ODA Salon

National Graduate Institute for Policy Studies
 (GRIPS)

「新しい日本のODA」を語る会


 

Last updated 2 April 2007

 コメント紹介コーナー


第6回ODAサロン:幹事による第6回会合の概要
(2007/3/7付け「devforum」にて紹介)

【阿部正俊議員による冒頭発言のポイント】

  • 国際協力の両輪としてのODAと非ODA
    --国際協力を支えるのは民間(企業、市民等)、チャネルの拡大が必要。非ODAの活力を高める税制や仕組みもあわせて要検討
     

  • 「政府開発援助」としてのODA
    --非ODAとの役割分担を考えると、ODAに国の意思、国益追求があって当然
     

  • ODAの役割
    --重層的な関係強化に使うべき(経済的交流、人的バンテージ、二国間の関係強化な ど)
    --多面的な判断、問題意識をもってODAを企画・提供・評価すべし(「貧しいから ODA」ではない)
     

  • ODAに対する国民理解
    --わが国唯一の外交手段、国際社会でそれなりの役割を果たすこと(旦那衆のふるま い)を考えると、3兆円の財源確保は不可欠(GNI比0.7%)
    --国民に共感を求めたうえで、「消費税1%をODA財源へ」

【犬塚直史議員による冒頭発言のポイント】(平和構築への取り組みを例に説明)

  • キャリアとして国際貢献が定着する環境づくりを
    --NGO、JICA、外務省、防衛省、文民警察、地方自治体など幅広い分野から個人参加 による協力体制の構築(給与体系、社会保障、保険制度の整備を含む)

  • 新しい方向性
    --日本版ピアソン・センターの設置
    --国内と海外をつなぐ国際協力人材プールづくりこそ、国民の理解・参加につながる。

【意見交換・質疑応答】

  • 両輪としてのODAと非ODA、非ODA拡充を促す制度環境づくり

  1. NGOも非ODAのアクターとして自ら活動資金を稼ぎ出すよう意識改革が必要。同時に、現実的には政府からの経済的バックアップも必要。

  2. 政府は、地方でよい活動をしているNGOに重点をあてて支援すべき。地元との関係を強化にも貢献。

  3. 人材育成プールを作る必要性に同感、民間のインセンティブづくり

  4. 人のために役立つODAというより、日本の立場を維持・強固にしていくためのODA を。(阿部議員)

  5. 同時に、日本は他国に比べて非ODAの規模が日本は小さすぎる。これでよいのか、市民社会の成熟度が問われている。(阿部議員)

  6. ODAに特化してアピールしても不十分。企業の投資やNGOによる国際協力、地方自治体を中心とした国際交流、自衛隊との関係(PKO含む)等の多様な非ODAチャネルを拡充する必要あり。

  • ODA予算は「危険水域」?

  1. 本当に「危険水域」なのか。そうであれば、外務省は民間ベースの国際協力を活性化する努力をすべし。(阿部議員)

  2. 日本のODAは予算、人材育成の両方において「危険水域」にある。(犬塚議員)

  3. 「危険水域」について、国民と援助関係者の間に考え方のギャップがあるのではないか。

  4. 「危険水域」とは何を意味するか見えてこない。ODA予算は減少し続けているが、国民から困るという声はない。(他の出席議員)
     

  • ODAが票となるには何が変わるべきか

    1. まず国民が変わること。(阿部議員)

    2. 内政と外交をつなぐ必要あり。日本は海外に依存しているおり、ODAは国益に直結 している点を選挙民には訴えているが、地元選挙区での関心は低い。(犬塚議員)

    3. 政治家のODAへの理解は大きくない。外務省中心にやっているもの、という程度。 外務省にも責任あり。(他の出席議員)

    4. 民間リソースの動員について、人材育成や税制のあり方を含めて、外務省はしっかり考えてほしい。ODA予算だけの問題ではない。(阿部議員)

    5. 外から学び日本を変えるという発想も必要。ODAは日本が途上国に供与するだけでなく、外から学び日本の問題解決にも活用可能ではないか(例:貧困層向けのグラミン銀行、クリントン前大統領はマイクロファイナンスをアーカンソー州で実践)。
       

  • アフリカ支援の戦略性?(TICADやG8サミット、また中国が国益中心のアフリカ支援をふまえて)

