20. 食の安全と農村の発展

さて、8月中旬にハノイ近郊のバクニン省の農家を訪問してきた。一応今でも私の専門分野は機械産業、特に電機電子産業のつもりである。しかし、UNIDOでの仕事は残念ながらそこまでたどりつかないのが常で、今のところもっぱら接触が多いのは繊維・靴革・食品加工・紙などの産業である。ベトナムではそれらが実際主要産業なのだから致し方ない。が、それはそれでおもしろいこともある。ひとつの分野を深く知るのも楽しいが、今まで知らなかった分野に係わるのも楽しい。そんなわけで、今回は、Global GAP (Good Agricultural Practice) のトレーニングのために招聘したイギリス人専門家について農村にも行ってみることにした。 

私は農業には係わることがなかったので「ド」のつく素人である。ただ、もちろん興味はある。まず人間は「生きるために食べるか、食べるために生きるか」というくらいものである。食べなければ生きてはいけないが、それ以上に食べることは人生の大きな楽しみである。そして、私はアメリカ留学この方自炊することが多い。20代後半から海外での1人暮らしが続いているので、外食を続けることにはかなり飽きがきているのである。もちろん簡単なものしか作らないけれど、それでも自分で油の量や味をコントロールできる自炊の方が心地よいときも多い。このため、肉・野菜などを市場に買いにいくことが多い。週末にそそくさと市場に出かけ、買い物袋をさげて帰る様は「男やもめ」とよくからかわれる。というわけで、市場の肉・野菜の安全には多少敏感である。毎日口にしているものは大丈夫かなぁ、農薬とか体に蓄積されていたらやだなぁ、とよく思う。あまり考えてもそら恐ろしくなるだけなので、気にし過ぎないようにしているのだが。 

さて、バクニン省では、野菜をつくっているCooperative”(農作者の共同体2つほど訪問した。そのふたつとも、「現在 ”Safety Vegetable” プロジェクトに参加しているんですよ」とのことであった。いわゆる低農薬・低化学肥料野菜のようである。もちろんまだ生産量はそんなには多くないが、地方・地域政府機関の技術的支援を得つつ試験的に行っているとのことであった。作物は玉ねぎなど、いろいろのようである。無知な私としては、ベトナムでもこうした動きがあることは結構新鮮である。どこに売っているんですか?と聞くと、「まずは地方もしくは地域の役人の家族がプロモーションの一環で買います。そうすれば、一般の人も興味をもち、信頼感をもつでしょうから。また、それ専用の店(市場での出店?)もあります」とのことであった。ただ、課題も多いよう。まず、「安全でも外見がよくないと売れない」とのこと。これは日本でも一緒ですね。そして、次には試験の問題である。マニュアルどおりに作っても、作物が本当に安全かは試験しなければ分からないが、現在は十分な試験体制が整っていないとのこと。このように、まだまだ道のりは険しいが、是非安全な食品を消費者に届けるように頑張ってほしい!ちなみに、ベトナムでも有機野菜の栽培も始まっているようだ。ベトナムの富裕者層もかなり食の安全には敏感になっているようである。 

さて、さらなる食の安全の促進には何が必要なのやら。私が同行したイギリス人の専門家によると、まずは消費者の意識の高まり。もちろんベトナムではまだまだだが、ただそれでも都市部では所得が高まるにつれ大分意識は高まっているような気がする。ベトナム料理の名物のひとつは空芯菜のにんにく炒めであるが、所得の高い人たちの中には「空芯菜は汚いところで栽培されていることが多いから」といって口にしない人たちさえいる。次に、大型のスーパーマーケットが増えること。彼によると、消費者のクレームに敏感でかつ逃げられないスーパーの存在意義は大きいのだそうだ。さらに、仕入れ量の多いスーパーは供給先に対してあれこれ要求することができる、つまり交渉力がある。そして最後に、大型スーパーなどのきめ細かい要求に応じられるように、大型の農場が多くなること。ベトナム北部では平均面積の大変小さい農地を保有する農家が多いようであるが、その合併を促進したほうがよい、とのこと。 

