研究者インタビュー


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研究者インタビュー No.15

話し手:

佐々木重洋 氏 (名古屋大学大学院文学研究科准教授)
聞き手:

山田肖子、二井矢由美子

実施日: 2008年1月25日  13:00-14:30

 

1. アフリカ研究のきっかけ
聞き手:まず、最初に、先生がアフリカ研究に入られたきっかけを教えていただけますか?
佐々木氏:【仮面への関心をきっかけにアフリカへ】
私の場合、別に最初からアフリカでなきゃいけないということはなかったんです。自分達と異なる思考や生活様式を持っている人々の世界観について、彼らが生み出すデザインや造形を通して研究したいと考えていました。そうした観点から、マヤとかアステカなどの古代遺跡にも関心がありました。そこで、学部では美術史学を専攻しました。考古学でもよかったのですが、外国のことがやりたかったので、日本の大学では考古学専攻だと日本国内の事例を扱うことが多いので、外国の事例を扱う西洋美術史を専攻しました。私は、人間の思考に密接につながっているような芸術、人々の社会生活から芸術が切り離される前の、近代西欧以前の古い時代の美術に関心がありました。仮面や彫像はもちろんのこと、例えばサハラの岩壁画とか、フランスのラスコーの壁画などもです。人間が、一体どういうところから思考を組み合わせて、こういうデザインや形を作りだすのか、ということに関心がありました。 いわゆる民族美術研究の分野では、仮面などの作例は、人間の思考を映し出した芸術品として重要な研究課題になっています。そこで、私も仮面研究をやってみたいと考えました。ところが、やがて、日本のアカデミズムの世界ではどうやらそうした研究テーマは人類学に属するということがわかり、大学院から人類学を専攻することにしました。この時点では、豊富に仮面のあるフィールドでさえあれば、別にアフリカである必要はなく、例えばオセアニアなどでも良かったのです。ちなみに、修士論文では、日本の民俗仮面をテーマにしました。
大学院では、その当時の人類学担当の先生は、アフリカをフィールドとされている方々でした。具体的には、熱帯多雨林地域のピグミー系狩猟採集民を研究されている市川光雄さんと、砂漠・乾燥地域のサンを研究されている菅原和孝さんでした。私は、仮面がアフリカでも熱帯多雨林地域にしか存在しないことは知っていましたので、市川さんの講座を選びました。そして、生態人類学や熱帯農業を専門としている方々にもまじってアフリカ研究の世界に参入していったのです。博士後期課程に進学して、アフリカにフィールドワークに行くことになり、中央・西アフリカ調査の市川さんの科研隊の一員としてフィールドを選ぶことになりました。当初は、ザイールのレガ社会なども面白そうだと思っていたのですが、政情不安でザイールという選択肢は消え、治安面や先行研究の少なさ等を勘案して、現在のカメルーンとナイジェリアの国境のクロス・リヴァーという地域で調査を行うことに決めたのです。

2. 仮面研究とは?
聞き手:熱帯雨林に住む農耕民が仮面を持っているということは、仮面は何らかの農耕儀礼と結びついて存在しているのでしょうか?
佐々木氏:【仮面を窓口として社会の価値や力関係をみる】
私の調査している地域では、収穫祭のような農耕儀礼と仮面は特に関係していません。農耕民であっても、農耕儀礼をもたない社会もあるのです。農耕民がなぜ仮面を持つのかという点については、深いテーマで、まだはっきりとわかっていません。狩猟採集民の間では、カメルーン南部のピグミーが葉っぱで全身を覆った被り物的なものを使いますが、それはむしろその近辺の農耕民から借用したものではないかと思います。他の地域のピグミーはそのようなものをもっていませんから。いわゆる仮面は農耕民にしかない。それは世界中を見渡してもそうなのです。一つの説として、牧畜民、狩猟民はしょっちゅう移動するので、物質文化の蓄積が乏しいのに対し、農耕民は定住するため、コミュニティが大きくなる。そうすると、人間のお互いの葛藤も強くなり、結果としてなんらかの社会統制の手段が必要になってくるという考え方があります。仮面は多くの場合、超自然的な力を体現しており、社会を統制するような超越的な存在として使われます。つまり、拡大した社会を円滑に運営するための装置とも解釈されていますが、他方、農耕民族がみんな仮面を持っているか、というとそうではなくて、仮面とは、奥が深くて難しいテーマなのです。
私自身は、仮面そのものにも関心があり、加えてそれに関連する仮面結社や仮面儀礼・パフォーマンスといったものを研究しています。アフリカにおける仮面を通した政治学だったり、宗教学であったり、美的な感性に関する研究ということです。

