GRIPS
Development
Forum

グローバル化時代の
ベトナム工業化戦略


日本側繊維縫製チームの政策提言要旨

徳山大学経済学部 大田康博
京都大学大学院 後藤健太

ベトナム政府の繊維・縫製産業発展のシナリオは、そのマスタープランである「2010年繊維産業開発スピードアップ計画」により明らかにされている*1。このプランは下記の二つの柱からなる。

  1. ベトナム縫製業の高付加価値化―取引形態を賃加工(ベトナムでの通称CMT: Cut, Make and Trim)から材料買いの製品売り(同FOB: Free-On-Board)へシフトさせる。
  2. 現地調達比率の高度化―原綿・紡織部門へ積極的に投資する。

本稿は、まず上の二点に関する日本側繊維縫製チームの評価を紹介し、次に繊維縫製産業の発展と公共部門の関係について言及し、最後に政府の支援策を提示する。

*1 Chien Luoc "Tang Toc" Phat Trien Ngang Det May Viet Nam Den Nam 2010 - Nham Giai Quyet Viec Lam Va Nang Cao Kim Ngach Xuat Khau - ("Speed-up" Development Strategy for Vietnam's Garment and Textile Industry up to 2010 for Job Promotion and Increase of Export Turnover)

ベトナム政府の繊維・縫製産業開発計画とその評価

1.CMTからFOBへのシフトによる高付加価値化について

政策目標の妥当性−政府は「FOB比率」の上昇を目標とすべきではない。

「FOB比率」という指標はベトナム縫製業の付加価値の大きさや現地調達比率を把握する上で適切なものではないため、CMTからFOBへのシフトは必ずしも競争力向上につながるとは限らない。付加価値の大きさや縫製企業に求められる能力が大きく異なる取引形態を一括したFOBという概念*2を用いても、有益な情報は得られない。しかも、ベトナム企業が国産素材と輸入素材のいずれを使っても、ベトナム企業に素材調達権さえあればFOBによる取引とみなされる。

CMTの重要性−ベトナム企業は、資金・リスク負担を避け、基礎的な経営管理能力を向上できる。

CMTによる取引は、ベトナム縫製企業側の資金とリスクの負担を抑えながら基礎的な能力を構築することを可能にするので、軽視されるべきではない。CMTの取引形態の下でも品質・納期に関する取引先の要求を十分に満たすことができていないベトナム企業はまだ数多く存在する。また、ベトナム縫製業の労働生産性は、生産管理能力が未熟なために国際的な水準を大きく下回っている。

縫製業発展の方向性と解決を優先すべき問題

重要なのは、競争力向上のためにどのような課題を克服しなければならないのかを認識した上で、まず品質・納期を守り、労働生産性を向上させるといった基本的な問題から解決し、徐々に高付加価値化を進めていかなければならないということである。そして、ベトナムのアパレル企業は、CMTによる輸出だけでなく、取引先の商標だがベトナム企業側に材料調達権がある輸出向け製品の試作や量産の受託と、国内向け製品の自社商標での販売を着実に拡大させていくべきである。このためには、開発・生産・販売の広い領域にわたる管理能力の向上、企画・開発を担う人材の育成、そして商業活動の活性化、および規格や品質基準の統一などによる国内既製服市場の形成が必要である。

2.原綿・紡織部門への積極投資について

国産素材に対する将来需要減少の懸念

国内向け縫製品に使用する輸入生地に対する関税が2006年に引き下げられれば、国産生地の需要が減少し、川上部門の企業は大きな困難に直面しかねない。現在の国産生地生産者のほとんどは、海外の取引先の品質・納期に関する要求を満たすことができていないため、一部の例外を除けばベトナム紡織企業に対する信頼はきわめて薄いからである。国内縫製業の成長は川上部門拡大の前提条件であるが、縫製企業が素材の調達権を有する形で輸出を拡大しても、国産素材に競争力がなければ現地調達は拡大しない。

川上部門への投資−対象を質的な競争力と信頼性の向上を目的としたものに限定すべき

原綿・紡織部門への投資は当面、生産能力の拡充ではなく、ベトナム企業の質的な競争力と信頼性を高めるためのものに限定されるべきである。品質問題が特に深刻なのは染色部門であり、重点的な対策が求められる。また、国有企業については、各企業の実態を調査し、成長の可能性を見極めた上で、必要に応じて事業を整理すべきである。労働力不足と賃金上昇が深刻化している縫製業への配置転換も必要である。

