アフリカはなぜ成長しないか:経済学者が見るアフリカと国際支援
本書が目指すのは、初めてアフリカの経済を学ぼうとする皆さんに、
蔑視や美化という色眼鏡を通さず、曇りのない眼で、ありのままにアフリカを見つめる目を養ってもらうことである。
そして、アフリカを世界の経済のなかに適切に位置づけながら、アフリカの経済を日々動かしている、
内的なメカニズムへの関心を持ってもらうことである。
「アフリカ経済論」序論、3ページ
ありのままのアフリカを、我々自身の目で見るための指針として、今回は、二冊の経済学の書を選んだ。そこに存在する数百と言われる民族や48もある国家を、「アフリカ」というひとつの言葉で括ってしまうことは困難である。それでも、サハラ以南のアフリカの経済成長率が他地域より低いということは歴然とした事実であり、多様性を認識しつつも、南アフリカ、
ボツワナといった一部の例外国を除いた多くのアフリカの国々に共通する低成長の要因が見つけられるのではないか。ここで取り上げる2書は、「各々の国民経済に分割して語っていてはつかみ出せないなにか」(「アフリカ経済学宣言」1章、5ページ)をアフリカ経済学の先行研究や独自の調査から提示しようとしている。
この2冊の書は、アフリカの社会や国家というものにアプローチする際の本源的問題意識を、経済学の視点から多面的に切り取っている。まず、第一に、国際社会において厳然と認知されているアフリカの政府がどれだけアフリカの社会に根を張っているのか、という疑問である。政府が国民を捕捉できておらず、公共の福祉に資する存在でないならば、
政府のあり方そのものを問わなければならないことになる。また、アフリカの社会・経済開発の指標がなかなか上向かないのは、政策に問題があるのか、それとももっと別の、社会の個性や初期条件に原因があるのか、という疑問もある。政策の選択や実施には、その社会固有の意思伝達メカニズムや政治力学が働くことであるから、一つの要素に集約することは困難である。
しかし、成長を促進する要因のみを分析し、成長しないのは促進の要因が確保されていないからだ、と割り切ってしまうのでなく、成長を阻害する要因を探り出そうとすることは、とりもなおさず、アフリカの社会をより密接に観察し、その独自性を理解しようとすることであろう。これは、経済学のみならず、アフリカを「ありのままに」理解して、それに関わろうとする、あらゆる学問領域に共通する姿勢と思われる。
アフリカに関わっていると、「国家」を社会、経済活動の枠組みとして持ち込むことの様々な限界を感じる。アフリカでは、人々は簡単に国境を越えて交易したり、経済活動の大半が政府によって捕捉されないインフォーマル・セクターであったりする。当然、課税にも困難が伴うし、個人よりも共同体(家族を含む)としての土地保有やリスク保障、経済活動などが成り立っている社会において、
個人主義に基づく経済理論が当てはまらない状況も出てくる。アフリカの国境は、ヨーロッパ列強が利権確保のためにアフリカを分割した結果出来たものであり、文化的、歴史的な必然性は乏しい。そうした恣意的に区切られた領土に住む多様な民族の間に国民意識を形成し、政府に正統性を与え、国家に実体性をもたらそうとしたのが独立後のアフリカの指導者達であった。
ヨーロッパのように国家が歴史の必然として生まれてきたのとは逆である。国家の基盤が明白でない場合、政府はどういう役割を果たすのか。政府が国民全体の公共の利益に資するという信頼関係が必ずしも形成されていない場合、人々の経済活動はどのようなダイナミズムを持つのか。
たとえアフリカの国々における「内的メカニズム」が政府とは独自の指向性を持っていたとしても、国際社会における経済パフォーマンスは国を単位として分析されるし、政府による金融、貿易、関税、補助金といった施策は、こうしたマクロ経済パフォーマンスに大きく影響する。そして、何よりも、国際社会からの援助の受け入れ窓口は圧倒的に政府である。80年代に世銀・IMFによって導入された構造調整政策以来、