    1. どこまで日本がアフリカ支援をするのか。関心をもつ国民がそれほど多いとは思わないし、アフリカの開発課題は大きすぎて、ODAだけでは限界あり。民間企業や国民に取り組もうという気運がまずあるべき。経済界がいずれ進出する際の先導役になるためのODAであればアフリカでも説得力あり。(阿部議員)

    2. 資源、エネルギー確保も支援の目的の1つになりうるのではないか。
       

  • 国際協力基本法

    1. 政治コミットメントを強化する方法として立法府による国際協力(←ODAでは狭い)基本法の制定も一案か。

    2. 国際協力基本法は概念が広すぎ、何をすればよいか、必要性とともに不明。日本国憲法に基本原則は示されている。(阿部議員)

    3. 日本は説得力ある実績をもっており(バラックから経済成長を遂げた実績、米国以外への武器輸出を慎んできた原則)、もし基本法をつくるならば、これらを原則とすればよい。(犬塚議員)
       

  • その他

    1. 「司令塔」(海外経済協力会議)は、今までのところインパクトなし。公開・非公開うんぬんより、課題を国民に発信することが必要。(阿部議員)

    2. 「顔のみえるODA」とはODAロゴの問題ではない。役に立つ関係構築に貢献しているかどうかで判断すべき。草の根無償は大使館にとって使い勝手はよいかもしれないが、全体的視点で果たして関係構築に役立っているのか。(阿部議員)

    3. マルチ援助を通じて、国際社会に対するインパクトを大きくすることも、「顔のみえるODA」につながる。

【雑感】

国際協力の両輪としてODAと非ODAがあること、非ODAの部分を拡充していくことがODAをよくすることにもなること、内政と外交を密接にして国民の国際協力についての問題関心を高める必要性、そのためには「ODA予算」だけの議論・攻防ではなく、より幅広い視点にたって税制・人材(例えば、国内と海外をつなぐ国際協力人材プールづくり)を含めて非ODAを担う民間やNGOの活力を底上げしていく取り組みが必要であることなど、貴重な視点の提起があったと思います。

またODAと非ODAとの役割分担を認識したうえで「何のためODAか」を議論し、それを国民に示したうえで、消費税の1%を充当等によりODAを3倍程度増やしてもよいのではないか、との問題提起は建設的だと思いました。

 


コメント

2007/3/22
11:37

 

第6回「新しい日本のODA を語る会」議事録を拝見しました。いくつかコメントさせていただきます。
  1. 阿部議員の冒頭発言は、非常に現実的で私としては理解しやすい意見でした。(全ての発言に賛成というわけではありませんが。)
      ODAの議論では、いつも理想主義、人道主義が幅を利かせるため(マスコミの論調もその傾向が強いのですが)、実際に援助に携わる側からは、なんとなく納得できない感じでした。特に、援助の質を高めるため、また日本システムを通じた効果的な援助のためにはタイドもありうるという指摘は当然のことだと思います。イギリスがアンタイを強く主張しているのは、それが彼らの国益(経済的、政治的)にかなうからであって、決して援助の質を議論の根底には置いていません。(経済効率を求めることが良い援助につながると考え、それが結局直接財政支援方式につながっている。)

  2. 質疑の中で同議員が「ODA は、人のために役立つというより、日本の立場を維持・強固にしていくために使うべき。」と述べておられますが、これは少々説明不足と感じます。「人のため(途上国やその国民)に役立った」からこそ、「日本の立場を維持・強固に」することに役立つのだと思います。その意味で、過去のODAがどれほど外交の手段として機能したかは、ODAの成果が必ずしも満足のゆくものでなかったということではないでしょうか。ODAの「旦那衆のふるまい」としての必要性についても言及しておられますが、私も以前からODAの2面性(途上国への支援、先進国間における協力関係)について主張してきていますので、同感できる考え方です。ただ、旦那衆としては「粋」であって欲しいという気がします。成上がり者が気前よくお金をばら撒くのでなく、そこにはやはり途上国の貧しい人々に、「粋」に支援の手を差し伸べるという姿勢が必要です。「援助における粋」については議論が長くなるのでここでは省かせていただきます。

