ブラッセルに住み、EUの関係者と話していると、コンペテンス(competence)という聞き慣れない英語をよく耳にする。コンペテンスのコンペは、ゴルフのコンぺと同じ、競争という意味だ。EUと加盟国の権限がぶつかった場合、どちらにその権限を与えるかという意味だ。 EUは国際機関でもないし、国家でもない。あえて言うと、一つの完全な政治統一体を形成することを究極の目的として、加盟国の主権とEUの権限との均衡を図りながらも、少しづつ統合の方向に向かって進んでいる超国家組織と言えるだろう。このことは、その前身であるEECも含めたEUの発展の歴史を見ればよくわかる。第二次世界大戦の傷跡がまだ癒えない1951年、戦争遂行に不可欠な石炭と鉄鋼を欧州共同で管理するための欧州石炭鉄鋼共同体が設立されたのを皮切りに、欧州諸国は、原子力、関税、資本、労働、サービス、通貨など次々と共同管理、統合の道を歩み始めた。現在の金融危機への対応を見ても、一時はEU解体かという不安もあったが、加盟国の努力により、銀行や各国の財政に対する共同管理への方向が徐々に打ち出され、危機は少し落ち着いてきた感がある。要は、加盟国の利害を少しづつ抑えて、その分をEU全体でプールして均衡を図るのがEUのやり方なのだ。 このような加盟国の権限とEUの権限の均衡を定めたのが、「欧州連合運用条約」で、それによると、@EUが単独で権限ともつ分野、AEUと加盟国が権限を共有する分野、B加盟国が権限を有し、EUは支援・調整に留まる分野の3つに区分される。日本とEUのEPA交渉もいよいよ始まるが、関税や市場の規制に関する分野はEUの専管事項だ。農業、環境、エネルギー、そして筆者が関係する開発援助(ODA)などはEUと加盟国の共管分野だ。また、健康、教育、文化などは、基本的には加盟国が独自に権限を有する。 問題は、Aの共管分野だ。ここでは、常にEUと加盟国の間で、その権限を巡って綱引きが起きる。共管分野とは言っても、EUの官僚組織である欧州委員会(EC)は、できるだけ加盟国からその権限を切り取り、EU側に持っていこうとする。特に開発援助の分野でその傾向が著しい。ECには、援助の目的は、加盟国の国益の追求ではなく、貧困削減、MDG(ミレニアム開発目標)という国際約束達成のためにEU全体の援助を一貫性のあるものにしなければならないという大義名分がある。ところが、EUへの拠出以外にも、巨大な援助予算を自国で執行するイギリス、フランス、ドイツなどは、自国のプレゼンスや国益の追求も考慮しなければならず、また独自の巨大な援助機関を持つため、ECが作成したEU援助の方針に妥協出来ないこともある。最近は、ドイツとフランスは、比較的ECに協力的だが、イギリスは、キャメロン首相が、去る1月、英国がEUから脱退する是非を問う国民投票を実施すると発表したこともあり、独自の援助政策を貫こうとする姿勢が強い。 そうは言っても、英国政府としては。EU脱退という国論を二分する大きな決断を、国民感情だけに委ねる訳にはいかない。同政府は、昨年末から「EUと英国の権限の均衡に関する調査」を開始した。これは、外交、援助、貿易、農業、金融、司法、警察など広範囲な分野において、英国とEUの比較優位に関する関係者からの聞き取りや意見公募にをベースとした大がかりな調査で、英国政府の関係官庁が分担して行っている。2014年までに完成させるそうだ。この背景には、国民投票に先立ち、英国民に裏付けに基づいた広範囲な情報を提供することにより、感情に流されない冷静な判断をしてもらおうとする英国政府の意図がある。 そうこうしているうちに、さっそく今月はじめ知り合いのイギリス人の紹介で、英国首相府の役人が、筆者の事務所にインタビューにやってきた。東日本大震災の際の国際救援で、イギリスとEUのどちらが効果的な支援を行ったか聞きたいというのだ。あらかじめ情報を収集していた筆者は、「あのような大規模な災害の場合、日本のような先進国でも、外国からの援助を受け入れる体制が追いつかない。被災地のニーズに基づき、EUがイギリス含め加盟国9か国の救援物資を取りまとめて送ってくれたことは効果的だった。また、ECの人道援助担当委員のギオルギエバさんが、はるばる茨城県まで放射能測定器などの救援物資を届けたことで、EUの存在感をしめせたのではないか。」とEUに軍配を上げた。 イギリスの脱退の動きに気分を害しているフランス人やドイツ人の間で今こんなジョークが流行っている。「The EU without the UK is fish without chips.」イギリスの代表的な食べ物フィッシュ・アンド・チップスになぞらえて、イギリスの価値は、付け合せのポテトチップス程度だという皮肉だ。イギリスファンの筆者は、訪ねてきたその英国人に、「Fish and chips is not complete without chips.」(チップスがつかないフィッシュ・アンド・チップスなんで考えられないよ。)と言ったところ、相手は嬉しそうに納得していた。 英国政府による調査の結果がどうでるかはわからないが、英国には、EU内のご意見番として、またEUが危険な運転をしたときのブレーキ役として、EUに留まってもらいたいものだ。
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*「ブラッセル援助事情」は、筆者のブラッセルでの体験とナマの情報をもとに書いています。JICAの組織としての意見ではありません。部分的引用は御自由ですが、全文を出版物等に掲載される場合は、事前に御一報願います。 |