一方では、政府・国営企業を民営化したり、政府支出を削減するなど、小さい政府と自由競争による民間主導の経済開発を志向しつつ、国際援助マネーは政府に集中している。構造調整政策を受け入れることは、世銀・IMFの支援に止まらず、それを触媒として、数倍の外貨資金の動員を可能とした。そのため、独立以来、独自路線を貫いてきたアフリカ社会主義国(タンザニア、ザンビアなど)もこぞって構造調整政策を受け入れ、
アフリカ諸国の政策は構造調整のもとに画一化され、同時に、外部依存も高まったのである1。この構図は、貧困削減戦略書が導入された現在も基本的には変わっていない。
また、貿易は、政府が大衆の「内的メカニズム」とは比較的独立してコントロール可能な経済活動である。これらは、ある程度以上の規模の企業による製造業か、政府によって流通が管理された輸出一次産品であり、国民経済に占める割合は必ずしも高くない。更に、多くのアフリカ諸国は、植民地時代から形成された単一産品輸出経済(モノカルチャー)構造を持ち、限られた種類の一次産品の国際市況によって、輸出収入が大きく左右される。
一次産品を輸出し、工業品を輸入するという不安定な経済構造において、構造調整政策が市場開放を行ったことで、製造業が外国製品との棲み分けを迫られ、輸入代替でなく、ますます低品質・低価格に向かう傾向があるという2。
このように、アフリカの国々は、マクロ経済分析の単位としては有効であり、また個別に政府と政策を持っているにもかかわらず、その政策は80年代以来、画一化が強まっている。そして、一様に、貿易産品の多角化が出来ておらず、対外的従属性が高い。その一方で、政策が似ていても、人口規模が小さいながらに、それぞれに政府を持った国家であるため、生産及び消費に関して規模のメリットが得にくい。
経済的な地域統合を目指す地域機構は多く設立されているが3、濫立状態の割に、経済成長の促進という意味では目立った成果を上げていない。
アフリカの低成長を克服する方策として、アフリカの総労働力の62.5%が生計を得ている農業を基盤として経済を立て直し、農業部門と製造部門のリンケージを高め、アグロインダストリーを育成する必要がある、というのは、2書の中で複数の著者が主張している点である(平野、室井等)。平野によれば、アフリカの農業は、土地が豊富で人口が少ないなかで、生産需要の増大を、耕作面積の増大でまかなうという方法で拡大してきたが、
1960年代から人口が3倍に増加したのに対し、農業生産性が人口増加に追いつかなくなっている。これは、耕作面積が限界まで拡大し、面積によって生産需要をまかなえなくなれば、技術革新が起こり、土地生産性が上がるという従来の仮説が、アフリカには当てはまらなかったことを示している。その結果、アフリカの農業作物の80%は輸出ではなく食糧作物であるにもかかわらず、食糧を輸入に頼らざるを得ず、
アフリカの穀物輸入は世界の主だった穀物輸入国を凌いでいる(平野「論」6章)。平野らは、こうした低成長は、社会的条件や文化的規範といった要因によるものではなく、純粋に政策設計、技術の問題だとする。「アフリカ農業に関して論じられている事情がアフリカ特有のものならば、緑の革命以前のラテンアメリカやアジアの農業が現在のアフリカとさして違わない低収量農業だったり、
日本が70年以上もの間アフリカ以下の生産性改善率しか達成できなかったことを説明できないから」だという(平野「宣言」:168)。
他方、特にミクロ経済学者の報告は、低成長の原因を、政策的な条件だけに帰することはできないとするものが多い。土地が不足し、細分化していくにつれ、農業だけでは家族を養いきれなくなる。また、アフリカの農業生産は、天候にも左右され、収量が安定しないため、農民は、高いリスクを負ってハイブリッド種や新しい農業技術を導入することなく、低投入低収量型農業という彼らにとって合理的な選択をすることになる。
むしろ、農業収入を上げることよりも、農業以外の部門に労働を分散させることで所得変動リスクを軽減しようとする。