  3. 前項の議論を拡大すると途上国への支援を「政府開発援助」として考えるのでなく、世界を舞台にした「国際協力」の一部分として捉える必要があるかもしれません。そのことによって阿部議員の「ODA卒業国と日本の関係構築」、質疑の中で出た「ODA は日本が途上国に供与するものという発想をこえて、外のシステムに学び、良い例があれば取り入れていく機会としても活用すべき。」や日本国内でのNGOの活動を支援する「日本NGO支援無償」といった考え方も、同じ土俵で議論できるのではないでしょうか。予算もODAではなく、途上国支援とそれを取り巻く協力関係を一体化した「国際協力費」として概念してみてはいかがでしょうか。

  4. 人材育成については、日本のODA実施の仕組みは、現場で日本の若い人材が活躍するようには設計されていません。何が何でも完全主義で計画を策定し、その計画通りの実施には経験豊かな人材(コンサルタント等)を使うという考え方では人材は育ちません。現場に即した柔軟な実施に失敗も恐れずチャレンジする、若い人材をそうした現場に責任を持って当たらせる、といった大胆な発想が必要だと思います。新JICAはこうしたドラスティックな発想に基づく事業実施機関であってほしいと強く望んでいます。青年海外協力隊はむしろそうした発想によっていたのだと思いますが、現在では制度や規則でがんじがらめにされ、JICAの援助プログラムの歯車にされてしまっているのではないでしょうか。

  5. 質疑の中で「日本人の思いや考えを効果的に国際社会に伝えるためには、国際機関経由のODA等のマルチのプラットフォームを活用して、国際社会に対するインパクトを大きくすることが重要。マルチ機関の活用を通じて、日本独自の援助を実施するよりも、より顔が見える結果となり得る。」との発言がありますが、これはあまりにもナイーブな考え方だと思います。今や国際機関(援助関係)はそれぞれその存続に関して多くの批判を受けています。また、資金不足に悩む機関も多くあります。彼らはより多くの資金を集めそれを途上国に配分することで、自らの事業量を誇り、途上国でのプレゼンスを高めることが、自身の生き残り策になっています。「日本の顔」より「自分の顔」の方が大切だと感じているのではないでしょうか。

  6. アフリカ支援の戦略性についても議論されているようですが、私自身は日本にとっての急務は、インド、中国を含むアジアでの国際協力戦略、南西アジアへの支援戦略の議論ではないかと思っています。アフリカにおける欧米主導の援助潮流議論に翻弄されていては、新しい日本のODA、国際協力は語れないのではないでしょうか。

  7. 阿部議員の海外経済協力会議に関する評価は、まさにそのとおりだと思います。ただ、「そもそもの問題は公開・非公開ということより、国民に対して課題を発信する力が欠如している点にある。」とありますが、結局議論が非公開であるがゆえに、国民への発信が義務化されていないと考えるべきだと思います。その意味では本会議の議事は公開し、多くの有識者からの意見や批判を受け入れるべきだと考えています。

2007/3/7
11:35

当方にて若干、編集(削除)しております。

今回、考えさせられた点は次の通りです。
  • 国際協力、貧困/開発問題、ODAをどのように整理するか。

    国際協力の推進や、貧困/開発問題の解決には、ODA(政府開発援助)以外にも民間(企業や市民)に様々な手段があるので、全体像を整理し、全ての手段の活用を探求した上で、真にODAが必要かを吟味すべき、との意見が出されました。

    このような意見を伺って、ODAの重要性を議論する前提として、(1)そもそも日本にとって、国際協力の推進や、貧困/開発問題の解決が、 どのような意味で、どの程度大事な問題なのか、(2)国際協力の推進や、貧困/開発問題の解決に向けて、他の手段との比較において、ODAがどの程度不可欠で効果的なのか、という2つの論点をクリアする必要があると感じました。

    前者の論点について、出席者からは、「日本政府には、世界に対する善意など必要ない。人のために日本が役に立つという議論はダメである。日本人が外国に行き、外国で活動するのは、日本が存立する唯一の道である。日本はそのための立場を維持し、強固にする必要がある。 そのためのODAである。このような議論をもっと展開すべきである。」との指摘がありました。「情けは人のためならず」など、「善意」の位置づけや理解は様々ですが、世界・他国が直面している問題が日本自身の問題に直結しているとの認識を、日本国内の幅広い層で、まず深めていくことが大切と感じました。(ODAが票になるには「まず国民が変わることが必要」との発言が印象的でした。)