聞き手:仮面結社のような、住民のある意味隠された部分である秘密組織にアプローチする難しさというのはありましたか?
佐々木氏:【秘密は聞き急いではいけない】
それは、もちろん意識しました。ただ、私の先輩で、日本人研究者として初めてアフリカの仮面結社の一員となり、参与観察調査をされた吉田憲司さんという方がいらっしゃるのですが、吉田さんからは「秘密は聞き急いではいけない。自然に入って向こうから教えてくれるようになるまで待て。時間をかけてやればいい。」というアドバイスを受けていましたから、覚悟はできていました。最初は現地調査に1年間かけられることになっていましたから、まずは博物学的に何でも見ていこう、その過程で、もし(自分を)信用してくれ、受け入れてくれたらいいな、と。それで拒否されたら、それは彼らの見識だから受け入れよう、と腹をくくって入りました。

3. 秘密結社の一員となるまで
聞き手:相当の覚悟でフィールドに向かわれたのですね。最終的には、仮面結社の一員として受け入れられたとのことですが、そこにいきつくまでには大変なご苦労があったと思います。そのプロセスについて何点かお聞きしたいと思います。まず、沢山ある村落の中からどのようにして研究対象とする村落を絞り込んでいったのか、教えて下さい。
佐々木氏:
【エキゾチックな雰囲気が決め手に】
博士課程に進学して、日本学術振興会の研究費を得て、また市川さんの科研隊からの援助もあり、1年間のフィールド調査ができることになり、アフリカの地を初めて踏んだのが、1993年です。なんといっても初めてのアフリカ体験で、当時は日本にアフリカの情報が少ないこともあって、空港に到着した当初から驚きの連続でしたね。 調査対象の村は、仮面があって、また、その仮面が実社会の生活と深いところとで結びついているところに決めようと考えていました。予備調査では、現在の調査対象のエジャガム社会と、カメルーン・グラスランドとの境界にあるバングワ社会の、2つの村を候補として考えていました。バングワは、首長制・王制社会ということもあって、村を一瞥したときには、宮廷の彫刻など物質文化が豪華で、学部時代に学んだ様式分析などの手法がすぐに使えそうな感じがしました。他方、エジャガムの方は、ぱっと見は、そういう華やかさはない普通の村落なのですが、若い人たちの密接なつながりとか、何かを隠しているような様子とか、来客を歓待するためにチーフの家で催された酒宴の席での人々のもったいぶった儀式的な作法とか、すべてがエキゾチックな雰囲気に満ちていたのです。私は、人類学徒としては駆け出しでしたし、自分の将来を考えた場合、一度ゼロからスタートして、今やらなければならないトレーニングはこちらの村でこそできると思いました。直感的にここだ、と思ったわけです。

聞き手:村落に入っていた際、村人には訪問の趣旨をどのように説明するのですか?仮面研究をしているから、教えてくれといって教えてくれるものなのでしょうか?
佐々木氏:【最初はミッショナリーかドイツの軍人?】
最初は、ただ、私は日本から来た学生であなた達の伝統を知りたい、あなたたちが、普段どんな暮らしをして、どんなことを大切にしてきたか、それを学びたい、とだけ言いました。この段階では、一切、仮面の話はせずに、とにかくすべてに関心があり、農業、言語、それから社会がどんな風に運営されているのか、自分は一から言葉を覚えるし、同じように生活するから、なんでもかんでも見せてくれ、と言って下宿生活を始めました。
ただ困ったことに、最初は、やはりそういう存在が理解されない。そりゃあ、わからないですよね。隣村に聖書を現地語に翻訳する目的で、アメリカのキリスト教団体から派遣された言語学者が長期滞在していたことがあったようで、私もまずはその息子の教会関係者だと思われました。あるいは英語の教師か、Peace Corpか(笑)。教会関係者と思われていた最初の頃は、いつ炊き出しをするのか、いつ教会を建てるのか、そればかり聞かれていましたね。あるいは、びっくりすることに、なまじ背が高いこともあって、ドイツの軍関係者ではないかという疑いもかけられていました(カメルーンは、第一次大戦後まではドイツ支配下にあった)。こいつは今はなんだか謙虚にやっているけど、いつか部隊を呼び寄せて、また植民地化するのではないか、こんな心配が、長老を中心に真剣にあったみたいです。まあそれもあって、最初の頃は、伝統的な領域になかなか近づけなかったのです。