競争力ある非国有企業の誘致・育成による成功例作り

他方で、国有企業に限らず、輸出向け縫製品に使用できる品質の生地の生産者を増加させる必要がある。FDIや民間企業などの非国有企業の発展を支援するには、投資環境の改善と開かれた制度・組織が不可欠である。

生産連関を形成する主体と場の育成・支援

現地調達率を向上させるには、川上部門の競争力強化と同時に、生産連関を形成する主体と機会が必要である。商業者、展示会、品質基準、外部検査機関、そして規格はこの点において重要な意味を持つ。

*2 FOBには、取引先の商標の商品についてベトナム企業が材料仕入業務を行うが仕入先の決定権がない場合(FOB Type I)、ベトナム企業に仕入先の決定権がある場合(FOB Type II)、そしてベトナム企業が自社商標の商品を販売する場合(FOB Type III)があ(Kenta Goto (2002) "Coordinating Risks and Creating Value: The Challenges for the Vietnamese Textile and Garment Industry" NEU-JICA Discussion Paper No 5 (http://www.neujica.org.vn/issues/garment/index.html))。したがって、これらを区分した実態把握が少なくとも必要である。なお、最近、FOB Type IIが増加しているが、それは対米輸出が急増したことによるものであり、ベトナム企業の競争力強化をそのまま反映したものとは言い難い。

繊維・縫製業における公共部門
−政府およびVINATEXの役割

1. 政府およびVINATEXの役割の限定−生産からの撤退と企業支援への特化

これまで繊維・アパレル事業およびその支援を主に担ってきたベトナム政府およびVINATEXは、自らの役割を繊維・アパレル企業の事業活動を支援するための情報および物的インフラストラクチャーの提供、そして制度の整備に限定すべきである。なお、政府決定に関する情報の遅れは深刻な問題であり、その改善は急務である。

2.VINATEXの事業の見直し

VINATEXの事業を、求められている役割および政府の事業としての適切さの観点から整理しなければならない。現在、VINATEX傘下には、国有繊維・アパレル企業だけでなく、教育・試験研究・貿易・デザイン振興のための組織が存在している。しかし、繊維・アパレル産業を支援するための組織に対する非国有企業の需要は、今後いっそう増すと予想される。また、支援組織の事業の中にはデザイン振興のように収益性を追求すべきものもある。これらの諸組織のうち、VINATEX傘下組織の事業として継続するものと、分離させるものとに整理する必要がある。

具体的支援策

1.繊維企業の組織化と情報網の整備

統計・調査のシステム化・充実化:効果的な政策を行うためには、正確で詳細な実態把握が必要である。繊維縫製産業は異質かつ多数の企業群から構成されており、その市場や企業活動は急激に変化しつつある。現在公開されているベトナム繊維・アパレル産業に関する統計資料や調査報告書は、調査内容・対象ともに限定されており、それらの利用も容易ではない。したがって、繊維縫製産業の実態をリアルタイムで把握しうる制度を整える必要がある。

繊維企業の組織化を通じた情報網の整備:ベトナムの繊維・アパレル企業は急速に増加しており、非国有企業の比重が高まりつつある。政府は、業界団体の活性化によって繊維・アパレル企業の組織化を進めるとともに、そうした団体との交流を通じて様々な企業の要求を広く受け止めていく必要がある。繊維・アパレル産業のもっとも包括的な団体としてはVITAS (Vietnam Textile and Apparel Association)が存在するが、資金・人材が乏しいために活動内容が限定されたものとなっている。VITAS自身の努力も必要だが、教育・研修事業や調査・研究事業に対しては資金的な補助を行うべきである。

2.教育・訓練−管理能力とマーケティング力向上のための支援組織強化

教育・訓練を充実させることの意義:紡織・縫製業ともに、品質・納期に関する海外バイヤーの要求を満たし、労働生産性を向上させるための生産管理能力の向上に早急に取り組むべきである。また、国内市場の開拓については、効果的なマーケティングを行っていく必要がある。これらの課題のうち、一般的なものの解決には、教育機関が重要な役割を果たす。

長期的な工場管理者向け教育の充実による体系的知識の普及:従来の実業教育の主な対象は工場作業者であったが、今後は工場管理者として必要な知識の学校教育を充実させなければならない。JODC(Japan Overseas Development Corporation)エキスパートなどの外国人講師による管理者を対象とした教育機会は、VINATEX傘下の教育機関あるいはVITASで提供されてきたが、期間が短いために体系的な知識を得ることは困難であった。

マーケティングに関する教育の充実:マーケティングに関わる知識・技能を持った人材(デザイナー、パタンナー、マーチャンダイザーなど)の育成は、ベトナム繊維企業が高付加価値化を進めていくために不可欠である。こうした知識・技能の普及・育成のために、学校授業やセミナーの充実を支援していく必要がある。

