ODA Salon
National Graduate Institute for Policy Studies |
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「新しい日本のODA」を語る会 |
Last updated 25 May 2007 |
コメント紹介コーナー |
第8回ODAサロン:幹事による第8回会合の概要 |
【幹事からの冒頭発言のポイント】
【意見交換・質疑応答】(主に参加者からのコメント、提案) 議論のポイント
(以下、主な論点) ODAの戦略性
発信メッセージを考える留意点
対外発信メッセージとしての「卒業のための支援」
日本らしい援助
【雑感】 私達としては、今後、広くご意見をいただきながら、マニフェスト案を修正・追加し ていきたいと考えています。今回の論点となった事項を中心に、皆様からも具体的な提案を歓迎いたします。 最後になりますが、「戦略的な援助をどう実現するか」という視点から、北野充氏 (在米日本大使館公使/前在ベトナム日本大使館公使)がベトナムでのご経験に基づいて執筆された提言書を、今般、GRIPS開発フォーラムから刊行させて頂きました。 「新しい日本のODA」を語る会の論点と重なるところも多く、有益な示唆が散りばめ られているところ、ご紹介させて頂く次第です。 北野充著 『戦略的な援助をどう実現するか〜ベトナムにおける日本の取り組み』 |
コメント | |
会合出席者からのコメント
2007/4/26
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課題 「国際的な援助潮流をリードする」 問題
基本的考え方(追加的提案)
マニフェストのイメージ(追加的提案)
*** 補足コメント
***最後に |
2007/4/29 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
日本らしさとは・・・ ODAサロンで配布された資料を拝見し、理念と戦略から、ODA予算、アフリカ支援に至るまで、 ODAを巡る主要な課題と、各々の問題の所在と考え方、そして処方箋の案まで整理した全体像が提示され、大変勉強になりました。 特に、今回の「日本らしい援助」の是非と内容についての議論には、本当に考えさせられました。確かに、「日本らしさ」を強調しすぎると、国際機関や他国から「それじゃあ勝手にやれば」とそっぽを向かれる可能性もあります。また、自らの手を縛ったり、途上国のニーズや優先順位を棚に上げて日本の都合を押しつけているとの印象を与えるおそれもあります。しかし、それは「日本らしさ」の定義次第ではないかと思います。過去の日本の歴史や伝統のみにこだわるのではなく、あるべき未来の世界の姿を日本が自ら構想し、その実現に向けて努力すれば、それが「日本らしさ」とも言えるように思います。 ある意味、「日本がやること、やりたいことが日本らしい」のかもしれません。「日本らしさ」とは、「途上国のニーズ」や「世界のベストプラクティス」と背反するものではなく、それらと「日本の内にある知恵」の全てを見据えて考え抜き、切磋琢磨し続ける中での、「日本が正しいと考える道」ということではないでしょうか。 日本だけで取り組むのではなく、日本の中の普遍性を世界のパートナーシップの中に広めること、日本が自らの行動を起点に世界の潮流をリードしようという姿勢が大事だと思います。そのような観点から、今回提示された「卒業のための支援」や、環境・省エネ重視といった具体的なアプローチを深めていくことが、正に求められていると感じております。 このような「一般論」を地に足のついたものとするためには、個別の国・地域の現場における、政治状況の深い理解や、分野毎の政府や他のドナーとのパートナーシップが不可欠だと思います。以前、 途上国に勤務した際に実感しましたが、日本だけではリソースは限られており、大ドナーである世銀やADBなどの資金や分析能力、そしてプレゼンスを活用すれば、日本として望ましいと考える支援が一層効果的に実現できる場合も多々あります。そのような観点から、途上国での現地機能の強化、援助協調への能動的関与は、既に取組が進められている通り、まさに優先課題であると考えます。このためには、要員も資金も必要です。 このような論点の整理と共有、そして議論の深化を通じて、日本や世界各地にいる開発関係者のベクトルの向きが揃い、 効果的な開発援助につながることを期待しております。 |
2007/5/4 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
