ODA Salon

National Graduate Institute for Policy Studies
 (GRIPS)

「新しい日本のODA」を語る会


 

Last updated 23 October 2006

 コメント紹介コーナー


第2回ODAサロン:幹事による第2回会合の概要
(2006/9/13付け「devforum」にて紹介)

遠山政務官からのキックオフご発言

@進捗するODA改革(特に外務省の取組み)

  • 戦略・企画立案・実施レベルという三層構造での取組み(=司令塔、外務省(国際 協力企画立案本部、国際協力局)、新JICA):
    外務省の企画調整機能の強化、国別・地域別アプローチの強化、バイとマルチの連携強化など。
  • NGOとの連携・能力強化支援
  • 無償資金協力の改革:
    円借款・無償・技協の実施を新JICAで一元化、外務省直轄 の無償資金協力の情報公開強化、コミュニティ開発支援無償による現地リソースの活用

A特に重要なイシュー

  • 日本の国際公約の着実な実施(2004年実績に比べて5年間でODAの総事業量を100億ドル積み増し)
  • 新JICAが発足する2008年の重要性:
    TICADIVやG8サミットを日本で開催、国際社会における日本の貢献が問われる。
  • 外交課題と連携した戦略的ODAの実施・日本がめざすべきは途上国のオーナーシップを重視した自立のためのODA、「お恵 みODA」でなく貧困からの脱却を支援すること(アジアの経験)。

意見交換、質疑応答

@ODAの戦略性

  • 三層構造を含む改革努力は理解するが、肝心の戦略性(何のためのODAか)は依然として弱い印象。外務省の「目下のODA戦略」は総花的・現状対応型で、開発という長期的視点からの戦略性が不足している。
  • 「目下のODA戦略」は国民の当座の関心事への反応となりがち。戦略の中身を外交課題と照らして検討する際に、長期の視点と国民が(短期に求める)ODAとのバランスのとり方は課題。
  • 根本的問題は、外交は票にならないという認識ではないか。打開策を考える必要があるが、政治システムの問題もあり政治家は短期志向におちいりがち(例えば、衆議院の選挙サイクルが短い)。
  • 「お恵みODA」でなく貧困からの脱却を支援するという、日本発のコンセプトの普及に賛同。ただし、これをアフリカ支援で実現するのは容易でない。

A「三層構造」を機能させるために

  • 司令塔(海外経済協力会議)での議論の透明性を高め、メディアも活用して分かりやすくメッセージを打ち出すことも必要ではないか(←上記の戦略性とも関連)。
  • 外務省と実施機関の業務上の重複をなくすべき。外務省は政府内の企画調整をしっかりやってほしい。実施機関からみれば、複数省庁と何度も調整することは非効率。
  • 三層構造においては、上→下だけでなく、下→上の流れもあるべき。

B開発支援におけるODAと民間資金の関係

  • ODAは開発ファイナンスの一部にすぎない。日本はPPP支援を強化し、脱ODAを進めてよいのではないか。
  • ODA、OOFや民間資金とは透明性や国民への説明責任の観点から異なるので、脱ODA論には異議あり。
  • PPPはアジアや卒業国では有用だが、市場原理が機能しない途上国やガバナンス支援ではODAは重要。米国はPPP推進派だが、ODAも増額している。

CNGOとの連携、人権問題

  • 連携の掛け声のもとで、NGOを下請け先と位置づけることには躊躇。NGOの比較優位を生かしたパートナーシップのあり方を考えてほしい。
  • 人道援助の重視は外務省の最近の取組みから理解できるが、人権擁護の点はまだ不十分。

D新興ドナーとの付き合い方

  • 中国を始めとするDACルール外で行動する新興ドナーとどう付き合うべきか。
  • ASEAN+3、EASといった地域レベルの経済協力枠組みを活用すること(豪州、NZ、インドなどを巻き込む)も検討すべき。
  • 中国を敵対視するのではなく、日中共同プロジェクトを形成するなど相手と一緒に作業することも要検討。その際に、中国の目下の関心事である2008〜2010年(オリンピック、万博)後をみすえて長期の視点から取組むべき。

雑感

  • 今回は、第1回ODAサロンでの議論をふまえて事務局で行った暫定的整理「ODAについての現状認識・課題のマッピング」のうち、「何をすべきか」(特に実施体制を再編・強化する、各種制度を改革・強化する)という視点から、遠山政務官からは外務省の取組みを軸にキックオフしていただきましたが、同時にそれを議論するためには、「何のためのODAか」の明確化が不可欠という認識も共有され、ODAの戦略性についての活発な議論にも発展しました。また、「三層構造」が有効に機能するために留意すべき点についても、様々な意見が寄せられました。
  • なお、個人的には、開発支援において官民協調をどう位置づけるか、PPP推進とODA は開発支援のツールとして相反するものか、補完的なものか、という議論も興味深かったです。ODAとPPPをまたがる開発支援に対する日本としての哲学・理念を確立する必要はないのか(これも戦略性の重要な要素?)という問題提起にもつながるのではないでしょうか。