教育機関における諸問題の解決:教育機関が抱えている問題は、工場管理者のための教科書や専門書が限られていること、教育を担う人材の教育機会が乏しいこと、教育のための機械・設備が老朽化または不足していることである。教科書の作成にあたっては、海外から教科書を収集し翻訳するだけでなく、ベトナム繊維・アパレル産業の実態に応じた内容にしなければならない。教育を担う人材の教育に関しては、資金的な援助を与えながら、国内での授業・セミナーに参加させたり、海外の優良な工場を視察させたりすることが有益であろう。実際の工場作業で使用するものとほぼ同等の機械・設備の充実も必要である。

学科・教育機関の拡充:VINATEX傘下の教育機関は学科の拡充を進めているが、その資金的な基盤は脆弱である。生産管理、企画・開発、マーケティングに関する教育内容の充実を支援しうる予算制度を構築すべきである。また、教育機関の新規設立・運営に対しては、教育能力を見極めた上で、積極的な支援を行うべきである。

3.工場診断および依頼分析の実施

工場診断および依頼分析による個別的な問題の解決:各企業が抱えている問題は多様かつ具体的であるから、学校教育やセミナーには限界がある。こうした個別企業の問題解決には、工場診断や依頼分析が有効である。

人材育成と機械・設備の充実:当面は外国人指導者を招く必要があるが、診断現場への同行や各種セミナーへの参加などによってベトナム人指導者を育成し、将来的には試験研究機関、VITAS、教育機関などが診断を行うことができるようにするべきである。

4.既存設備の改善と新投資の検討・支援

紡織業では品質安定と公害防止のための投資:紡織業では、まず品質の安定と公害防止に努めなければならない。特に重要な位置を占める染色業における品質不良の主要因の1つは機械・設備の不足・老朽化にある。政府は、染色機や濾過・廃水処理設備など重要な機械・設備を特定し、需要予測に裏付けられた長期的経営戦略を策定している企業に対しては、そうした機械・設備の導入を支援するべきである。なお、染色の品質改善には、工業用水の質、電力供給、品質管理能力などの問題解決も必要である。

縫製業では設備投資よりも管理能力の向上を優先:縫製業では、生産管理能力の未熟さから生じる高い縫い直し率や、その結果である低い労働生産性という問題はあるものの、機械・設備の性能や作業者の技能水準の問題から生じる品質不良は深刻な問題ではない。他方で、賃金上昇と労働力不足が生じており、自動ミシンの導入など機械化によって労働生産性向上をはかる企業も増加している。しかし、労働集約的で、労働生産性向上の余地がなおある縫製業では、先進的な機械を導入して自動化するよりも、生産管理を徹底する方が労働生産性と投資効率を高める上で効果的な場合がある。安易な自動化奨励は、縫製企業の減価償却負担を増加させ、企業経営を悪化させる可能性がある。

5.国内生産連関を形成し市場を拡大するための環境整備

商業活動の重要性とリンケージ作り:国内の素材調達先を探索したり、衣料品の販売網を構築したりする上で重要なのは、商業者の活動である。彼らは、生産者と消費者に関する情報を持っており、中には生産者を組織して自社製品を供給するものもある。その実態については不明なことが多いため、まず実態を調査した上で、商業活動上の諸問題を解決する必要がある。

外部検査機関の充実による品質の信頼性の向上:外部検査機関の充実による品質への信頼は、輸出振興にあたってきわめて重要な意味を持っている。しかし、繊維製品の試験研究機関であるTextile Research Instituteでは、機械・設備が不足しており、資金的支援が必要である。

業界団体の活性化:VITASなどの業界団体は、産業と政府との情報交換において重要な役割を果たすだけでなく、品質基準や規格の統一、企業間の情報交換、企業行動の規範づくりの場となりうる。特に品質基準や規格の統一は、国内縫製品市場の拡大にあたって重要なものである。

企画・開発力を有するアパレル産業の支援:デザイナーが作品を発表し、有能なデザイナーとベトナム企業とを結びつける場を提供することは、ベトナム企業独自の製品を生み出すために重要である。こうした活動はFADIN (Fashion Design Institute)が担っているが、有能なデザイナーは海外で活躍しているのが現状である。輸出向け商品の受託加工を主に行うベトナム企業では個性的なデザイナーを事業に生かすことは難しいならば、デザイナーの新規創業への支援や、デザイナーと小規模生産者・商業者とを連携させる方策の実施も必要である。


Copyright ? 2003 GRIPS Development Forum. All rights reserved.