第8回の報告を拝読しました。ODA二分論、二枚舌戦略など、私自身は納得させられるところが多くありました。ほとんど賛成で、気になった点が一つだけありましたので、その一点について 述べさせていただきます。 「卒業のための支援―Aid for Graduation」について 当然のことながらキーワードは卒業です。察しますに、卒業は、援助する日本人側にすれば「いつまでも援助するわけではなく、早く卒業させたいのだ」ということで日本人に安心感を与える一方で、途上国側には「卒業まで面倒を見ますから」という責任感を示す、というご趣旨であったかと推測します。その思いは十分理解できます。 気になりましたのは、途上国側が「日本は早く卒業させたがっているのか」、とか「卒業させて手を切るつもりか」というふうに解釈しないか、ということです。そんな意図でないことは、私自身は分かっているつもりですが、そのように途上国側に思われないためにはどうしたらいいのか、と考えさせられました。
当然のことながら問題になるのは「卒業」という言葉で何を意味しているのか、ということです。ある国が卒業する、とはおそらく、援助がいらなくなることだけではないと思います。成熟して、少なくとも何かの分野で世界や国際社会をリードしてくれる、日本と対等の助け合いの国になってくれる、ということか、と思います。しかしそれが「卒業:graduation」という語で伝わるか、という問題があります。英語の卒業式には「始まり」を意味するcommencementもあると聞きます。本来の卒業の意図は、unilateralな援助から、真の意味でのbilateralな「助け合い」のフェーズに移ることかと思います。しかし、それをうまく表現できる言葉が自分では見つかりませんので、皆様にお知恵を拝借したいと存じます。 |
2007/5/4 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
卒業に関して 途上国が晴れて「卒業」し中所得国になったとしても、一夜にして縁が切れるのではなく、(ODA実施機関が関与するかどうかは別として)我々の関与は継続するのだろうと思います。 一つには、中所得国は(世界規模の経済危機など)外的ショックに対し脆弱な点です。世銀資料によりますと、1980年以降、38ヶ国が中所得国から低所得国へ転落しています。そのうち中所得国に復帰できたのは10ヶ国程度に過ぎません。投資環境や市場での資金調達脳得力は中所得国間でバラツキがあり、インフラ投資に向ける資金も恒常的に不足しています。またガバナンスや政治システムも盤石とはいえません。 第二に、世界全体の貧困層の8割が中所得国に存在します。第三に、気候変動、感染症など地球規模の課題を克服するうえで中所得国が鍵を握っています。 これらについて、「卒業したんだから君たちだけで解決しろ」というのは非現実的で、先進国の積極的な関与が不可欠であろうと思います。卒業に関して明確な基準と手続きが規定されているマルチの援助機関ですら、卒業後も様々な形態(例えば課金ベースでの技術協力)を通じて関係を維持し、また上記の経済ショックなどで卒業国がひとたび苦境に陥れば援助を再開します。 また二国間ドナーには明確な卒業基準がないこと、特に米国は安全保障や民主化といった政治的な動機に基づく援助や議会主導のプログラムは、(卒業の主要な判断指標である)所得レベルとは無関係に実施されています。(英国の場合はそもそも低所得国・アフリカが主力で、インドのような政治的に重要な国を除けば、卒業問題に頭を悩ますことはさほどないのでしょうが。) いずれの場合でも、卒業プロセスには数年の移行期間を設け、相手国と十分協議を重ねることが前提となっています。 ODAなど公的援助という外国の介入は、不可避的に政治性を帯びます。特に二国間援助の場合は、卒業判断は所得レベル以外にも外交関係、本邦民間企業の活動など様々な要因が考慮されます。ODAの範囲内で考えると窮屈になってしまいますが、卒業とその後の関わりはより広い視点で議論したほうが有効な気が致します。 |
2007/5/5 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
「卒業のための支援−Aid for Graduation」について 途上国の人たちの中には、「卒業」に不安を感じる人たちや、更には卒業にメリットどころかデメリットを感じるような「現状維持・既得権益擁護派」もどこかにいることでしょう。バングラデシュの場合にも、政府の指導層は、援助依存でなく自立の軌道に乗っていることを再三強調していましたが、人によっては、「バングラデシュの最大の商品は『貧困』であり、それがなくなると世界からの関心が薄れ、善意が離れてしまう」と心配する向きもありました。 これに対しては、先進国や援助機関が引き続き積極的に関与していく姿勢を示すことが有効ではないかと思います。 例えば、アジアの中で、卒業した国や、卒業間近な国から、卒業時には、貿易・投資等を通じて、これこれの新たな便益(メリット)が得られるといった具体的な事例やイメージを提示してもらうことも 一案かもしれません。このような貢献は、日本外交の新たな柱として打ち出された 「自由と繁栄の弧」にも沿うものではないかと思い す。 外交フォーラム4月号の特集での座談会の中で、日本を40代半ばの壮年に喩えつつ、成熟した大人の国として、国際社会を構想する経験と国力がある日本が、大国としての責任を果たすために何をすれば良いのか、回答する一つの試みが 「自由と繁栄の弧」である、との言及がありました。「卒業」から「自立・繁栄」への道筋を示すことは、日本やアジアの経験を最大限に生かせる貢献の一つではないかと感じております。 |
