21. 海外での散髪事情 時が経つのはあっという間で、前回の稿からあっという間に8ヶ月が経ってしまった。日々死ぬほど忙しいというわけでもないのであるが、文章を書くひらめきが有るときと無いときがあるのは否めない。しかも私は元来、出不精(デブ性ではありません)なので、そうそう常に新しい事象に出会っておらず、毎日昼にカレーを食べ続けるイチローほどではないが、結構パターン化された日々を送っている。工場勤務時代に自分自身が徹底的に標準化を促進していたからだろうか。さらに、筆不精ときている(不デブ性でもありません―食べたら太ります)。E-mailに対する私の返信のスピードは通常の郵便ハガキのやり取りと変わらない、携帯電話を「携帯していない」ので意味がない、と友人からコメントをよく受ける。また、あまりに音信不通なので最初は生きているか死んでいるか心配だったけど、何かあれば連絡が来るので何の連絡も無いのは生きているしるし、とは我が母の言葉である。それにしても、定期的に原稿を書く作家というのは本当に凄い仕事だと思う。昔、タフツ大学に講演に来た村上春樹氏は、「小説家は体力です!」と豪語していたが、それもうなずける。 余談という名の言い訳はこれくらいにして、本題に入ろう。私は散髪が好きである。なんとなく気分も新しくなるので、月一回は基本的に行きたい。しかしその一方で、いちいちどういう風に切ってくださいと説明したりとか、自己紹介をしたりとか、そういうのはとても面倒くさい。できれば行って黙って寝ている間に散髪が終わって帰るのが理想である。日本にいるときは、小学生のときから地元の床屋に通っていた。見かけによらず頑固で意固地な私は、実は子どものときから人の言いなりになるのがとても嫌いで、私が思ったとおりに散髪してくれない理容師は次から断るという、いたってかわいくない子どもであった。そんなことを繰り返すうち、私の意思をとてもうまく汲み取ってくれて、なおかつ自分のアイディアを加えて切ってくれる理容師に出会い、その人が担当になってからは全幅の信頼を置くようになった。高校時代から始まって、イギリス→マレーシア→アメリカ→ベトナムと場所を移動しても、一時帰国の翌日にはその床屋に行き、その理容師の方に散髪してもらっていたものである。なにせ日本の床屋は、値は張るけどサービスが行き届いていて本当に素晴らしい。とくにお気に入りの理容師を見付けてからというのも、寝ていても思うように出来上がっているので、これは極楽である。 それにくらべて、海外で本当に良い散髪屋を見付けるのは難しく、それは海外生活の大きな悩みのひとつである。海外で初めて髪を切ったのはイギリス・ヨーク大学留学時代である。大学の近くの小さな美容室に行き、英語もままならずとりあえずパスポートの写真なんかを見せながらなんとか説明したものである。結果は・・・前出の日本での行きつけの床屋のオジさん(昔はお兄さんだった)が1年後の帰国時に言った感想が正確であろう。「いやー、これはひどい切り方をされているねー。カリメロみたいだ、あはははは」。まず、ハサミを使わずにいきなりバリカンで刈られるのが衝撃的であった。そんなのはスポーツ刈りにしていた中学生以来である。しかも、帰りには美容室のおばさんは笑顔で、「次からバリカンの度数は自分で覚えていてね」と笑顔で言い放つ。大体において、西洋人と東洋人は髪質が違うと思う。適当な切り方でも色の違いからかある程度の格好がつく西洋人と違って、残念ながら黒髪は結構ちゃんと切らないとさまにならないのである。 イギリスから帰国後、3年弱の日本生活でしっかり髪型も修正され、時代の流れにのって少しだけ茶色にしていたところでマレーシア駐在である。マレーシアでは知り合いの紹介で最初に行ったホテルの美容室に行きつけになり、その後、担当の女性が自分で店を開いたのにつれて私も移動した。技術は完璧ではなかったが、イギリスよりかなりましであった。私を担当してくれた女主人はとても綺麗な人で(断っておくが別にそれが目当てではなかった、と思う、たぶん。子持ちだったし)、日本にも行ったことがあり、日本のファッション雑誌なんかも店においていた。まずいきなりバリカンで刈り始めるのでなくハサミを使ってくれるのがよかった。前出の日本の行きつけの床屋のおじさんの感想は、「まだまだ粗いけど、イギリスのときよりだいぶましだねー」ということであった。私は一時帰国時に日本で切った髪形を何とか再生してほしく、女店主に「この1ヶ月前を想像しながらカットしてくれ」とよく頼んでいた。まあ、完璧ではないが、ある程度はコピーできていただろうか。しかし、今思えば、マレーシア時代は見かけにはほぼ気を配っていなかった。20代後半の男盛り・遊び盛りだったのに・・・・。工場は超男くさい世界である。朝は顔洗って、髭そって、寝癖直して終わりで、 整髪料なんかほとんど使わなかった。