「捕捉されない農民」 アフリカ小農の内的論理と資本主義経済
ミクロな農村研究を行う人々がまず提起する問題は、アフリカ小農を、「国家」の構成要素として当然のように国際的資本主義関係に取り込まれる没個性の存在として見ることの限界である。
マクロ分析では、国際経済関係の中で、従属的な立場に追いやられる発展途上国という図式は、それら途上国に暮らす人々が、国の経済枠組みに完全に取り込まれ、国際市場経済の動きと確実につながっていることを想定する。しかし、村レベルの観察を行う研究者は、アフリカの農村には内部の経済論理があり、そこに暮らす小農は、村の外の商品経済の動きを、馴染みの論理枠組みに読み替え、村の文脈に当てはめているという。従って、農村生活は、程度の差はあれ、市場自由化や貨幣経済の影響を受けているが、それが持つ意味は、外部が認識するそれとは全く違うという。
アフリカの食糧生産が増大しないのは、農民が土地の滋味を豊かにしたり、新しい農業技術を取り入れるなどの投資・蓄積をしないからで、なぜそうなのかと言えば、土地の私有が制度化されていないからだ、という議論はしばしば聞かれる。自分のものでない土地に手間や資金を投資するインセンティブは働かないからだという。こうした認識に基づき、構造調整以来、世銀/IMFをはじめとする国際社会がアフリカ諸国に求めた市場自由化には、しばしば、土地私有化政策が伴った。
しかし、土地に対する独占的権利を法的に保障することが、アフリカ小農の発展=農業生産性向上につながるという発想自体が、アフリカ小農の内生的思考とかみ合わない、と今回紹介する本の著者達の多くが述べている(杉村、杉山(高根6章)、島田(池野5章)ほか)。むしろ、伝統的な緩やかで流動的な土地占有が行われている地域に、新しい土地法によって所有権を付与された入植者が入ることが、対立を生むケースも少なくない(吉田(池野1章)、杉山(高根6章)など)。
土地の問題は、アフリカにおいては、単に農業生産や財産権だけの問題ではなく、政治的、社会的問題に深いところで繋がっており、アフリカの開発を考える上では、避けて通れない微妙な事柄である1。
前回の「ななめ読み」でも言及したが、アフリカは、古くから人口稀少で土地豊富であったため、決まった土地に定着し、そこの生産性を上げるべく技術向上や投入を行うのでなく、土地が痩せたら新しい土地に移動するということを繰り返していた。従って、土地に対する排他的所有の概念は伝統的に希薄で、ひとつの土地に重層的に利用権が存在し、新参者であっても土地の占有・耕作が比較的容易であると同時に、家族ぐるみで移住などして、不在になり、継続的に土地を占有しなくなれば、権利はなくなってもしまう。このように、コミュニティは流動的で開かれたものであり、それゆえに、資本主義市場が小農を固定したグループとして捕捉しようとしても常にそこからずれ続けることになる。
前回、「国家」というものが、アフリカにおいては根が浅く、国家主導の開発が、農村の末端まで行き渡らないという議論をした。こうした「国家」中心の議論の限界性ゆえに、「共同体」をアフリカ社会分析の中心におくべきだとはしばしば言われることである。
しかし、今回紹介する著者たちは、「共同体」という固定した集団自体が、研究者が恣意的に設定した意味空間で、現実には、目的や状況によってグループ化、再グループ化が繰り返されているのではないかと述べている(池野、杉村など)。
では、アフリカのこの融通無碍な村コミュニティでは、生産・消費活動を行うにあたって、どのような内的論理が働いているのであろうか。紹介した本の著者たちによれば、不安定な社会経済環境に生きるアフリカの小農は、土地や特定の作物生産に集中的に投資して利潤の増大を図るよりは、生産や所有形態を多様化し、流動的に保つことでリスクを分散し、自給の安定を目指すのだという。自給の安定性への志向は、個人レベルでは、複数の作物の併作や、農業と他の生産活動の兼業という形を取る。例えば、換金作物の栽培をしつつ伝統的な焼畑も続ける、農産物から別の加工品を作って売る、などである。
しかし、複数の著者が指摘しているのは、換金用にしかならない作物には農民は一度手を出しても止めてしまうということである。市場の動向や自給作物の出来具合によって、換金用にも自家消費用にも読み替えられる、あるいは輸出がだぶついたら国内流通に回せる、などの柔軟性が農民には好まれるようである(高根5章、杉山(高根6章))。
同時に、アフリカで多く見られるのは、家族や集団のメンバー間でのリスク分散である。例えば、家族の一部は農村に残って耕作を続け、村社会のメンバーとして土地の占有・耕作の権利を継続的に行使しつつ、共同体の相互扶助ネットワークに属する。同時に、家族の他のメンバーは、就学や就職のために都市に移住することで、現金収入のチャンネルを多様化させ、飢饉や自然災害などによる農業の不作で、村での相互扶助ネットワークでは十分なリスク保障が確保できないときにも、頼れる人間関係を分散しておく。こうした事情により、都市への移住も、永久的な移動というよりは、村社会との関係を維持した上での一時的移動が多い。
また、不安定な外的状況に応じて生産活動の比重や形態を変えるため、アフリカの小農社会は流動性が高いと説明されている。
不安定性の中での自給を個人のレベルでなく、集団で果たそうとすることは、すなわち、一人の人間や一つの家族が卓越した蓄積を持つということを抑制する行動規範や価値観があるということでもある。すなわち、農業生産性が上がった者は、他のものにふるまって分配することが期待され、他方、困窮する者には他の者が手を差し伸べ、全体として平準化されるというものである。これを農村経済学の世界では「情の経済」と言うようであるが、情の経済が働くところでは、外部の貨幣経済の進展によってもたらされた現金ですら、分かち合うものとする伝統的価値判断がなされるという(杉村、374−5)。例えば、杉山はザンビア北部の村における政府貸付金の返済行動を報告している(高根6章)。