2007/5/5 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
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2007/5/11 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
ODAサロン幹事より 「卒業のための支援」と「日本らしい援助」について、皆様のご意見を読んで感じたこと、言葉足らずだったことを補足させて頂きます。
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2007/5/11 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
「卒業のための援助」につい て 私は良いと思います。途上国側のいつまでも援助に頼るというメンタリティー、援助を既得権益と考える傾向は、はっきり言って大問題です。アフリカからの学生さんたちが援助依存体制から脱却したいと望まれるのも、(「富国強兵」もですがちょっとおいて置いて)「関税自主権」を一日も早く得ようとしていた時期もある日本人には理解できる気持ちだと思います。途上国の人たちが援助を受け続けることで、誇りをもてない状況にある。そういった意味で人間の尊厳にも係わる問題ですし、「自助努力」を促すという日本のスタンスに反します。ですから、ヴィジョンとして、「卒業のため」とするのはとても良いと思います。ただし、あまり厳密に、どうなったら卒業など詳しく既定しないほうが良いと思います。「卒業のため」と言ったことでどう違ってくるのかは、はっきりしないといけません が、これはODAサロン幹事からのご説明でよろしいかと。別の言い方をすると、経済開発と社会開発という車の両輪で進むこと、ついでに言うとガバナンスという車軸を強くすること、こういったことをお手伝いするというのはいかがでしょうか。 ガバナンスをここで敢えて持ち出したのはなぜかと申しますと、これは「自由と繁栄の弧」 で紹介された外交の「新基軸」と呼ばれるものに通じるからです。このなかで市場経済というものと同時に民主主義、法の支配、基本的人権の尊重といった「普遍的価値」が重要(かつ相互補完的である)ということを日本が言う、これを援助等様々な手段で支援するという言行一致が有用かと考えたからです。このような普遍的価値が中国との違い、これらを押し付けないで一緒に悩み努力するのが他の援助国との違いでしょうか。 日本らしい援助について これは、現場では危険です。とまあ、ちょっとセンセーショナルに言いましたが 、ご指摘があった通り、えてして内向きの「日本らしさ」に間違って理解される恐れが大変に大きいと思います。昔々は日本の援助だから日本の経験の移転ではないといけないと考えられていたようですが、今はそんな了見の狭いことはおっしゃらないかと思いますが、実際のところそうでもないようです。特に専門性が軽んじられている場合に起こりやすいような気がします。ですから、「日本らしさ」は日本の経験(や東アジアの経験)をそのまま持ってくるのではないということを、口をすっぱくして言い続けないと、どうも勘違いする恐れがあります。 そもそも日本自身の経験は、世界からその時代のグッドプラクティスを導入し、それを日本なりに消化したという歴史です。この経験については三つの意味があるのではないかと思います。ひとつは、或る特定の国のモデルにこだわらず、それぞれの分野で「グッドプラクティス」と思われるものを取り入れたこと。(畜産はクラーク先生のアメリカからでしょうか。立憲君主制は、プロシアでしたっけ。植民地は「欧米列強」から導入?すべてが良かったわけではありませんけど。)それから、世界共通の「ベストプラクティス」でなく、日本に合った「グッドプラクティス」だったこと。三点目は、日本型の制度に消化しているところです。今なら、これに負の経験(例:公害)も参考になる。 こういったことを踏まえて、ある方のブログで書かれている意見に賛成します。