ふーん、と思っていたが、日本の某NGOの代表であり、ホアビン省で農村開発をかなり地元に密着して行っているさんの意見は上のものとは異なる。まず、現在のベトナムでは、生鮮食品をスーパーに買いに行く人はあまりいない、というか、質の良い生鮮食品がスーパーで手に入らない。それはその通りで、だから私も市場に買い物に行くわけである。次に、北部で農地の平均面積は小さいことには理由があるとのこと。まず、以前はソ連的集団農場みたいなことをやっていたが、個々人の意欲が上がらず生産性が低かった。そこで農地を個人に分配したところ、生産性が格段に上がったとのこと。いまさら合併したら、現在そこで働いている人たちはどうすればよいのか。雇用を吸収する手段はあるのか。また、南部メコンデルタのような広大な平地があるところならいざ知らず、北部の山岳地帯では大型の農場は作りえない、そうだ。 

そのようなわけで、さんは、それぞれの国や地域に合わせたやり方が必要で、大型スーパー促進、大型農場促進はどこでも適用可能なわけではない、そして、小さい農家にはそれに応じたやり方があるはず、と考えている。たとえば、小さな面積でも多品種・高品質の野菜を作る柔軟な生産体制を築くこと。これは、昔私が勤務した工場で促進したセル生産方式と似ているなぁ。また、野菜など生鮮食品の保管・輸送手段が発達していない現状では、作物の市場は地域もしくは近隣省内の市場(いちば)である。そして、この場合は生産者・市場・そして購買者がかなり近い、顔の見える関係にある。ここでの問題は、それぞれかなり近い関係にあるにもかかわらずお互いの信頼関係が欠如しているとのこと。市場の人は農家を信用できないといい、購買者は市場を信用できないという。これでは安全な野菜も信用されないだろう。これらのネットワークで情報交換を促進し、信頼関係を築くことが大事では、とさんは言う。 

ベトナムでは大型スーパーはまだ早いのでは、という点は私も考えたのだが、イギリス人専門家いわく、「そんなことないよ、タイやマレーシアを見てみろ。TESCOなどの大型スーパーがかなり増えている。所得が上がるにつれてベトナムもすぐそうなるよ。まして最近WTO加盟の関係で外資系スーパーの進出も合弁形式で2009年から認可されるようだし」。さてさて、どちらが現実になるかわからないが、いずれにせよ小さな農家はどうなるのだろう。 

信頼関係がない、というのもうなずける。極端な例だが、あるとき日本人学校の小学生達が、社会見学の一環である市場に出かけた際のこと。子供達はみかんを買ってきたのだが、なんとよく見ると全てのみかんは腐っていたとのこと。うーん、悪い奴はどこにでもいるものだ・・。まあ、ベトナムに限った話ではないが、こんなことで信頼関係など成り立つはずもない。 

と、あれこれ考えているふりをしながら、私は今日もぼーっとして市場へ出かける。信頼関係という話だが、市場での買い物には暗黙のルールがあるよう。たとえば、同じ野菜売りの出店が並んでいたとして、今日はこっち、明日はあっちの店というのはご法度のようだ。同じ店に通えば、最初は高く売られていても、だんだん値段を下げてくれるそうだ。「一見さんお断り」って感じだろうか。  

私も某市場で野菜を買うときは、いつも同じ、なんとなく品のよさそうな笑顔のおばちゃんのお店に行く。外国人であることは一目瞭然の私にも、ぼったくっていない、少なくとも法外にはぼっていないと思う。いつも言い値で買っているが、いろいろな野菜を詰め合わせで一袋買っても100円くらいだし、値切る必要も感じないのだが。 そういえば、本日玉ねぎをおもむろに2つ買おうとておばちゃんに渡したら、なぜか重さを測っているとき、私が選んだうちのひとつをのけて、別のやつを選べという。ん、と思ったらその玉ねぎの裏を見せて、これは黒くなっているからよくない、と。へー、とちょっと感心。おばちゃん、食の安全をありがとう!でも本当は、不良品が市場にでてこないのが一番いいんだけどねー。  

20088月)

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