 



コメント

 

 

2006/10/21

日本の経験・知恵を如何に活かすか

開発援助を受ける側からみて、国際機関や他の二国間援助機関、さらには民間ベースからのものと比較して、日本に期待しているものはなにか、それらに応えるだけのものを日本がもっているかどうか、といった「需要サイド」のしっかりとした把握と、この需要に応えるにあたって日本がベスト、あるいは比較優位性をもって提供できる「日本側の対応能力」、さらには、その対応をするにあたって・・・オール・ジャパンとしての協力の「整合性」について現在携っているインドネシアプロジェクトでの経験、およびこれまでの国際機関での経験をベースに述べさせていただきます。

  • 途上国からの需要: もっぱら教育分野については、・・・経済開発が徐々に再度重視され始めてきている現在、途上国のニーズということでもっとも必要とされているのは、中等・職業教育であるというのが、私の元来からの主張です。・・・(続)
  • 日本側の対応能力について: 需要に応じて適切かつタイムリーな対応を可能にするためには、当然にして供給側にとって可能な貢献可能分野のマッピング・・・は欠かせません。・・・(続)
  • オールジャパンとしての整合性について: 援助に向かう体制・仕組みも、日本の中では一枚岩では無い・・・外務省型の援助の原則(機材等はプロジェクト終了時には相手側に供与)と、文科省型原則(供与機材等はプロジェクト終了時には日本に持ち帰り)というったところでも、立場はそれぞれおありかとは思いますが、ぜひ整合性のある、分りやすい形になればと願っています。

 

 

2006/10/14

日本の経験とODA

ODAの目的:途上国の貧困削減と経済成長を支援 ⇒ 国際社会の平和と発展に貢献

対象:主な直接の対象は途上国政府(即ち、公共政策とサービスの改善・拡充を通じて上記目的達成を支援する)。但し、必要、適当な場合は、途上国民間セクター・市民社会もODAで直接支援

戦略:上記目的に鑑み途上国にニーズがあれば何でも対応するという考えもあり得るが、

  1. 日本経済社会へのリンクという国益の観点(例えば、ASEAN諸国の外国投資・貿易政策・制度の改善を支援する、またバングラデシュでは繊維産業関係は欧米向け輸出が主なので支援しないなど)
  2. 日本の得意分野を活かすという観点
  3. 日本の支援について(そして日本について)、まとまりのある、positiveなイメージを打ち出していくという観点

―などに鑑みた「選択的、集中的」な支援を展開。

上記(b)の「得意分野」について

  • まずは、途上国のニーズに合致し、途上国側に受け入れ準備があることが重要。(これは当然のことだが、往々にして援助側の自己満足や陶酔がニーズを「凌駕」してしまうことがある。そして、いつのまにか援助の目的が「途上国の貧困削減と経済成長」という焦点からズレていく。それを避けるには、日本のODA実施機関・関係者の現場の知見のみならず、途上国関係者から本音レベルの情報・見解が充分に引き出され、活かされていく仕組みづくりが重要。)
  • あるセクター、或いはサブ・セクター全体に亘る場合と、その一部の側面に関係する場合がある。(例えば、一村一品運動や道の駅などは、日本のブランドと共に諸途上国に普及し、地域開発や農村開発という「セクター」内で重要かつプレゼンスのある役割を果たしている模様。)
  • 「得意」と判断できる「日本の経験」は成功体験のみならず、失敗も含めた体験もあり得る。ただ、「得意分野」と「判定」されるには、次のような条件がそろっていることが必要(或いはそうした条件が備わるような工夫が必要)
  1. 制度や手法といった「システム」として確立していること
  2. そのシステムは、途上国支援を行う他先進諸外国でのシステムや状況と比較して、秀でているか、或いは競合し得るものであること。(ただ、途上国において先進諸外国のシステムを補完する役割の場合は、先行システムと対立し、足を引っ張ることなく、素直にかつ効果的に補完の役割を果たせるものであること。)
  3. そのシステムを外に伝えるための理論や説明が体系化されていること。
  4. そのシステムを外に伝えるための人材がいること。

 

 