ザンビア政府が集約的換金作物栽培を普及させるために導入した貸付は、一定期日までに貸付額の75%までを返済しなければ、次年度の貸付を行わないという厳格な基準を村人に当てはめた。
杉山が観察した村では、ほとんどの農民が2割程度の返済能力しかなかったのだが、一部の返済能力のある農民が全額返済に踏み切ったことで、村全体としては5割の返済率を達成し、結局、村人全員が翌年の貸付を確保したという。
このように、政府が農業生産性向上を意図した貸付であっても、農村では、その目的が読み替えられ、政府貸付は個人の独立した借入金ではなく、村の共有資産であり、それへのアクセス権を確保するために、返済という形で資源を投入できる者が投入することとなった。その過程で、持つ者と持たざる者の差は平準化されていく。
こうした平準化指向の農村経済論理がアフリカの農村全てに当てはまると思うのは間違いであり、今回紹介した本の中でも、アフリカの中でGNPが飛びぬけて高いガボンの都市に比較的近い農村を調査した武内(池野4章)などは、村全体が弱い者の面倒を見るという共同体機能が働きにくくなり、女性や老人世帯が社会経済的な脆弱層を形成しつつあることを報告している。また、農村部でも出稼ぎなどの農外収入によって世帯間での所得格差が生じている場合もある(武内(池野4章)、192−4)。従って、アフリカの小農社会が、常に流動的で平準化指向の共生体に生きていると考えるのは行き過ぎである。
多くのケース・スタディを重ねても、それらが一つの国の中でも限られた村落しか見ておらず、一般化には限度があろう。
他方、アフリカの様々な地域からの報告や、実際に関わった感覚からして、ある種の共通性があることは否定できないのが事実である。
杉村は、その書の最後に、アフリカ小農の組織原理をアジアやヨーロッパなど他地域のそれと比較し、理論化を試みている。そこで提示されているのは、アフリカ型の小農社会は「消費の共同体」であり、欧米や日本、東南アジアなどが「生産の共同体」であるのと大きく異なるという。「情の経済」が働き、共同体内で互酬的扶助関係があるのは、日本や東南アジアなどの伝統的農村でも見られたことであるが、それらの地域では、人間は土地との関係を基盤とし、限られた土地を分配し、明確な所有意識のもとに、そこでの生産性を上げるべく技術や土地に投資してきた。しかし、アフリカでは、人間は土地ではなく、人間同士の関係に投資することで、消費の互酬性を担保しようとするという。
例えば、アフリカにおいて、家畜は、農業生産のための道具としてではなく、儀式の供物や贈り物として、それ自体に財産価値がある。
家畜を多く持っているということは、生産向上のための投資ではなく、人間関係をよくするために使えるものがそれだけ多くあるということだという。すなわち、人間関係に投資することは、彼らにとって、不安定な環境に左右される生活のリスク保障であり、いざというとき消費を共有し合う関係を構築することなのである。
アフリカ、東南アジア、日本、欧米、といった大括りな比較の妥当性については、農村経済を専門としない報告者には判断しかねるところであるが、「消費の共同体」という説明には納得がいくものがある。
元来、焼畑農業や牧畜を主とし、移動することが珍しくなかったアフリカのような社会には、定住型農耕社会で形成された発展モデルを当てはめること自体が妥当性を欠くのであろうか。マクロの視点からとらえた、資本主義体制に「捕捉されない農民」像と、自らの内的論理によって市場経済論理を読み替え、馴化してしまう農民の間をつなぎ、どちらから見ても納得のいく解釈を提示する、という作業は一朝一夕に出来るものではない。また、農民が市場に「捕捉されない」理由も、ケースバイケースなのであろう。
しかし、政策立案者や援助に携わる者が、市場経済論理とは全く違った価値基準で市場に反応する農民の存在に今よりも目を配ること、受け手の発想から政策を見直すことで、歴史的、文化的必然性が希薄なアフリカの「国家」が大衆の間に根を広げていくことにも繋がるのではないか。
日本では、アフリカの農業生産性の向上こそがアフリカの発展の基礎であるという考え方が広く受け入れられており、農業技術の向上や農村開発の支援の強化がしばしば訴えられている。確かに、サブサハラ・アフリカに暮らす人々の大部分が農民である以上、農業や農村に対する目配りは欠かせないであろう。しかし、農村の自給の持続性を高め、災害や不作などといった不安定要因に影響されにくく、また、被害から早く立ち直れる内的キャパシティを持った農村社会をつくるということは、必ずしも短期的な農業生産性の向上と同義でないことは認識しておく必要があるのではないか。
危機にさらされやすい状況にある者に、それに対抗しうるキャパシティを身につけさせることは、「人間の安全保障」アプローチの目的の一つであるが、そのためには、農村の個々の状況をよく知り、市場の論理だけでなく、農民の自給の論理で物事を見直す相対性を持たなければならないことを、農村研究の書は教えてくれている。
注1:排他的な所有権がないことにより、複数の人々の権利が入り組み、そこに人口増加による土地希少化や、政治権力による特定グループの権益保護などが加わると、紛争の原因になるという。武内は、1993年のルワンダの虐殺の原因は、ツチ族−フツ族の対立言説にすり替えられた、歴史的に複雑化した土地問題が原因であり、同様に、土地問題を原因とした紛争の例は、コンゴ、ケニア、ジンバブウェ、コートジボアール、ガーナなどにも見られると述べている。(武内(高根1章)。児玉谷(池野3章)も参照)
|