聞き手:90年代になって「また植民地化されるんじゃないか」という発想があるのは、興味深いですね。仮面の儀式でも、白人の行政官を表現しているような踊りがあると先生の本に書いてありましたが、植民地時代の記憶が、現代でも鮮明に再現されているということでしょうか。
佐々木氏:【異文化理解は双方向のプロセス】
そうですね、植民地時代の経験が取りこまれている仮面の儀礼は、過去と現在の記憶をつなぐ装置になっているのかもしれません。実際の生活でも、特に長老の世代では植民地時代に支配を受けた記憶が今も強い。若い人も、ヨーロッパ人というのは、基本的には自分達を服を着たサルだと思っていて、気に入らなかったらすぐに銃口を向けるというようなステレオタイプを持っています。どうも学校の中でもそういう教育をされるようで、普段仲良くしている子供達が、自分達のことを「服を着たサルだよ!」とふざけて近づいて来たときはショックでしたね。そういうこともあって、村に受け入れてもらうためには、非常に時間がかかりました。彼らの中には、皮膚の黒いアフリカ人とそうでない「白人」という2種類しかないのです。皮膚の色が黒くなければ、インド人も中国人もアラブ人も白人になるのです。私の場合は、背が高かったこともあり、ドイツ人と思われ、まあ半分冗談も込められているのですが、昔のお前の祖先はひどかった、人を滅茶苦茶にこきつかった、などということも言われるのです。そして「お前の祖先は酷いことをした、だから今度は償いに自分達に何をしてくれるんだ?」という目で見られていました。他方、変に格上の存在とみられるふしもあり、長老が若い私に「Sir」と呼びかけることもしばしばありました。
カメルーンの場合、日本との直接的な接触がほとんどありません。学校教育は比較的盛んなのですが、日本がどこにあって、どういう国かという地理的な知識が十分にいきわたっているとはいえません。ソニーとかトヨタがあって、豊かな国だという連想止まりで、そういう優秀なものを作るのだから、ヨーロッパでドイツの横のあたりにある国、程度にしか認識がないのです。ですので、いくら説明しても、なかなか日本という国や、私の存在は理解してもらえませんでした。
こう考えると、異文化理解というのは、相手のことを理解するだけでなく、自分のことを説明する過程がセットになっていて、まさに双方向の理解だと思うのです。私が、彼らについて聞けば、彼らも同じように私のことを聞いてくるわけですから。そういう相互理解を深める上で、彼らと利害関係抜きでつきあった最初の一年間の住み込みは不可欠だったと思います。

聞き手:アフリカ人と非アフリカ人=白人という彼らの図式の下で、白人に分類され、しかも彼らの中に、白人やキリスト教関係者は、何かを持ってきてくれる、という期待感がある中で、同じ仲間なんだから平等に扱ってください、というのは、相当に難しかったのではないですか?
佐々木氏:【ゲストとしてはがんばったという位置づけ】
確かに大変難しいことだと思います。自分の方から態度に表すしかないですよね。全く同じように生活し、振舞う。調査に入る研究者の間で個人差はあると思いますが、その地域に入ったら、何か自分のことを説明するときは別として、外とのつながりを絶ち、そこの世界で完結した暮らしをしようとすることが大切です。そうすると、それを実行している途中から、ものの見方みたいなものが、かなり現地の人々に近くなっていることに気がつきます。もちろん最終的な一線は、絶対に超えられないので、結局はよそから来たゲストではあるのですが。「ゲストにしてはがんばった奴」、彼らが、そういう位置づけをしてくれたところから、彼らの態度が次第に変わってくる。単なる崇拝の対象とか、何かをもってきてくれる対象といったものから、等身大の同じような奴、と段々と見てくれるようになる。

聞き手:先生が村人に平等に扱ってもらえるようになるまでのご苦労を興味深く伺いました。でも、最終的に秘密結社のメンバーになるには更なるご苦労があったのではないですか?
佐々木氏:【同年代の仲間の働きかけで結社の一員に】
そういうことで、村に住み込みを始めてから、自分の方からは、仮面とか結社とか何も言わなかったのです。ところが、半年ぐらいしたらさすがに焦ってきました。これでは、学位論文が、書けないなぁと。でも、同年代である20台後半の仲間が増え、すでに年齢組集団にも入れてもらっていましたし、かなりツーカーになって、本音でお互いに悩みを語り合ったりできていましたら、それほど思いつめてはいませんでした。ある日、ヤシ酒を飲みながら、「実は自分はこういうこともしたかったんだよなぁ」とぽろっとこぼしたのです。そうしたら、一緒に飲んでいた友人達が、「なんだ、そんなことなら早く言わなきゃだめじゃないか、早速、我々が長老に話してみるよ。」と言ってくれたのです。実は、私の属していた年齢組は、秘密結社でも幹事的な役どころ、コーディネイター的な役割を担っており、事務的な調整を中心になって担う世代だったのです。それで、その年齢組の仲間が、色々と奔走してくれて、ササキはエジャガムの伝統文化に興味を持っていて、我々と同じ儀礼を受け、結社に参加したいらしいが、受け入れてもらえないかと長老達に働きかけてくれました。ちょうど、自分がドイツの軍人ではないかという長老達の疑いも晴れてきていた頃だったこともあり、「では、受けいれてもいいんじゃないか」ということになったのです。そしてその半年後には、通過儀礼的な結社に入れてもらうことができました。

