英国通信


英国援助事情 No.32 「なぜ増える英国のODA」

1997年5月に発足した現労働党政権もとで、英国のODAは飛躍的に増大した。2003年度は、約39億ポンド(7800億円)で1997年度の2倍になった。2007年度には、53億ポンド(1兆600億円)まで達する予定だ。また、援助実施体制についても大幅に強化された。

1997年までの保守党政権の下では、英国のODAは、外務省の外郭機関であった海外開発庁が担当していたが、ブレア政権は、これを独立させ閣僚をヘッドとする英国国際開発省(DFID)に格上げし、初代国際開発大臣にクレア・ショート議員が任命された。このことにより、同省は、職員2876名(2003年12月現在)を有し、英国のODAのほとんど全てを担当する巨大な役所になった。本庁舎は、バッキンガム宮殿から通りを隔てた隣にある。

クレア・ショートの功績

これは英国の援助政策史上画期的な出来事で、ODAが国の外交政策の一環としてではなく、それ独自の政策で行えるということを意味する。ショート初代大臣は、1946年生まれ、1児のシングルマザーだ。1983年に国会議員に当選して以来、労働党左派として、一貫して人権、マイノリティー、女性、環境などの分野で活躍してきた。もともと途上国の貧困削減を持論とする彼女はその手始めとして「世界の貧困削減:21世紀への挑戦」と題した政府白書を20年ぶりに発表し、英国の援助の重点を貧困の撲滅とすることを明確にした。

さらに、彼女は、大臣に就任して5年目の2002年6月、議会において「国際開発法」という英国の援助政策の基盤となる法律を可決させることに成功した。同法は全文10条からなる短い法律だが、その第1条に「英国の援助は、国際開発大臣が貧困削減に寄与すると認めた場合のみ供与される。」と規定されており、これにより、いわゆる政治目的、商業目的の援助は違法になってしまう訳で、世界に類を見ない法律である。以後英国の援助政策として世界の貧困撲滅のための援助が一層推進されることになった。

英国のODAがなぜ現政権下でこれほど拡充・強化されたのであろうか。第一に前回述べたように英国民がその同義的責任感から途上国の貧困対策に関心が高いということがあげられる。しかも国民に人気のあるショート大臣のような政治家がODAの目的を貧困削減に特化することによって、国民の貧困削減への支持をODA支持にうまく結び付けたことが大きい。もちろんその背景には英国の経済が好調で国内の失業率も低いことが追い風になっていることは否定できないが。さらに、ブレア首相やブラウン財務大臣も貧困削減、アフリカ開発のためのODAを強く支持していることがさらなる推進力になっている。

ODAは行政の優等生

ブレア首相はともかくとしても、国の財政を預かる財務大臣がなぜ海外援助に熱心なのか不思議な気がしたので、その理由をある財務省の職員に聞いてみた。以前日本の学校で英語を教えていたというその職員の答えはこうだ。「ブラウン財務大臣は牧師の息子ということもあり宗教観が強く、個人的にアフリカなどの貧困削減に強い信念を持ってあたっていることは事実ですが、それだけではありません。実はODAは費用対効果が高く、色々な政府事業の中でも優等生なのですよ。だから他の事業に比べて予算を付け易いのです。」

ニューレーバーと呼ばれるブレア労働党政権の方針で、現在全ての英国の役所は財務省との間でPSA(公共サービス協約:Public Service Agreement)の締結が義務付けられている。この協約には各省が実施する業務の細かな計画とその達成目標が規定されており、その達成度の評価をもとに毎年予算の見直しが行われる。成果をあげれば予算は増えるという仕組みである。この手法は、1980年代のサッチャー政権のころより注目され、英国、オーストラリア、カナダなどの行政で取り入れられたニュー・パブリック・マネージメント(New Public Management)の流れが大 きな背景にある。(財団法人国際開発高等教育機構「実践的な援助協調に係る調査研究」)

ちなみにODAに関する協約を見ると、「低所得国への援助の比率を71パーセントから80パーセントに引き上げること」、「発展途上国の初等教育の就学率を75パーセントから81パーセントに上げること」、「乳幼児死亡率を千人中132人から103人まで引き下げること」など具体的かつ数値的な目標が列記されている。

現在英国が抱える国内の三大問題は、教育、保健、そして交通だ。公立学校は教師不足などにより教育の質が低下している。かつてゆりかごから墓場までとイギリスが誇ってきたNHSと呼ばれる健康保険制度も医師や看護婦不足からサービスが質量ともに低下しており、風引きで医者に電話をしたら6ヵ月後の診療予約が取れたという笑い話が出るほどだ。また、かつて世界に先駆けて鉄道を作ったこの国の交通網は設備投資不足のため完全に疲労を起こしている。チューブと呼ばれるロンドンの地下鉄の故障や遅延は日常茶飯事、列車事故で毎年のように死者を出し、インド人からはインド国鉄以下だと言われる始末だ。

このような状態で政府が国内の行政サービスで成果を出すのは至難の技だ。確かにこれに比べると海外向けのODAの方がそれなりに成果が出ているのは事実である。先進国では国民の生活レベルも高いので行政に対する期待度も高いし、またそのコストも高い。しかし、生活水準や国の行政レベルの低い発展途上国では、少しの援助でも効果は出やすい。途上国では、安全な水を供給したり、小児麻痺のワクチン投与や感染症の予防注射をしただけでも子供たちの健康は著しく改善されるが、肥満や糖尿病になった裕福な子供に対する効果的な手段はない。経済学でい う限界効用逓減の法則だ。

色々な事情があるにせよ、英国政府レベルでの途上国援助は、貧困削減を強力な軸として今後とも拡大していくことは間違いないだろう。

 2005年1月17日 JICA英国事務所長 山本愛一郎



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「英国援助事情」は、筆者の英国での体験とナマの情報をもとに書いています。JICAの組織としての意見ではありません。部分的引用は御自由ですが、全文を出版物等に掲載される場合は、事前に御一報願います。
 

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