会場から頂いたご質問・ご意見

このページでは、「PRSPと日本の貢献」セッション(座長・柳原透拓殖大学教授、12月1日午前の部)にて柳原氏の報告「『PRSP体制』の意義と課題」に寄せられたコメントおよびコメントに対する柳原氏の見解を紹介します。

質問・意見

 PRSPは、開発は旧来の経済指標によっては捉えられないという、開発コミュニティの「考え方」の前進を象徴している。これに照らすとき、このセッションでの報告は従来の価値観に強くとらわれており、所得で見た「貧困」の削減のみに焦点が当てられている。教育も保健も、所得上昇と並んで重要な開発目標そのものであり、単に手段として考えるべきではない。この点を、日本のODA政策のリーダーシップをとる人々に再確認したい。もしそれと異なる立場を取るのであれば、日本国民と国際社会に説明すべきである。

柳原氏の見解

 このセッションでは、貧困についての新しい考え方には注意を払わず、MDGsで(狭義の)貧困削減目標として用いられている旧来からの貧困指標にのみ焦点を当てた。これは便宜上の選択であり、「教育や保健も所得上昇と並んで重要な開発目標そのものである」との立場と必ずしも対立するものではない。ただし、報告でも指摘したように、日本のODA政策担当者の間では経済成長重視派が圧倒多数を占めるようであり、教育や保健は開発目標そのものとしては理解されていないかもしれない。

 

質問・意見

 Surjit Bhalla(2002, IIE)の研究によると、1950-2000年の間では、世界の所得分配(不平等)・貧困は悪化しておらず、むしろ緩やかな改善を示している。PRSPの意義そのものが問われるのではないか。

柳原氏の見解

 PRSP体制は、貧困削減のペースが不十分であるとの認識に立って推進されているように見受けられます。 とりわけ、西欧のドナーが、納税者の支持を得るために、またNGOの圧力をかわすために、援助目標のHumanization(成長から貧民救済へ)との方針を採用したようです。

 

質問・意見

 PRSPの目標達成のタイムフレームをどのように考えるか。貧困削減の課題は、何世代かかけて根本からの解決を図る必要がある。(超)長期の目標を置いた上で中 ・短期のプログラムを策定・実施することが重要である。その過程では、社会・経済状況の変化を取りこみローリングプランとする必要が生ずる。現状では、どのように取り組まれているか。

柳原氏の見解

 ご指摘の点は、PRSP体制の泣き所の1つと言えるでしょう。現在、長期目標としては2015年のMDGsが掲げられている。同時に、政策やプログラムの効果をより迅速に(恐らく最大2-3年の時間スコープで)判定して軌道修正をすべきことが説かれている。しかし、そのための分析・評価の方法は確立しておらず、結局は構造調整の際と同様に世銀の(あらかじめ持つ)判断が適用されることになるのでしょう。

 

質問・意見

 Pro-poor Growthにあたる考え方は、Cheneryなどが1970年代に既に掲げていた。これは、政策面ではBHN充足に焦点が置かれ、それが対症療法となる傾向があった。この70年代の議論と、今日のPRSは全く断絶したものなのか。70年代の考え方には、どのような限界があったのか。

柳原氏の見解

 この点は私にも大変に気になることです。 現在の世銀でのPRSP担当者は、70年代の試みについては全く念頭に置いていません。その限りでは、全く断絶したものです。そして、そうであるが故に、学ぶべき教訓が学ばれていないかもしれません。 Chenery et al の Redistribution with Growthには,いくつかの重要なメッセージが含まれていました。おそらく最も重要であったのは、「最下層の所得の(平均以上の率での)上昇を実現するような公共投資の配分」という、計画論風の構想でしょう。 この経済計画論は、上記構想が進歩派連合を通して実現されるという政治面のシナリオに伴われていました。実際上はその政治シナリオは実現されず、そのため上記構想も採用されなかった、という総括になるのでしょう。この時点では世界銀行はマクロレベルでの政策条件を用いておらず、また公共支出の全体像を把握する方針も確立しておらず、この課題のそれ以上の追求はなされなかったのでしょう。現在のPRSは、「広範な参加を通して社会による監視を強めることで政府へのタガをはめる (public accountability)」という政治・行政シナリオを打ち出しています。私は、このシナリオは形だけの儀式風のものになる公算が高いだろう、と予測しています。

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