4. 社会統制を担う仮面結社
聞き手:結社に入ってみていかがでしたか?それまで見てきた村の社会と比べると、もっと異なる内容が見えてきましたか?
佐々木氏:【結社は体育会】
色々と見えてきましたね。でも細かいことはあまり言えないんです。秘密なのです。日本語で発表するときも彼らの承諾がいりますし、秘密の重要なところは、より多くの人々の目に触れる可能性が高い英語では許可なくぜったいに書くな、といわれています。しかしまあ、結社の内実を一言で言うと、日本の部活動に似ている。ボーイスカウトと同じだという人もいます。まず新入りに対するしごきがあります。一定の課題を克服しないといけない。課題を克服すると、お前はなかなかできる奴だと認められて、迎え入れられる。もっている能力や人望によっては幹部候補になる。それとやはり酒がつきものです。一緒に酒を飲むことを通じてお互いの垣根が氷解する部分があります。これは世界共通かもしれませんね。それと結社の中では、階梯に応じた作法があります。異なる階梯のメンバーへの接し方、お酒の酌み交わし方など、すべてが厳格に決まっています。

聞き手:入った当初はそれを覚えるのが大変でしたか?
佐々木氏:ところが、結社に入る前に年齢組でほとんどそういった所作は学習していたので、それほど違和感があったわけではありませんでした。村の中で、結社は縦のつながり、年齢組は横のつながりによる組織といえると思いますが、両者のマナーはほとんど同じなのです。年齢組で社会勉強していれば、それほどびっくりしないで結社にも溶け込めるのです。

聞き手:結社が、社会を統制する役割を担っていると先生は書かれていますが、具体的にはどういうことなのでしょう?
佐々木氏:【仮面の担う役割】
私の入った村では、様々な種類の仮面があるのですが、いずれも社会をコントロールする力を持っています。使い方には色々とあります。
例えば、一つは仮面を使った伝統的世界観の再演です。昔、森に住む精霊が、自然界と共生していく上での知識とか知恵を持っていました。最初にその精霊に接触できたのは、女性だったのですが、その女性が精霊との約束事を破ると、精霊は怒って森に帰ってしまう。そこで男性が出て行って、その約束を破った女性を殺し、精霊と交渉する力を得て、精霊との関係を再開した、という神話です。仮面は、この精霊を具現化したものとされ、パフォーマンスでは、それが結社員の制御のもとに村の中に出てきて、油断をしていると、かつて自分との約束を破った女性、一人前の人間になっていない子供を襲ったりするのです。つまり、超越的な自然界と接触し、暴れる仮面を鎮められるのは男性のみだという起源神話に基づいたイデオロギーを再生産しています。もちろんこの仮面のパフォーマンスは、結社の人たちがコントロールしている。この結社には、女性や子供は入れません。
また、妖術を見つけ出して、それを無効にすることを専門としている仮面もあります。仮面は、普段から生きていると言われていて、何か頼みごとが生じたときに、鶏の血とか卵とかを供えてお願いを始めます。そうすると、その仮面が、数日後に目覚め、自分の中に入る人間−これは結社のメンバーですが−を呼びます。そして、その仮面の中に入った人間を通じて、メッセージを伝えます。例えば、村の中に心穏やかでない人がおり、その人物は妖術を使って他人や共同体に災いをもたらそうとしている。そのため、このところ急死する人が絶えなかったり、原因不明の病気が流行ったり、害獣が畑を荒らしたりしている。これらは、ある人物Aによるものである。・・・といった具合です。こうした妖術を無効にする仮面儀礼は、問題の原因を特定し、排除することによって、社会的な不安を取り去っていくような機能があります。
このような機能を果たすために、仮面を司る秘密結社のメンバー達は、普段から非常に念入りに村の様々な出来事について調査をしています。小さい村ですので、情報が筒抜けというか、起こったことはお互いに目撃しているようなことが多いので、情報も集めやすい訳です。そうして得た情報を総合して妖術摘発のストーリーを作っています。 一方で、妖術師として槍玉にあがりやすい人は決まっています。人とあまりつきあわない人、普段、何をしているかわからない人というのは、人の見えないところで妖術を使っているから人と共同作業したがらないんだ、というようにみなされる傾向がある。そういう意味では、いじめられやすいタイプの人が益々排除されていく可能性もある訳です。他方で、何かに秀でた村人、例えば非常に狩猟が上手かったり、ビジネスに秀でていて莫大な利益をあげている人など、他人の妬みを買う人が狙われることも多いのです。
つまり、この妖術を見つけ出して無効にする仮面の作用には、二面性があるといえます。「出る杭は打たれる」的に村を平準化する面と、「弱いものいじめ」的に格差を増やしている側面と。どちらか一方の機能しか見ないということではなく、両面を視野に入れておかないと仮面儀礼の社会的意味を誤解する可能性があります。このうち、弱いものいじめ的な側面は、かつて結社が深く関係していたとされる奴隷貿易と関係があるかもしれません。結社は、奴隷貿易の時代に、奴隷を集め、奴隷商人に売るといった現地のエージェント的機能を持っていたようなのです。そこで弱い者を捕らえるために対妖術の儀礼が使われたりしたこともあったようです。こういった傾向は、クロス・リヴァー諸社会の東側にあるカメルーン・グラスランドではもっと顕著だと思われます。カメルーン・グラスランドでは王制社会、首長制社会が発達していますが、そこでは呪術的な「超自然的力」は王や一部の貴族の専用物で、その力を使って、市場をコントロールしたり、通商路を確保するのに巧妙に使われてきた歴史があります。