2006/9/13〜10/7までの意見

グローバルな開発問題への取組みに日本の経験・知恵を如何に活かすか

「ODAの理念の一つとして、日本が持っている経験や知恵を、世界が直面する問題の解決に生かすという面をアピールできないか」との問題提起

【ポイント】

  • 日本の経験・知恵を活用するに際しては、内向きとならず、一般化・普遍化して世界水準の議論とすりあわせ、それに反映させていくことこそ大事。
  • 途上国が今後直面する新しい開発課題を先取りして、それに応える日本の経験・知恵を開拓・蓄積し発信するという姿勢も大切。
  • このような知的作業と、その現場での実践、そしてフィードバックを行うためには一定のモメンタムと時間が必要。 アフリカ開発会議(TICAD)や日本サミットが開催される2008年に向けて、まずは日本の経験・知恵を一般化。普遍化し実践・アピールするための包括的な課題マッピングを始めることも一案。

特に第一ポイントの「日本の経験・知恵の重視は、世界水準の開発論議と矛盾するか」に関し、考える点は以下のとおり。

  • 基本姿勢としては、世界のベストプラクティスを十二分に理解した上で、日本としてそれを更に深めるべく貢献するためには、やはり日本の経験・知恵に立ち返る必要がある。
  • 世界のベストプラクティスを導入できるかというプロセス自体、日本の経験・知恵を活用できる。
  • 課題は、単に日本の経験・知恵を使えば良いといったレベルで留めるのではなく、それを深め、世界の最先端の議論と十分に対話してすりあわせること。
  • 結局何が一般的・普遍的な価値があるかは、途上国や民間セクター、そして現地のドナー・コミュニティの「市場テスト」で判断されることになる。
会合出席者からのコメント

2006/9/13
12:47
 

先日は、有意義な会でした。現在、出張で、前回の議論に関係するpppとODAの現場にきています。

PPPとODAの両者の関係を整理しないと、現場は戸惑うばかりではないでしょうか。察するところ、NGOの方々を含めOOF以降、民間ベースの経済協力については、あまり考えたことがないのではと思うのですが、如何でしょう。まずは、実態の把握をして、それがODAとどのような関係にあるのかを整理するという手順が必要かと思います。仮に、一つのカテゴリーとして考えるべきというのならば、同じ基準の透明性が求められると思います。