念のためであるが、清潔さには気をつけておりました、はい。 さて、そしてアメリカ大学院留学時代である。こちらではイギリスの経験が生きた。最初に行った床屋では、やはりバリカンでばりばり切られて、頭も肩も髪だらけで、しまいにドライヤーで髪を吹き飛ばされて体中髪だらけになり、「終わったよー」と店からたたき出される感じであった。その代わり早くて安かったけど。$10くらいだったかなぁ。やっぱりイギリスと同じパターンかと思い知り、その後は、アジア人の経営する美容室を転々とした。最初は、夏休みの間だけ英語コースに通っていたボストン大学近くの香港出身の若い男性店主の経営する店へ数回行った。こちらはまあまあであった。ただ、一度その若店主が「今度日本人の女性を雇ったんだ。お前は日本人だし、今回は彼女にやってもらってもいいか?」と言ってきた。そりゃいいや、と思ったのだが、どうも髪を切り出したその女性の手先がおぼつかない。不安になったのでよくよく聞いてみると、「実は、男性の髪を切るのは初めてで・・」。結局途中で香港人の若店主が見るに見かねて交代する羽目になった。うーん、日本人だからって安心できない・・・。その後はフレッチャースクールでの学期が始まったので、大学の近くを探し、ポータースクエアの日本食材屋が入っているビルの地下で韓国系の人が経営する美容院に落ち着いた。こちらはあまり大きな問題は無かったような気がする。 そして、しばしの日本滞在を経由して。いよいよベトナムである。最初に行った2つの美容院では、やはりいきなりのバリカン攻撃にあったので、もう絶対行かない。次に行った事務所の近くのオフィスビルの下にある美容室はまあまあであった。こちらはシンガポール人が経営しているせいか、店員のハサミ裁きも悪くない。しかも、かなりもベトナムにしては垢抜けた綺麗な女性の店員が数名いるのだが・・・私はごつくて無愛想な感じの男性店員に落ち着いた。年食ったとは思いたくないが、散髪に来てまで愛想を振りまかなければならないのは少々かったるいのである。何、別に誰もお前の愛想を求めていないって?それに、かわいい女性だと上手くできていないときに文句が言いにくい。その点、無愛想ながらもくもくと仕事をこなし、文句を言えばある程度の対応をしてくれるその男性美容師には好感をもった。が、髪を洗った後にドライヤーをかけずに整髪料をつけて終わりにしようとするところだけはいつになっても直らなかった。風邪ひくよ、と言っていたのだが、ベトナムではそういうものなんだろうか。そういえば、前の職場の女性とかは、朝、家で髪を洗って、そのままバイクで髪をなびかせて通勤し、「天然ドライヤーよ」と胸を張っていた。いやー、排気ガスや埃がつくと思うんですけど・・・。 で、相変わらずの流転の末にたどり着いたのが、最近友人の日本人女性事業家Mさんがオープンした美容室である。ここは全くもって安心である。私のでこぼこ頭を分かった上で上手く髪型をアレンジしてくれ、しかも季節によって多少長さも調整してくれる。気分を変えたいときは、微妙に変更してくれる。寝ていても平気な安心感、ああやっとたどり着いた極楽。もっとも、友人の女性オーナー及び担当の美容師さんは大阪出身、話していると漫談みたいになってくるので実際は寝ていない。まあそれはそれで面白い。これで顔剃りなんかもあったら最高、と思うのだが、そこは理容室と美容室の違いで、顔にカミソリは当てられないようだ。いずれにせよ、これでベトナムの散髪も一安心である。 それにしても友人のMさん、目の付け所がさすが事業家である。MさんはもともとTMトラベルという旅行会社を経営しており、ハノイの日本人は皆、散髪に困っていることに目を付け、店を開いた。需要は分かっていてもビジネスを始めるのには二の足を踏むのが通常だが、Mさんは違った。いやいや、日本の若手事業家もなかなかどうしてたいしたものである。日本は企業のチャンスが無いだけで、やればできる人っているんだなぁ、とその決断力と実行力に感服する。 と、長々と散髪の話を書くと、読者はさぞや私がカッコいい髪型をしていると思われるかもしれない。が、私を知る人はお分かりの通り、全然たいしたことない。よく一緒にテニスをする友人はこう言う。「いろいろ言うけどさー、正直言ってその髪形のどこが改善されたのかよくわかんないんだよねー」。全く失礼な、それは違うよ。美容師さんは格好良く切ってくれているのだ。ただ、毎日それを自分で再生できないだけでね。友人に会う週末は全くラフで整髪料もつけず、寝癖こそ無いもののほとんど寝起きの状態だし。平日はもう少しちゃんとして、美容師さんの技術を見せるようにしているのです。寝坊してない日で、余裕がある日で、どうしても小奇麗にしなければいけない日は、ね。 要はさっぱりとした気持ち、それが大事なのです。 (2009年5月) |