現場のセクターレベルから見ても、日本の経験だけでは手足を縛られた形になってしまい、本当に相手のニーズに合った効果の上がる支援ができないのではないかと思います。ではその分野で日本に人材がいなければどうするかといえば(アンタイドにしないなら)、それは人材を育てるしかない。やりたい援助ができるように、人を育てる。最初は、マルチの機関にやらせてあるいはマルチも含めた他の機関と一緒にやりながら、日本からも人を出して経験を積み、ゆくゆくは日本が日本人のやり方でできるようにする。こうして、目の前の「比較優位」でなく、優位性を作り出していくというやり方は、実は日本自身の経験なのではないでしょうか。かつて比較優位にこだわっていたら、今日の日本の自動車産業はありませんでした。先人の知恵をここで生かしたいと思います。 さらに、世界のベストプラクティス(グッドプラクティス)の中で、実は言語の問題もあって日本の経験が十分吟味されていないこともあります。その場合、日本にはこんな経験がある、こんなことで成功し、こんなことで痛い目にあった、ということを伝えて行くことが日本の貢献です。発信の大切なところですね。その際、経験そのものより日本の経験はこれこれこんな要因があったからうまくいった、これは他の国の例やあるいは既存の理論で言えばこれにあてはまる、といった風に分析してもらわないと、日本は特別だから経験は移転できない、と言われてしまいます。他の機関からの議論に耐えられるものが必要ですが、これはまず発信し、議論の土俵に乗らないと話になりません。 もう一度言いますと、日本の制度をそのまま移転することを日本の経験と思わないようにということを強調していただきたいと思います。 選択と集中について 「車の両輪と車軸」の話をすでにしたので内容には触れませんが、日本が被援助国すべてに対して一律に選択と集中のテーマを押し付けるのであれば、どうかとおもいます。あくまでもその国の状況に合わせて、対話に基づいてというスタンスが基本ではないでしょうか。(ウイリアム・イースタリー教授のおっしゃるplannersよりsearchersに、という路線に賛成。) |
2007/5/13 当方にて若干、編集(削除)しております。 |
日本らしい援助について
この考えに同感です。そして、ご指摘のとおり、日本の経験については狭い了見では失敗します。 私が今までの事業を担当した経験だと、日本側が協力の際に利用したやり方(他国や他機関のpracticeであっても)すべてが日本の経験ぐらいのいいかげんな定義で行うことが、むしろ、よい援助を行う道だと思います。 自分の経験ですが、JICA中部で研修受け入れを担当していたときに、日本福祉大学の大濱裕先生が力説した、日本の経験は途上国に有効だがうまく相手国側での生かし方を考えてつたえなければいけない、という考えが非常に心に残っています。 98年ごろに今のミンダナオ支援のさきがけのひとつであるミンダナ オ保健行政研修受け入れを愛知県のNGOであるアジア保健研修所に委託したときは、ミンダナオ研修員に日本の先進技術を教えるのでなく、「あなたたちの問題はあななたちが考えなさい」ということを考えるヒントとして日本の地域の事例を教えたので、かえって歓迎されたということもありました。また、そのときは、JICAのフィリピン母子保健の日本の専門家の活動を教材に使ったのですが非常に好評でしたが、これもまさに「日本の経験」でしょう。 JICA中国で勤務した時は、日本の経験を途上国の研修員 に伝えるカリキュラムつくりを考えるときに、やはり日本の経験の背後にある日本の社会システムを研修員に理解してもらいつつ、研修員に応用を検討してもらうことをよく考えたものです。 シエラレオネの国際協力セミナーのときは、日本繁栄の源が、よい社会システムであることを上級行政官の方々にわかってもらうのが第一でした。そのなかでinsetという言葉を教育担当行政官に理解してもらったのは広島県の関係者ともどもうれしかったことです。 insetとは現職教員再教育制度の呼び名ですが、この言葉がアフリカで日本が行う中等理数科教育強化計画のキーワードとなっています。途上国でも応用できるシステムをどう形成するか?途上国のひとたちがそれを考えるヒントを提供するとき、日本国内の経験だけでなく、日本が途上国にて実施した協力経験を利用、ときにいい事例なら外国援助機関の経験も事例としてとりいれればよいのです。途上国のよいシステムづくりに寄与するために日本が選択し示したこと、それらは 全て広い意味で日本の経験でしょう。 ニジェールのJICAプロジェクトである「みんなの学校」が世銀の支援でもって拡充されるというプレスリリースが出ましたが、これも日本の経験が国際社会に認められたといっていいでしょう。 そういった意味ではinsetや中等理数科教育強化計画(SMASSE) などの用語もグローバルスタンダードになる日は近いです。 よく、日本はマイクロファイナンスの事例が国内にないので、その協力ができないという話を聞きますが、これも考えを変えれば、日本のNGOが海外でも行ったマイクロファイナンス事業や協力隊員が現地で経験して活動したマイクロファイナンス事業や専門家やコンサルタントが他国の事例を学んで身につけたマイクロファイナンスの実力、それらもすべて日本の経験です。ですから、日本は経験をもっていて、協力もできる分野だと思います。 |
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