英国通信


英国援助事情 No.30 「英国から見たイスラム教」

2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロ事件以来、イスラム教とテロとの関係が取り沙汰されるようになった。事件直後ブッシュ大統領が、テロとの戦いをかつての十字軍になぞらえた発言をしたが、このことは、少なからぬキリスト教徒が一連のテロ事件をキリスト教対イスラム教という図式で見ていることを露呈した。

確かに9.11以降、特に欧米に住むイスラム教徒にとっては住みにくい世の中になってきたようだ。フランス議会は、494対36の圧倒的多数で公立学校でイスラム教徒の女生徒がスカーフを着用することを禁止する法律を可決したが、これには欧州在住のイスラム教徒から反発の声があがっているという。

だが、イギリスでは事情は少し違うようだ。BBCのウエッブサイトに国際問題や社会問題に対する読者の意見を聞く「Have your say」というコラムがある。そこを開くとイギリス人の間では、「文化の多様性を尊重すべきだ。」、「個人の自由を国が制限すべきでない。」などスカーフ問題に関してイスラム教徒に同情的な意見が多い。

テニスの国際試合で有名なロンドン南西部のウインブルドンの近くに西欧最大のモスクがある。昨年10月に建立されたばかりだが、最大1万人の参拝者を収容できるという。ここに来ている信者に聞くと、モスクができたことで周辺住民とのトラブルはなく、たまたま近くにBNP(英国の右翼政党)の事務所があるが、何の問題も起きていないという。英国には、200万人のイスラム教徒が住んでいるといわれるが、9.11以降も特に彼らが反感を買っているということを示す事件は聞かない。

イギリス人は、イスラム教に限らず宗教には寛容かつ柔軟な態度を取る。少し悪く言えば、宗教心が希薄な部分がある。アメリカ人と違って毎週日曜日に教会に行く人は少ないし、若い人は、教会に行くのはイースターとクリスマスの時だけだという。北アイルランドを除けば、そもそも自分がカトリックかプロテスタントかという意識もあまりないようだ。これは、多民族、多文化主義を取るイギリスの政策によるところも大きいが、16世紀初頭、6人の妻を持ち専制君主として名高いヘンリー8世がローマ教皇から離婚の承認を得られないことに腹を立て、英国からカトリックを廃し、英国国教会を設立したことを見ても分かるように、イギリス人は宗教をプラグマティックに捉える傾向が強いようだ。イスラム教とテロとの関係についても、IRAによる度重なるテロを経験してきたイギリス人は、IRAが北アイルランドのカトリック教徒一般を代表するものでないことをよく知っているので、イスラム教徒=テロリストと考える人は少ない。

アルカイダやアフガニスタンの旧タリバーン政権を支援したとして米司法当局に起訴されている英国在住のイスラム過激派指導者アブ・ハムザ師が5月27日、ロンドン郊外の自宅で逮捕された。師はアメリカに移送されると死刑判決を受ける可能性があるため、警察はまだ同氏の身柄を拘束したままだ。興味深いのは、ハムザ氏は、30年以上もイギリスに住んでおり、これまでロンドンのモスクや街頭で信者に対して過激な説教を繰り返していたというのにアメリカの司法当局に起訴されるまでおとがめなしだったことである。

ロンドンの北約200キロのところにノッティンガムという町がある。ここはロビンフッドゆかりの地として有名だが、カシミール出身の敬虔なイスラム教徒のコミュニティーがあることでも知られている。ここで長年海外援助のNGOを運営しているタリク氏は、イギリス人のイスラム教への寛容さを評価する一方、在英イスラム教徒内部の問題を指摘する。同氏によれば、イギリスのイスラム教徒には3つのグループがあるという。第一は1日5回のお祈りをかかさないような敬虔な人々、第二は、イスラム教徒としてのアイデンティティはあるものの生活様式はイギリス流に近くなっている現実派、第三は、前述のハムザ師などに師事するような一部の過激な人々。彼はイスラム教徒の誤ったイメージを作っているのは、第三のグループで他のイスラム教徒は迷惑しているとはき捨てるように言った。

また、筆者が最近会ったロンドンのイスマイリ研究所のべラーニ師は、そもそもイスラム教は精神的なものを大切にする宗教なのに、権力者や世俗の指導者がそれを政治的に利用することが誤解を生む結果となっていると指摘する。師によれば聖戦と訳されるジハードという言葉も、元来は飲酒や性欲など自分自身の欲望と戦うことを意味するもので、これが過激派によって拡大解釈されているとのことである。イスマイリ派は、シーア派に属する少数派であるが、イスラムの内面性を重視する教えを持ち、世襲のイマームであるアガ・カーン氏は、アガ・カーン財団をつうじて世界各国で援助活動を行っていることでも有名である。

話をイギリス人に戻そう。5月25日のファイナンシャル・タイムズ紙が、「イスラムと西洋」というタイトルの社説を掲載した。この中で、英国人で元保守党幹事長のクリス・パッテンEU外交委員のスピーチを引用して以下のように言っている。「ヨーロッパは、中世においてイスラム学者から多くの知的財産を受け継いでいる。また現代のイスラム社会の大多数は、民主主義、自由、普遍的教育、女性の解放など西洋社会と同じ価値観を持っている。彼らが相容れないのは西洋の価値観ではなく、西洋の政策なのである。」まさにこれがイギリス人のイスラムに対する見識というものである。

9.11以降次はイギリスが危ないと度々言われながら、これまで一度もイギリスでテロ事件が起きていないのは、イスラム教に対するイギリス人の理解と寛容性が評価されているからではないかという気さえする。

(本稿は、時事通信社「世界週報」7月27日号にも掲載されました。)

 2004年8月3日 JICA英国事務所長 山本愛一郎



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「英国援助事情」は、筆者の英国での体験とナマの情報をもとに書いています。JICAの組織としての意見ではありません。部分的引用は御自由ですが、全文を出版物等に掲載される場合は、事前に御一報願います。
 

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