聞き手:仮面結社が、社会統制に重要な役割を担っているということですが、仮面結社と村役場など、村の公的な行政組織とは、どういう関係にあるのでしょうか?
佐々木氏:【仮面結社などの在来組織を通じた社会統制が主】
植民地時代の影響とも無関係ではない評議会のように、村から有力者の代表を選ぶものについては、そもそも評議会の構成メンバーが結社員であることがほとんどなので、評議員に結社の長老が選ばれたりして、つまり村における結社の統治体制と整合していますから、何の問題もありません。他方、中央政府から行政官や憲兵が、村に派遣されているのですが、彼らと秘密結社のような伝統的な組織はしばしば対立し、緊張関係を生んでいます。私が村落に住み込んでいる最中、例えばこんなことがありました。近くの湖に住んでいるティラピアという魚を調査しにドイツ人の調査団がやってきました。村人たちに、あれはお前のブラザー(兄弟、ひいては親族や仲間まで含むピジン・イングリッシュ用語)か、と聞かれましたので、違う、別の国の連中だと答えました。彼らは、首都で調査許可証をとり、現地入りしてからも、中央政府から派遣されてきた行政官にも事前に趣旨説明をするなど、フォーマルな手続きはすべて踏んできているのです。ところが、いざ湖に向かおうとすると、村人の妨害に会ってしまったので、彼らは大変に当惑したのです。他方、一見して外国人とわかる私が、ちょうど同じ頃に村人と一緒に湖で泳いだりしていたものですから、ドイツ人の調査団はびっくりして、どうやったら湖にアクセスできるのか、一体どうなっているのだ、と相談に来たのです。聞いてみると、彼らは先の評議会はもとより、結社などの在来の勢力に何ら説明や挨拶していないと言うので、政府の行政的な管理は表面上はあるものの、村の取り決めや規則を実質的に統制しているのは、結社や年齢組といった在来の組織であることを教え、両方に正しくアクセスしないと調査は実現できないとアドバイスしました。
こういった村では、政府の法律は必ずしも行き渡っておらず、村人達の争いも、在来の組織を通じて解決されるのです。もちろん、そういった在来の組織で解決できないときには、初めて裁判のようなフォーマルな制度に頼ることもありますが、そういうケースはあまり聞きませんでしたね。

聞き手:ところで、行政的に○○郡○○村といった場合の村と在来組織がカバーする村あるいはコミュニティの範囲は、一致するのでしょうか。
佐々木氏:【国境や民族集団を超える結社のつながり】
ケースバイケースだと思いますが、私の調査に入った地域では、だいたい重なっているといってよいと思います。ただ、そうしたことに加えて非常に興味深いことなのですが、結社には地域的な広がりがあります。例えば各村には、結社の集会所が必ず一つありますが、それは結社組織の支所のようなものとも言えるでしょう。例えば、私がナイジェリアの村落にある結社を訪問すると、カメルーンのエジャガムの結社にいるときと同じランクで受け入れられるのです。そのネットワークはかなり広範に亘るもので、場合によっては国境、エスニック・グループの範囲を超えて存在しています。
これには、先ほど述べたように結社の伝播の理由の一つが奴隷貿易といったビジネスのつながりにあることと関係しているようです。結社が、村落内だけでなく、村の外に広がるような奴隷を売りさばくネットワークの結節点になっていたり、負債の取立てを代わりにおこなったり、村と村の結社同士の争いを調停したりという機能を担っていたこともあったようです。

聞き手:それにしても、国境もエスニック・グループも越えたつながりとはびっくりですが、お互い、どのようにコミュニケーションをとるのでしょうか?
佐々木氏:【売買によって知識が伝播】
それぞれの結社では、様式化された権力構造を共有します。祖霊にアクセスし、コントロールできる者が頂点に立ち、それ以下、階梯に応じた知識と振る舞いが定められています。ですから、国や民族が違っても、結社用語とも言うべき特殊な単語や、ジェスチャー、それに文様や図像も使いながら会話ができます。言語的にも、彼らは昔から共通のピジン・イングリッシュを話しています。
ですから、私が、違う地域の集会に参加したとしても、エジャガムにおけるランクに応じた振る舞いを示すことで、全く同じランクで迎えてもらえるのです。もちろん、最初は、向こう側も果たしてそれ相応の知識を持っているか試してくる。でもそれにきちんと答えると、「お前はわかっている」とみなされて受けいれてもらえるのです。
こういった情報は、結社間で売買されることで共有されたものです。知識の売買も奴隷貿易時代に広まったと考えられます。今度、うちの村にも新しくあの結社を買おう、という発想があるとする。そう決まったら近隣の結社にまず使節を送り、ヤシ酒など必要な貢物を用意し、そこの長老を説得する。それを2,3回繰り返した後、ようやく長老から許可が下り、知識を買うための集まりを主催することとなる。そうすると、またヤシ酒や獣肉など会合に必要なものを用意する訳です。そしていよいよ饗宴と引き換えに、段々と秘密の知識が伝授されていく。このように結社の知識は、一つの特定集団の中でとどまらず、広まっていく可能性のあるものなのです。だからこそ外部者の私も受け入れてくれたということも言えると思います。

