2002年12月1日「第13回国際開発学会 全国大会」
「PRSPと日本の貢献」セッション
石川滋氏(一橋大学名誉教授)によるコメント
国際開発政策の見直しの帰結であるPRSPの有効性をアカデミックに検討する際に必要な視点
冷戦後、先進国から途上国への資本移動パターンは大きく変化。1970年代までは、先進国からの途上国向け資金フローは公的資金に限られていたが、70年代以降、民間資金の比重が高まり逆転した。現在では、途上国への資金フローの約86%が民間である。PRSPの有効性を問う際に、我々は、残り10数%の公的資金による援助の有効性を論じている点を認識すべき。
世界の途上国は両極分解している。援助を卒業していく国もあり、現在は40〜50の低所得国が残り、うち半分がHIPC(重債務貧困国)。援助という名目で取り上げているのは、ごく少数の国である。
他方、先進国側は財政上の問題もあり「 援助疲れ」 傾向にある。冷戦後の国際開発政策の見直しは、こういった背景のもとで行われた。
Pre-PRSP体制とPRSP体制の比較
Pre-PRSP体制とは「構造調整政策(SAL)+プロジェクト援助」 を中心とした援助体制。PRSP体制において何が変わったか?
援助の対象:すべての途上国から低所得国への絞込み。気の毒な国が残っており、我々はどう対処すべきか考える必要がある。これらの国への民間資金フローは全体の2%にすぎない。
開発および援助の最高ゴール:成長促進から貧困削減へ。PRSP以前の体制は、経済成長支援を目的としていたが、PRSP体制は貧困削減を至上目的に掲げている。援助の看板から成長促進支援が抜け落ちたと言えよう。
コンディショナリティのあり方:Ex-ante(事前)からEx-post(事後)へ。世銀は過去10年の構造調整政策に対する自己批判を踏まえコンディショナリティを放棄し、成果主義に基づく援助へと転換した(*低所得国における構造調整の失敗原因は、コンディショナリティを押し付け途上国の主体性を奪ったことにあると自己反省)。従って、PRSP体制下での世銀の援助シナリオは、「事前に条件をつけないが、成果がよければより多くの資金援助を、悪ければより少ない資金援助を行う」という設定になっている。ただしこれは建前で、実際にはコンディショナリティが事前(Ex-ante)から事後(Ex-post)に変わったにすぎず、融資の際には多くの条件が付されている。
このような変化を経たPRSPが、果たして援助対象として残った低所得国のために有効たり得るか?
システムとしての有効性、「援助で改革が買えるか?」:プリンシパル・エージェント理論を適用して考えると ゲームのルール設定をするのは世銀(プリンシパル)、ゲームを実際に動かすのは途上国(エージェント)だが、そのルールに途上国が果たして従っているのか?(*70年代には途上国が反乱を起こし、80年代の構造調整下ではコンディショナリティの不執行率が非常に高い(50%)という事実あり。)PRSP体制(Ex-post)は以前(Ex-ante)に比べ、どの程度有効性を増したのか。
開発(成長)モデルとしての有効性:新古典派は予定調和的に成長へ収束すると考えるが、低所得国においては市場の未発達や低い経済諸力といった初期条件(構造的問題)を重視すべきで、ミントやルイスが提示した「貧困トラップ」を前提としたモデルの有効性は高い。最近サックスが「貧困トラップ」からの脱出による成長モデルを提案しており、興味深い。PRSPが「貧困トラップ」局面を越えるためにどれだけ有効なモデルか、という点を検討せねばならない。
HIPCイニシャティブとPRSP体制:PRSP体制が重債務貧困国にとって、債務返済免除と引換えにフレッシュスタートをする条件を作り出す環境になっているかも問うべきである。日本の不良債権処理において企業には更正できるチャンスがあるが、PRSPは更正を促す内容であろうか。