2009年3月19日
アメリカ援助事情 第15号 「軍服を着た援助・援助の軍事化―米ODAが抱える問題点」
筆者は、今から6年前の2003年6月にJICA職員第一号でバグダッド入りした。1ヶ月ほどの出張期間の間に、他ドナーの現状を把握し、JICAの支援の可能性がある案件を調査することが目的だった。当時のバグダッドは治安も安定しており、国連、世界銀行をはじめ各国の援助機関の調査団が殺到していた。ところが、そのとき米軍という私にとって全く馴染みのない「競争相手」が現れたのである。米軍は、「Winning the hearts and minds」と呼ばれる占領地の住民対策の一環で、バグダッド各地でインフラ設備の応急修理を始めていた。筆者が、バグダッドの貧困地区である「サダム・シティー」(当時の呼び名)に下水道の調査に出かけたとき、国連関係者からは早くも「ユニセフが下水施設の復旧計画マスタープランを作っているところへ、米軍が来て勝手に応急工事をしてしまう。」、「国連の調整会議に米軍の代表は一度も顔を出さない 。」などの不満の声が沢山寄せられた。要するに軍は軍事目的を達成するための住民対策として短期的な視野から援助をするのに対して、国連や援助機関は将来の自立的発展を視野に入れた長期的支援をしようとする、その両者の立場の違いなのだ。 しかし、当初は短期的な緊急支援という位置づけで開始された米軍の援助活動も、年を経るごとに質量ともに増え始め、アメリカ政府の外国援助予算(2006年度)の実に21パーセントを占めるようになり、その結果、伝統的な援助機関である「アメリカ国際開発援助庁」(USAID)に占めるシェアが40パーセントにまで下落してしまった。また援助の幅も応急的な援助から、イラクなどでは、観光開発なども手がけるようになった。(下院議会でのNGOの証言) このような事態は、「aid in military uniform」(軍服を着た援助)、「militarization of aid」(援助の軍事化)と呼ばれ、ワシントンの援助関係者の間で今大きな問題になっている。筆者の知人のビービー米陸軍少将は、アンゴラの米大使館に駐在武官として赴任する前、筆者をペンタゴンに招き、「アメリカ軍は敵を倒すだけではだめだ。敵が作られている環境を破壊し、住民にとって安全で豊かなスペースを作る必要がある。そのためにJICAが志向している人間の安全保障のコンセプトが参考になる。」と力説した。これではまるで米軍が援助機関を目指しているようなものだ。 このような事態を受けて、アメリカ議会が動いた。3月18日下院外交委員会は、軍、NGO双方から証人を呼んで「援助における軍の役割」という名の公聴会を開いた。軍側の証人になったハギー海兵隊大将は、「アメリカをテロ、麻薬、伝染病など国境を越える脅威から防衛するには軍の力でだけでは足りない。軍、外交、開発の3本柱が、よく調整され、一貫性のある動きをしなければならない。そのためには、米軍の持つ能力や人材にくらべて、紛争地において外交や開発に携わる人材や能力が弱い。議会は、軍事予算以上に、外交や開発分野の予算を増やすべきだ。」と発言、一方、NGO代表として証言したリンドバーグ Mercy Corps(アメリカ大手NGO)会長は、軍、外交、開発の3つの面でのバランスのとれた予算措置の必要性は協調したものの、現場では、米軍と一緒に援助活動を行うと、そのNGOが米軍関係者を思われ、テロ攻撃の標的になる懸念を強く表明した。 このように、紛争国における復興支援の分野は、軍、外交、開発の3つの分野がともに協調して対応する必要はあるものの、特に軍と開発の間には、双方の活動目的の相違や米軍そのものの存在が問題になる場合もある。軍、外交、開発の3つのバランスを重視するスマート・パワーの信奉者であるオバマフ大統領は、アフガニスタンへの17000人の米軍増強とともに、民間援助関係者派遣数の大幅増加を打ち出した。アフガニスタンでは、まさに軍と開発の関係がいっそう注目されることになろう。
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*「アメリカ援助事情」は、筆者のアメリカでの体験とナマの情報をもとに書いてい ます。JICAの組織としての意見ではありません。部分的引用は御自由ですが、全文を出版物等に掲載 される場合は、事前に御一報願います。 |
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