聞き手:まさに内側に入ってからこそ見えてきたものが、沢山あるのですね。社会にそこまで深く入り込まない研究方法もあると思いますが、そういう研究と比べて、理解の度合いが違うな、と感じられていることはありますか?
佐々木氏:一番大きいのは構造的に捉えすぎないこと、という点ですね。社会を構造的に理解し、記述することはできるけれども、内部に入ることによって必ずしもそうでないことが沢山見えてくるのです。社会学的な分析というのは、図式的な把握を重視します。でも、実態はそんなに単純ではない。例えば、これはアフリカに特有の問題ではないと思いますが、組織を運営するというのは、お金をめぐって多くのトラブルがある、ということがわかります。結社の調査をしていても、もっともよく聞かされたのがお金の管理をめぐるトラブルの問題と、それに付随する他人の悪口でした。みんな、一見まとまっているけれども、見ようによってはじつはまとまっていない。傍目にはそう見えても、何一つとして整然としている社会はないと思います。匿名的で一枚岩的な共同体像ではなく、それらを構成している個々の成員の能力や個性、履歴などに目が向かうのも人類学の特徴といえるでしょう。

5. 村の内側から見た援助
聞き手:そういう内側からの視点で、援助を見た場合、どのように感じられますか?
佐々木氏:
【援助はものを作ってみんなが享受できる形】
開発に携わる人は十分に注意する必要があると思います。政府機関など上部機構にだけアクセスしてもだめ、しかも援助をお金のかたちで渡すのは最悪のパターンだと思います。政府内で全部お金は消えてしまいます。本当に必要なところを援助しようとするならば、在来の組織がどうなっているのかという点を、援助とは無関係の立場から調査した経験のある地域を対象としないとだめです。これは自分の体験から言えることです。
私は、博士課程の最初の1年の調査を終え、村を出る日が近づくと、何らかの形で村に貢献したいという気持ちが強くなってきました。これは研究テーマとは別に生まれた関心なのですが、やはり、同時代に同じ生活をしている仲間に対して当たり前のことかもしれませんが情が移り、自分でもできることがあるかもしれないと段々と思い始め、村へ可能な範囲内で、それも村人全員が広く享受できる水道システムのメンテナンスにおいて個人的に経済的援助をするほか、日本大使館の「草の根の無償」に応募してみる、ということを考えつきました。
それから村人と喧々諤々の議論をして書類を作りあげました。その際、彼らが非常に強調したのは、「お金で持ってきてはいけない、代表者に渡してはいけない」ということでした。私達がやろうとしていたのは、公民館の改修だったのですが、改修に際しては、「日本から監督がきて、材料も調達して、工事監督も来て、技術者も来た上で、人夫だけは地元から雇え。そういう形でやってもらわないと混乱する」と言うのです。

聞き手:アフリカの農村では、社会の平準化の作用が非常に強いため、市場経済理論のように、個人が資源を独占して蓄積することは出来ず、必ず分配の力が働くという考え方もあります。そういう視点からすると、援助は、モノよりは現金で供与し、それを構成員間で平等に配布するのが良いといった指摘もあるようですが。
佐々木氏:【村の共同作業のある村】
私のいた村でも、妖術信仰に代表されるように、平準化の力学は間違いなくあります。そういったことを踏まえた上で、具体的な成果をあげるための議論を村人達とした結果、お金だと実際のモノに結実しないまま消えてしまうだろうし、またお金を自分の懐に入れるような不正も相次ぐので、それはやめて、もの作ってみんなが享受できる形にしよう、具体的には公民館を改修して、大事なものをしまおう、ということになったのです。この結論に落ち着くまでには、日本の場合と比べて10倍くらいの時間がかかっているのですが。私のいた村は、平準化の思考と、それの裏返しでもあるのですが、コミュニティで何かを共同で行うという発想があった。実際、共同作業の日が決まっていて、道の清掃、道の整備や除草、公民館に大切なものを運ぶなど、みんなで奉仕する。ある程度、コミュニティが意識されている地域では、比較的ものを作るプロジェクトはうまくいきやすいのかもしれません。