会合出席者からのコメント

2006/9/12
13:10

 
昨日は、「ODAサロン」におよびいただき、まことにありがとうございました。厚く感謝申し上げます。 遠山政務官のお話を楽しく聴かせていただき、外務省内での議論を知ることは大変参考になりました。また、各界の皆様のコメントも勉強になりました。 今後の議論のために、未整理ながら、いくつか感じたことを記させていただきます。
  1. 議論の焦点を、「何のために」「何を」「具体的に」と設定し、とくに「何のために」を照射する、という方法論に賛成です。ぜひそのように進めていかれることを希望しますが、そのためにも「何のために」=「哲学」を上手に議論することが鍵だと思います。 昨日の冒頭、「ODA」は「民間投資」となにが違うのか・・・・という問題意識が出ましたが、そういう視角から検討することは有意義であると思います。ただし、これはODA実施の方法論、効果の議論として、という側面ではないでしょうか。 現実に、アフリカに対するODAについて、JETROの平野氏が「ODAは時代から遅れている。FDIと経済経長との相関は見られても、ODAとのそれはほとんど見られない」という論拠からODAの変革を説いておられるのは一例ですね。そうした議論は面白いと思うのですが、わたしにとってやや不思議なのは、ODAを行う理由・意義の文脈として、この問題意識が提出された、という点にあります。民間セクターの行動原理だけで良しとするならば、そもそもODAなど不要であるのは自明のことであり、またいっぽう、政治・経済上の即時的リターンだけが目的であるのなら(あるいはそれらをODAによって得る「国益」のほぼすべてとする考え方では)、ODAの哲学などミもフタもないことになってしまう。民間投融資がもし貧困削減・経済成長に有効であるのであれば、ODAはそれにいかに関連するか、あるいはいかに支援するか、という方法論としては議論すべきですが、なぜ公的資源を再配分しようとするか、の理由とは違った問題と思います。もっとも、そもそもODAは要らない、ということを検証するためならば話は違いますが。
  2. 日本国の信じるODAを有効に展開するために、諸外国の援助や国際機関に対して方針を立て律していく、という側面をぜひ議論していただければ、と思います。自らの価値観に基づいたODAを、違う値観と利害に基づいて行う他のODA(外国政府、国際機関)との間で、いかに協力・協調するかしないか、そして「闘争」も決して避けないで、うまく対処していくか、全体として自分の思う方向に引き寄せていくか、というのが「開発外交」のあるべき姿と思います。実は、まさしくそのために、世銀や国連グループに対して、日本国は「出資」をし、資金拠出をし、事業委託をしているはずなのであって、どうも、いまだに発想が逆(日本というファクターを除いて、国際機関が外部の所与として存在し、それにリアクトするのみ、という考え方)であるのが不思議です。国際機関への対処について、世界第一や第二の出資国であることの権利と義務意識がまだ浸透していないと思う局面が非常に多い。世銀や国連への拠出金の運用・評価はそれ自体として重要な問題でしょう。しかし、より根源的な議論(「なぜ」「なにを」)をしたうえで、「では具体的に拠出金はどうすべきか」という議論の展開が望ましいと思います。語弊を恐れず言えば、日本として国連グループと世銀をそれぞれどのように「使う」か、という大枠での議論があまりにもなさすぎると思います。
  3. わたしは「ODA」の目的・目標設定は基本的に哲学的問題であり、実施のための政策立案と運用は広い意味で技術的な問題であると考えたほうがわかりやすいのでそうしていますが、そのとき、「目的」表明のみならず、「政策立案と運用」の体系においてこそ、日本国の特色が出るし出すべきだ、と思います。つまり、「目的」という基本方針表明のみにおいて、日本国ODAの特徴が十二分に表現されるべきである、という強迫観念は要らないのではないか。「技術の体系」こそが、その実施者の思想をよく顕すわけで、双方のセットとして見ざるを得ない、あるいはそういう関係性で捕らえるべきではないか。これはいわずもがなと思われる事柄ながら、ともすれば「マニフェスト」や「大綱」的な文章のみでODA方針が全部規定されるべきかのような前提を感じることがありますので、記しました。
  4. その関連でいえば、わたしは日本国が信じてきた経済発展・貧困削減の根幹的な価値観のひとつは、いかに最近揺らいでおろうが、あるべき「官民協力」を追求してきたこと、その努力に関係したものではないか、という気がしています。その結果が、比較的な意味で格差の少ない経済成長だったのではないか。それは高度成長期はJapan Corp.として喧伝された、また「驕り」の時期を越して経済の失墜に伴って駄目なモデルとして批判された、また実は官僚はたいしたことはしてこなかった、とも言われた、戦後のキャッチアップモデルは超克しないといけないとも言われている・・・・云々と観察の諸相を見せ続けていますが、いっぽう、全体としては、経済社会の開発において、なんとかかんとか 「官民協力」をうまくマネッジしてきた国はそうそうないのではないか。アメリカの対外政策における「民主主義」信奉ほどわかりやすくは決してないですが、これは日本のODAの哲学のひとつになりうるのではないか。ただし、そう考えるときに、むしろ問題は、「ODA立案と実施体制」において、日本は「官民協力」がうまくできていない、とわたしには思えることです。本来、ODA実施機関、あるいはそれらと役所や機関同士の協力において、官・民の関係がまだ硬直的(「官」が決め、「民」は実施する、など)、また、「民」の活用が閉鎖的すぎる、という気がします。「民」の全体も活用されていない。「開発援助」が、狭い、開発部落の問題として扱われすぎている。皆、途上国開発をあまりにも特殊なものとして見すぎている。経済成長も、金融政策も、橋の建設も、途上国専用モデルなどないはずなのに・・・。この文脈では、ODA実施における「開発のプロ」の存在意義というのは、「プロ」が開発部落の特殊人を意味するのだとすると、わたしは必ずしも賛成できない気がします。さまざまな専門家が途上国開発援助に、より活発に、より垣根なく動員さ れるには、根本的にどうするべきかを考えなくてはならない。
  5. 「外交は票にならない」、あるいは「国民は途上国開発などに興味がない」と言った困難な環境については、それは確かにあるし、難しい問題だと思います。ボランティアや寄贈に対する社会通念や慣習の希薄さについては、最近変わりつつあると感じる反面、やはり裾野が狭すぎる、と感じることも事実です。しかしながら、こうした点で他国に比べて相対的に日本のほうが著しく困難であるということは果たして言えるのだろうか、とも思います。アメリカを例に出しても、皆知っているように、「田舎」で得られる海外情報は極端に少なく、途上国はおろか他の地域・州のことも興味がない、というのはざらでしょう。地域の新聞を見ればそれは一目瞭然です。インターネット時代においても、です。ところが、日本は津々浦々大新聞がいちおう情報として「国際欄」を届けるわけです。貿易立国であるがゆえの海外の卑近さなども、なにも「中国にやられている」というネガティブな感情を醸成するばかりでもないでしょう。とすれば、もしODAと国民の距離が他国に比べて遠いのだとしても、それは、ひとえに政策とコミュニケーションの問題が原因である、と考えたほうがより対策を練るのに役立つのではないでしょうか。

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