    また、後者の論点について、私のバングラデシュでの限られた経験からも、民間企業の活動は極めて重要と痛感しました。しかし、日本のODAは、日本の民間企業の活動により全て補完できるものではなく、 ODAだからこそ解決できる問題や、ODAと民間企業の相互協力・相乗効果で初めて解決できる問題が本当に多いと、現場で実感しました。途上国での日本の民間企業の活動が本当に大変であるということは、多くの方がご存知の通りです。

    (1)国際協力、世界の貧困/開発問題は、日本自らの問題であること。 (2)ODAは、その解決のために不可欠で効果的なツールであること。 これを、胸にストンと落ちるように、如何に説明し、理解を広げていくかが、 メーリングリストに参加されている開発関係者、少なくとも私自身にとっての 大きな課題であり、そして役割ではないかと感じております。
     

  • 国際協力の担い手をどのように育てるか。

    もう一つ大切と感じた論点は、国際協力を担う日本人をどのように育てていくかという問題です。世界の他の多くの国と比較して、日本が平和で豊かになる中で、貧困・環境・平和・人権など世界が直面する多くの課題に取り組もうとする日本の若者が増えています。以前勤務したワシントンやバングラデシュ、そしてこのメーリング リストでも、そのような多くの大学生や大学院生と出会うことができました。

    しかし、実際に多くの方々から聞く話は、「国際協力分野の就職先・就職機会の少なさ」です。 開発問題に関心を持っても、JICAの競争率は極めて高く、国際機関に務める登竜門としてのJPOの競争率も同様です。ODAが減額する中で、バイの援助も国際機関経由の援助も少なくなり、コンサルティング会社やNGOを含め、更に国際協力のパイが小さくなり、ポストが減っているように思います。強い関心を持っていても、待遇面での問題を乗り越えられず、この分野でのキャリア形成をあきらめる人も数多くいるのではないでしょうか。

    席上の議論でも指摘がありましたが、人材育成に加えて、育成された人材が活躍できるキャリアパスが拡がるような取組を、具体的に進めていくことが大切と考えます。予算も知恵も重要です。 私自身、平和構築分野の人材育成事業を担当していますが、育成した人材が実際に就職し、活動できるような環境を整えることにも重点を置く所存です。 このような点について、単なる問題提起や「かけ声」に終わることなく、具体的な成果を生み出せるよう、TICAD4・G8日本サミットが開催され、新JICAが発足する来年に向けて、このフォーラムで議論を深め、参加する個々人の実際の行動につなげていくことができれば幸いです。

2007/3/10
01:11

当方にて若干、編集(削除)しております。

 

 

ODAの意味は4つのカテゴリーがあるのではないかと思います。
  1. 先の大戦における罪の償い
  2. 純粋に貧者を助けたいと思う気持ち
  3. 純粋に外交、防衛及び経済利権の強化
  4. 公共財の提供、日本のイメージの改善、いい意味でのコネやネットワークの強化などからくる日本企業の活動の側面支援

このうち1は意味がほとんど薄れているのでしょうが、2-4までのどこに重点をおきたいか、おくべきかということが論点なのだと思います。

日本人にとって利があるのは3と4なのでしょうが、ある程度2に起因した人助けをしなければ4における効果が薄れると思います。もちろん、4における経済関係の強化それ自体が、3における外交、防衛、経済利権の強化にもつながりますので、実際、これらはなかなか切っても切れない関係にあるのではないかと思います。

さて、活動の場の問題です。他のところはあまり知りませんが、ワシントンでのIMFと世銀に関していえば、日本人の職員数がかなり少なく、一生懸命探しているところです。少なくともIMFでは、オフィシャルに日本人はunderrepresentativeとされ、日本人の応募があれば少なくとも門前払いはせず、面接まではこぎつける率が高くなっているはずです。しかしながら、一向に改善の気配がみえません。

思うに、グローバルな労働市場での競争は国際機関にもあり、たとえば中国人であれば、大学からアメリカに来て大学と大学院で優秀な成績をとり応募してくる人が多いのに対し、日本人でこのような経歴を持つ人は少なく、その結果採用にむすびつきません。日本人ももっと英米に留学すべきだとは言いませんが、そうしない場合、英語のハンディを日本にいながらどう克服するかが問題ではないかと思います。日本において、日本語でできる国際協力の職場を増やせばいいのでしょうが、それはどうして増えないのでしょうか?これはODA予算の額にもよりますが、民間の活動団体がどうして増えないかということでもあると思います。やはり、キリスト教的な寄付心がなければ、民間の国際協力団体がなりたたないのでしょうか?

