位置のあり方を考えていかなければ、大きな危機に陥りかねないであろうことは論を待ちません。この転換点において対極の位置にいる日本とアフリカが、どのような関係を結 ぶのか、というところから、実は、世界システムのこの転換点における日本の世界戦略を照射することができるはずです。 たとえば、この世界システムの大きな転換において、中国、インド、ブラジルと いった新規興隆国家のアフリカへの援助や経済的進出をアフリカの経済の自立的な成 長のモメンタムにしていくために、日本は何ができるのか。あらたな世界システムに おいてアフリカがあらたな地位を得ていくためには、どのような条件が必要であり、 日本はそれをどう導くことが出来るのか。たとえば「アフリカは21世紀後半には世界 の経済の『台風の目』になりうる」という仮定から、こうした問いを立てることが出 来るはずです。一方、こうした問いから出てくる何らかの答えを実践していくことは、すなわち、世界の新しい構造の中で、日本が占めうる位置を構想することにもつながります。
逆に、今、日本が、明らかに世界の一部分であるアフリカに、「距離も遠く、歴史的に関わりが少ない」からという理由で、まともに戦略的な関与をしないとするならば、日本は世界全体を相手にした戦略を持たないということになり、今後、日本は世界に対してその程度の位置し
か占めることのない国家になることを選んだということ
になってしまいます。EU傘下の小国なら、そういう選択もあり得ますが、日本の将来 を考えれば、そのような贅沢が許されないことは明らかでしょう。 単線発展史観に基づく分析では、残念ながら、世界システムにおけるヘゲモニーが 大きく変化しつつある現代世界において、「日本が変わる」モメンタムとしての、また、世界とつながるためのツールとしての援助の役割を位置づけることは、難しいのではないかと思います。たとえば「卒業のための援助」という表現は、結局のとこ ろ、援助を「すでにゴールを迎えてしまった国」が、今走っている国々に与える恩恵 という役割に切り縮めてしまいかねません。援助を「国益」のためのツールと位置づ けるならば、そこに、変化する世界と日本をつなぎ、また世界の変化に日本が適応しまたその変化をリードしていくためのツールとしての役割を持たせる必要があります。この意味で、「卒業のための援助」というキャッチフレーズは、それだけでは限界があるのではないかと私は思います。
私たちは、「単線発展史観」を脱却し、世界を有機的かつ動的なシステムとしてとらえた上で、開発と低開発の歴史的な関連性をふまえて、援助の対象となる地域が世界構造において占める位置をどう変化させていくかという発想をもつ必要がありま
す。また、援助を「国策」として考えるとき、私たちに必要なのは、現代がまさに世界システムにおけるヘゲモニーの変化の時代なのだという認識を持つこと、この変化の時代において、日本が長期的にそのヘゲモニーのどの位置を占め、どのような役割を担いたいのかということについて、戦略性を持ち、そのためのツールとして「援助」をとらえるということだと思います。そこに、「国益」としての援助と「地球益」としての援助の調和点が見いだせるはずです。 |
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