聞き手:先ほど、在来の組織がどうなっているのかという点を、援助とは無関係の立場から調査した経験のある地域を対象としないとだめ、とおっしゃいましたが、もう少し詳しく説明していただけますか。
佐々木氏:【村のやり方に沿った情報提供と合意形成を】
これは文化的な違いかもしれませんが、私のいた村の社会では、自分に個人的に話された内容をみんなに伝える、あるいは、自分にもらったものをみんなに分配する、そういう発想がないのです。私が、お礼のために家族全体に何かをあげたつもりでも、渡された本人は自分のところにそっとしまっておく。本人は、一対一の関係の中で渡されたのだと誤解するからです。もし、それを防ごうとするならば、みんなの見ている前で渡し、しかもその配分方法まで指示しないといけないんです。何かの話を通すにもそうです。これは援助の話に限ったことではありません。例えば、民間療法の知識とか、妖術を無効にする技術なんかがありますが、個人的にそうした重要な秘密の知識や技術を聞こうとすると、ものによってはこれは村の知的財産だから、みんなの見ている前で教えないといけないから、そういった場をアレンジしろと指示されました。重要な事柄は一対一の関係を超えて広く周知しなければならないのです。また、ある時、私のいた村をNHKが取材することになったのですが、1回目は、村のみんなを集めてディレクターと共に趣旨説明をし、初めてそこでOKが出て、クルーが入る、という2回に分けたアレンジをしました。形式的かもしれないけれども、こういうプロセスを経ないとうまくいかないのです。ただ、チーフや代表者だけに話をとおしてもダメなのです。それは他の人々に伝わっていません。
援助についても、実際に、こういった共同体における情報流通のしくみ、コミュニケーションのパターンをわかっている人が村に入り、その人自身が直接、色々とアレンジしないといけません。基本的に「顔社会」ですからね。そして初めて村人の周知するところになるのです。これがないと、いわゆる村の中の援助ハンター的な人が、勝手に寄って来ていいところを全部持っていってしまいます。私の行っている村でも、WWFなど、色々な団体が来て、環境保護の建物を立てたり、車を持ってきたりしたのですが、そうすると、目ざとくかならず寄ってきて、我が物にしてしまう人々がいました。長期で村に入る人類学者と短期で一回しか村に来ない人の違いは、人類学者はそういうのがわかるという点にあると思います。実際、私自身も滞在中に交友相手が変わりました。最初に入ったとき、私に寄って来た人たちは、援助ハンター的な人です。ところが、時間が経って、何も引き出せないとみると、そういう人は去っていきます。そして、その時は遠巻きに見ていたけど、段々と親しくなってきた人たちが長く付き合える本当の友達です。もちろん、何となく最初から気が合い、そしてずっと友人であるパターンもあります。しかも、彼らがその共同体の中でどういうポジションにある人なのかということは、すぐには見えてきません。どちらにせよ時間をかける中で段々と相手を見分けられるようになってくるのです。この辺りは、日本の日常と全く同じではないでしょうか。
援助を真の意味で成功させるためにも、援助ハンターではなく、共同体の中でしかるべきポジションにいて、実際に共同体の運営に関わっている人たちにアクセスしないといけない。援助ハンターは、英語などは話せるかもしれませんが、共同体の除け者だったり、周辺的な人びとであることが多いのです。そういう意味では、時間はかかりますが、コミュニティがどういう成り立ちで、どこにどのような形で話を通せばいいのか、ということを正確に知らなければなりません。そういう調査をした後に、援助の話を始めないと難しいのです。

聞き手:開発と援助の関係でもう一つお聞きします。先生の所属された結社には、女性が入れないという話でしたが、開発学で言われている女性のエンパワメントのような観点からすると、女性が自己実現しにくい社会と言えるのでしょうか?
佐々木氏:【女性のエンパワメントが前提とする女性像との乖離】
実は、女性だけの結社というものもあるのです。但し、秘密の内容など大事なところは男性の結社が保有しています。男性の結社にはもちろん女性はアクセスできない訳ですから、構造的には女性は劣位におかれていると言えるでしょう。
他方、日常的な村の運営には、女性が出てくることも多いのです。年齢組は男女共通ですし。そういった感じで村の男女が意見交換をする場は沢山あります。もちろん、女性のエンパワメントを支援するようなプロジェクトは意義があると思います。
ただ、女性のエンパワメントの主張において、そこで想定されているような積極的で自己改革的な女性が、実際にどの程度私のいた村にいるのかというと疑問です。私の知っている限り、都市でも村落でも、高等教育を受けたそれもごく一部の女性を除いて、終始自分たちは何かをもらうものだ、と考えていた女性は多かったように思います。アフリカの女性は、西欧の近代以降の女性とはかなり違います。少なくとも、先進国の知識人が頭だけで考えて、西欧的で近代的な女性像を前提として援助をしてもうまくいかないと思います。