2007/3/10
10:15

当方にて若干、編集(削除)しております。

 

私は上記2の動機でこの世界に入りましたが、クライアントが日本政府である場合には、3、4にも十分配慮する、という姿勢で仕事をしております。

仮に3、4にしか興味のない方々でも、それらの意図を日本以外の人に説明する場合には、レトリックとして2を使わざるを得ないのだと思います(個人的にはイギリスにそれを感じます)。その際に、魂が入っていなければ、早晩張り子の虎であることがわかってしまうわけで、それを理解すれば、2の意味でも本気で取り組まなければいけないことになるのではないかと思っております。

「活動の場」の問題ですが、私も開発専門家養成コースに関わってきており、常に頭を悩ませております。最近の流れですと、いくつかの利益追求的企業のCorporate Social Responsibility (CSR)部門で、短期的にでも、働き口を求める方が増えているように思います。Bill and Melinda Gates Foundationがマラリアを始めとする感染症の分野で存在感を示しているように、民間部門が「本業」のみならず、CSRとしても、社会貢献する意義は大きく、それと国際協力をつなぐ人材も必要とされていると感じます。

2007/03/11 00:26

当方にて若干、編集(削除)しております。

 

日本は貿易立国で世界の国々と付き合わなければ生きてはいけない国だと子供の頃に習ったことを良く覚えています。そんな日本がここまで豊かになったのですから、それなりの役割を果たすことは当然だと思います。途上国の側から見ると、豊かな日本が援助を減らしていることに理解を得られるのかどうか大いに疑問です。国際機関へ出す資金も減り、日本の影響力が益々低下することも鑑み、もしかすると本当に危機的状況にあるのかもしれません。

上記2の「純粋に貧者を助けたいと思う気持ち」がなくては、そしてそれに魂が入っていなければ相手に見透かされてしまうというご指摘に賛同します。援助は世界の国々と共生するための手段でもあるのですが、相手の国に役に立たないものであれば日本にとっても意味がありません。途上国の政府も国民も本当に自分達のことを考えてくれているのか、それともただ単に資源確保や安全保障上の自分の利益だけを日本が目的としているのかは、ちゃんと分かると思います。(国際機関での選挙の時などに援助額を増やしても、これは相手に見透かされ効果が薄いのではないでしょうか。)

人のための援助を真剣に考えることが、日本の立場を維持・強固にしていくことにつながるのではないかと思います。

途上国の人々に本当に役に立ち感謝される援助を実施する為には、ただ単に無償・技協・円借款の組み合わせにとどまらない、援助の質の向上が必要では無いでしょうか。その結果として効果が上がって初めて感謝をされるのであって、金額だけが問題ではないと思います。援助関係者と して、金額が減っている今こそ質の向上のための知恵を絞る良い機会と捕らえて工夫をすることを心がけるべきなのかもしれません。

そこで、日本人や日本企業に限定するタイドの援助で本当に他の国に負けない質の高い援助が継続できるのでしょうか。タイドで続けるには優秀な人材が必要です。ODAの世界で大事な役割を果たしているコンサル業界で若い人を育てていく余裕が無いといった話を聞くと、日本のODAの将来に不安を抱きます。人が育てられないのであれば、いっそのことアンタイドにした方が援助の質の向上、コスト削減もでき、日本のためになるかもしれない、というのは自暴自棄気味でしょうか。完全にアンタイドと言わないまでも、ある程度海外のコンサル会社の参入を促し、競争を促すことで日本人も鍛えられるといった形にはできないものかと思います。また、日本人でも、NGO、民間企業、援助機関といった日本の組織の間で行ったり来たり、更に日本の組織と国際機関とを行ったり来たりすることができるような制度は作れないものでしょうか。

