「Mind the gap between the train and the platform.」ロンドンの地下鉄でよく聞く車内放送だ。「車両とホームとの間の隙間に注意を。」という意味で、湾曲したホームの多いロンドンの地下鉄ならではのアナウンスだ。 このギャップに関する会議が先月、チューリップの咲き始めたオランダの首都アムステルダムで開かれた。地下鉄の会議ではない。難民や国内避難民に対する緊急人道援助と開発援助のギャップに関する会議で、国連機関やこれに資金提供するアメリカ、カナダ、オランダ、日本など各国政府や欧州委員会の関係者約50名が2日間にわたる議論を繰り広げた。筆者が所属するJICAは、長年UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)とパートナー関係にあることから、特別に参加させてもらった。 「難民」とは、戦争、民族紛争、人種差別、宗教的迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害、飢餓、伝染病などの理由によって居住区域(自国)を逃れた、あるいは強制的に追われた人々を指すが、現在世界に約1000万人以上が存在し、国境を越えずに自国内に避難している「国内避難民」約1500万人を含めると3000万人近くになる。世界の平和と安定のためには、難民問題の解決は不可欠なのだ。 難民に対する支援は、国際的なマンデートを持ったUNHCRが各国政府からの資金により実施する。難民キャンプに収容された人々への食糧や生活物資の支給に始まり、最終的には、出身国への安全な帰還まで手伝う。これ以外にも各国政府は、自国のNGOの活動に資金提供する。EUにもECHO(欧州人道援助・民間保護総局)という部局があり、実施パートナーと呼ばれる200以上の欧州NGOなどに年間1000億円の資金を供与し、難民援助や災害援助を行なっている。 難民が国際支援により早期に自国に帰還するか、避難した国に合法的に定着すれば問題はないのだが、実際には、政治的、経済的理由から、これは簡単なことではない。長引く難民生活からは様々な問題が発生する。当初は、食糧や水の援助などで対応できるが、長期化すると、子供の教育や、生活支援、職業確保などの問題が生じる。こうなると難民援助機関では、資金の面でも、ノウハウの面でも対応が難しくなる。 そこで、JICAなど、長期的視野から支援を行う開発援助機関の役割が期待されるのだが、開発援助機関は、途上国政府の政策を支援するのが原則だが、彼らは、どちらかと言えば「お荷物」の難民に対する長期支援を好まない傾向が強い。そんな資金があるのなら、自国民のために使ってほしいという気持ちがあるからだ。最近では、ネパール政府が自国内の難民に対する国連の生活向上支援計画を拒否するという出来事があった。これが、緊急援助と開発援助のギャップが生じる最大の原因だ。 いかにして、ホスト国(難民を受け入れている国)を説得して、長期化する難民への支援を円滑に行うかが、アムステルダム会議の議論の中心になった。しかし、会議に参加していたのは、どちからというと難民支援を実施又は資金提供している関係者が多く、開発援助機関の関係者の関心はあまりないようだ。 例外はJICAだ。2003年に元国連高等難民弁務官の緒方貞子氏が理事長に就任して以来、ずっとこのギャップの問題に取り組んできた。JICAが着目したのは、難民と難民を受け入れるホスト国のコミュニティーとの融和策だ。多くの場合、難民を受け入れている国は、豊かな国ではない。自分たちも貧しいのになぜ難民を受け入れなくてはいけないのかという住民感情も芽生える。しかも難民に対して手厚い保護が与えられているのを見ると不満も高まる。 2005年、スーダンのダルフールから隣国のチャドに大量の難民が流入し、UNHCRが国境の町アベシエに難民キャンプを設置したとき、難民が生活のため周囲の木を切り倒したり、農地を荒らしはじめ、地元民と間で険悪な状況になった。その際、JICAが地元コミュニティー向けの援助を行い、難民支援とのバランスを取ることを始めた。ホストコミュニティーへの支援を行うことで、難民との間の緊張関係を緩和し、ひいてはホスト国政府の難民に対する理解を促進するという効果があるのだ。JICA流のこのような試みは、UNHCRとのパートナー関係の一環で、その後も東スーダン、南スーダン、ヨルダンなど実施している。 ギャップの埋め方にはいろいろな方法がある。大切なのは、援助を一時しのぎに終わらせず、広範囲で長期的に持続させる努力なのではないだろうか。次回のギャップ会議までに少しでもこの隙間を埋めたいものである。
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*「ブラッセル援助事情」は、筆者のブラッセルでの体験とナマの情報をもとに書いています。JICAの組織としての意見ではありません。部分的引用は御自由ですが、全文を出版物等に掲載される場合は、事前に御一報願います。 |