また、国内に民族や言語の多様性があることは、社会経済開発、とりわけ技術や知識の普及にとって障害となるし、コンセンサス形成が困難となり、経済政策が公共の利益から遠ざかる可能性も内包する。政府の政策変更や集中的な資本投資によって短期的に経済成長しても、そこで生まれる所得格差の再分配を確実に行うには、グループ間の協調が必要である。
しかし、アフリカの政府は、発言力の弱い大衆を犠牲にして特定のグループの裨益を高めることで支持基盤を維持していることが多い。投資の外部的効果が多いインフラ整備より、他のグループの参与を排除できる投資や公共サービスが選好されたり、農民より都市の利益を優遇する政策が採られるのは、政治権力が自己を維持継続するための政治的合理性に基づいた判断ではあるが、経済的には非合理であり、また、国民全体を利するものでもない。
(「宣言」1章(平野)、2章(福西・山形)、7章(高橋)、「論」3章(峯)など)
要するに、アフリカの国家は、国民の総意のもとに形成されているとは言えず、その存続のために、特定の利益集団との関係に依存するという形になりがちである。これは、政治学の分野でも「新家産制国家」などとして、しばしば議論されている。これは、「公共の福祉に資する」という政府の存在目的には沿っていないことになる。究極的に言えば、「アフリカの政府が『小農大衆との共益関係』に入らない限り”正統”国家は完成せず、
経済発展も得られない」わけである(「宣言」1章:18、及び7章)。そして、小農大衆と「共益関係」に入るためには、社会分断的な多様性を越えなければならない。小農大衆というもの自体が、民族・言語多様性を有し、異なる農業条件を抱えているからである。また、国家が脆弱なゆえか、もともと共同体が強固なのか、アフリカの農村では、共同体メンバーによる相互扶助、相互保障といった形で、政府の不十分な公共サービスをしばしば代行している。
また、政府が生産者の利益を阻害するような政策を施行しても、正規のルートを通さないインフォーマルな経済活動の道は無数にあると言える。
こうしたアフリカ諸国家の状況を知った上で、現在の援助が、政府のオーナーシップとキャパシティを育てることによって貧困削減を達成できるという単純化した論旨に集約されてしまうことには注意を払わなければならない。経済成長するための政策条件、初期条件を整えるためにも、非常に緻密な現状理解が必要となるが、国家全体での利益を再分配するにも、また政策的、社会的条件が整わなければならない。
所得格差は貧しい経済の結果かもしれず、また、経済が停滞していなければ、民族や所得の違いが対立に発展せず、結果的に民主主義やよく機能する制度がもたらされるかもしれない。原因と結果は相互に連関している。アフリカ的共同体と国家が上手く共存するところに、経済的にも政治的にも合理的な政策判断がなされる土壌が作られるのではないだろうか。
注1:アフリカ諸国の債務残高・輸出額比率は、1974〜84年には2倍前後だったのが、85〜89年には4.5倍、93年で5倍、98年には6倍を上回る状況となっている。通常、ある国が抱えている対外債務残高が当該国の輸出額の2倍から2.5倍以上になると返済が困難になると言われている。(二村「アフリカ経済論」:236)
注2:室井は、「モノカルチャー経済構造から脱却し、国内の工業を育成するため、勃興しつつある国の貿易政策は保護貿易主義を採用すべき」という「プレビッシュ=シンガー命題」を引用している(室井「論」:123-5)
。ただし、複数のマクロ経済学者による成長回帰分析では、アフリカ諸国の閉鎖経済志向的な政策が経済成長を阻害しているという結果も出ている(福西・山形「宣言」2章:42-44)。
注3:AU(アフリカ連合)を筆頭に、SACU(南部アフリカ関税同盟)、UEMOA(西アフリカ経済通貨同盟)、CEMAC(中部アフリカ経済通貨共同体)、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)、EAC(東アフリカ共同体)など。
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