「非ODAの活力を高める税制や仕組みの検討も必要」というご意見に賛成します。新しい日本のODAを語るにあたり、確かにODAだけでなく、日本が、日本人が途上国の政府や国民と、どう付き合って行くのかという全体像を考える必要があると思います。投資や貿易を中心とした企業活動(例:日本企業の高品質な製品や日本のアニメ の輸出を通じた「日本」に対する好感、従業員を大切にする経営を行い投資先国で評判の良い日本企業、少数民族出身の師弟に毎年着実に奨学金を出して感謝されている企業等)、開発や人道援助を行うNGOの活動も含み、総合的に考えることが必要でしょう。援助も国際貢献の一環という言い方が良いのかもしれません。民間企業で働く方々やNGOも含めて日本の多くの人たちが途上国とのつながりを持つことがODAを含めた国際貢献に対する理解につながって行くのではないかと思います。

国益に関しては、英国の場合は外交を(国益も)あまり直接意識していなのではと思わせるような援助を行っており(開発の世界に身を置く者としてう らやましい気もしますが)、そのこと自体が英国の存在感を高めるという逆説的な状況を作り出し、これが実は最も国益にかなうものになっているのではないのかという気がしてなりません。もちろん、この裏には知的リーダーシップを果たしうる仕組みと人材があるのでしょう。この点は学ぶべき点が多いのではないかと推察します。

援助もある意味では競争の世界です。それはいかに役に立つ援助をするか、それをいかにアピールするかの競争だと思います。一見逆説的かもしれないですが、そのためには援助協調もひとつの手段です。他の援助国や援助機関の存在は、日本にいると東京でさえも日常的に意識することが無いのではないでしょうか。

2007/3/11
16:28

当方にて若干、編集(削除)しております。

ODAの意味、意義を考える上で、援助の継続性(或いは継続可能性)も大きな要素だと思います。

「実績」に留まらず、援助プロジェクトで見るべき成果を上げるには、とてつもなく時間がかかる場合が多いです。

それは、援助に直接携わる個人にとっても、資金を提供する政府など機関にとっても、大きな負担です。開発援助全体の中で、援助政策の研究調査、企画立案などは、投入する時間を比較的区切りやすい(「手離れが良い」という表現もできます)部分です。援助プロジェクトの実務は、その逆が多いでしょう。また、一旦手がけたプロジェクトを予算や個人的な都合で大した成果を見ることなく打ち切る時、ひどく後味が悪いものです。

そこで、どの国の、どういうプロジェクトに、どうかかわれば、極端な場合10年〜15年と継続できるのか --- 政府、世論、そして援助実務者、夫々が考えるべき一つの重要な要素だと思います。それによって、ODAの意味、意義が制約されることもあることでしょう。

2007/3/22
20:29
幹事から

当方にて若干、編集(削除)しております。

今回の問題提起(@国際協力、貧困/ 開発問題、ODAをどのように整理するか、A国際協力の担い手をどのように育てるか)をめぐる議論を拝見して、『「新しい日本のODA」の原点は、ODAの枠を超えた思考をすること』、と改めて感じました。

ODAは国際協力の一部にすぎず、ODAとそれ以外のチャネルによる協力、日本との関係をしっかり考えるべし、というご意見が多かったと思います。同時に、その際に、ODAのもつ意味(何のためのODAか)については、4分類(特に2〜4)の中のひとつに特化する必要はなく、複数を求めてよいという点でもコンセンサスが得られたのではないでしょうか。ただし、ご指摘があったように、単に外交上や安全保障等の観点から日本の立場を維持・強固にするためだけではなく、実際に途上国の国民のために役立つ開発成果・実績をあげてこそ、相手国と持続する関係構築ができるわけで、2〜4は相互関連している、という点にも留意すべきではないかと思いました。

人材育成、担い手の育成についても貴重なご意見を頂きました。人材プールが可能となるような仕組みづくりの必要性に加え、開発分野で企業のCSRへの取り組みが広がっていくこと(また、そのために必要な支援をすること)自体、国際協力に関る人材が活躍できる機会を増やし、またNGO、実施機関、自治体等との人的交流の拡大につながるのではないか、という視点も喚起頂いたと思っています。

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