聞き手:今のお話を聞いていると、儀式や組織などに、共同体メンバーのつながりを強化する要素が多くちりばめられており、意外に日本の農村なんかと共通性が多いのではないかと感じますが。
佐々木氏:【世間があるところは同じ】
そのとおりだと思います。私のいた村は、共同作業がありうるところで、たまたま古典的な意味での共同体という姿を連想しやすいケースだったと思います。住んでいて、違和感よりは、親近感を感じました。一年ぐらい経つと、村人には、私の祖先はその村の出身だったのだろうと言われていましたが(笑)。
また、アフリカに悪評の高い、時間や約束にルーズなところなどもなかったですね。約束もきっちり守るし、時間も正確でした。また目上の人を立てるところや、伝統や古いものを大事にしているところも似ています。またコミュニティの中で、軋轢が生じた際には、表面的にはなるべく見せないようにして円満におさめようとするところなども共通しています。もちろん、都市と農村は異なると思います。田舎に「世間」が残っているのは、日本もアフリカの農村も同じだと思います。
ただし、最も顕著な相違点は、コミュニケーションの仕方だと思います。日本は、「ガタガタ言う前に行動で示せ」とか、「背中を見て何かを盗め」みたいな行動ありきの価値観がありますよね。ところが、私のいた村では、結果よりもプロセスを大事にする。いちいち議論があって、議論が沸騰しているうちにみんな本題を忘れている、みたいな。初めて集会に参加したときは、村がどうすればよくなるか、とか真剣に話し合っているので、私も感動してそういう話に参加したのです。議論の結果、翌朝朝8時に集合という合意に達したのですが、いざ翌朝になってみると誰も来ていない。ミーティングに多大な力と金を費やす割には、結果がついてこないという側面もあります。いつもワイワイガヤガヤとやってはいるんですが・・・。

6. 今後の課題と若い人たちへのメッセージ
聞き手:先生は、仮面の文化を切り口にアフリカと日本の両方でフィールドワークを行っていらっしゃるわけですが、今後、ご自分の活動全体としてどういうことを意図されていらっしゃいますか?
佐々木氏:
【人間にとって仮面とは何かという普遍的問題にもアプローチ】
学問的には、常に原点に帰る、じゃないですけど、人間の思考と造形物のデザインの関係を追求したいと思っています。また、仮面研究という点に関していえば、人が仮面を使ってなにかに変身したり、なにかの役を演じたり、あるいは共同体や社会でなんらかの超越的な力を使う、ということは、一体何を意味するのか。これは仮面に限らず、人類にとって本質的で幅広いテーマだと思っています。現代の日本ではそれは仮面ではないかもしれないし、これから数十年もすれば、その頃にはアフリカでも仮面という形を取らなくなっているかもしれないけど、それにとって替わる社会の秩序を維持する文化的制度とはなにか?という問いです。また、仮面は祖霊やあの世とも密接に関連しますから、人間の死生観を知る手がかりも与えてくれます。そういうことをより広い地域で横断的に捉えたいと考えています。
フィールドワークとしては、カメルーンのエジャガム社会には、通い続けるでしょう。日本では花祭りで有名な北設楽郡東栄町に通っています。ここの仮面舞踊である霜月神楽は、日本の民俗学でも有名で、生まれ清まり、新しい力を再生する儀礼だといわれている。面白いのは、一つの集会所や家に神聖な道具を集め、それらを代々守る人がいたり、道具の管理が輪番制になっていたり、花祭りを継承する保存会があったりすることです。保存会は、男性だけだったり、一緒に踊りの練習をしたり、踊り手達の神事があったり、また一種の社会や文化上の教育機能をもっていたりするところが、エジャガムの結社の組織に似ています。またそういう舞を支えている人たちの社会構造も似ています。エジャガムでの経験があるからこそ、以前より日本に目が向くようになり、より問題意識が昇華され、日本の研究も面白いと思うようになってきたという手ごたえを感じています。

聞き手:最後にアフリカに関心を寄せる若い人たちへのメッセージをお願いします。
佐々木氏:【同時代に生きるアフリカの姿】 
情報がまだ圧倒的に少ないということで、アフリカの現実の姿があまりにも知られておらず、今でもステレオタイプ化した見方が横行しています。じつは、研究を開始した当初の私自身も、それにとらわれていました。アフリカ研究を始めようという方には、エキゾチックな他者としてのアフリカというよりも、同時代に生きていて、グローバル化の中で、世界的な政治経済システムの中に組み込まれている、我々日本も含めた世界のさまざまな地域のひとつとして、アフリカを捉えて欲しいですね。原始的なものがあると信じて物見遊山で見に行く、というスタンスでは訪ねて欲しくありません。
一方、人類学者としては、私もアフリカについていいことばかり言いたいのですが、とくに都市部を見ていると、そうばかり言ってはいられないというのも事実です。その点は認めて、しっかりと受け止めていかないといけないと思います。自戒もこめて言えば、アフリカのポジティブな面ばかり語っては誤解を生むだけで、アフリカ理解という観点からもバランスを失すると思います。
私自身は、経済や政治体制の問題を含めて、アフリカについての悲観的な考えが出てくるのは止むを得ないと思います。確かに、アフリカとアフリカ人が、とくに経済発展や難民送り出しの点で、世界の「お荷物」的な状況にあるといわれるのも、ある意味ではやむを得ない側面があるかもしれません。いずれにせよ、こうした両方の認識を持たずして研究すべきではないと思います。決して美化しすぎてはいけないし、また経済的な指標や、近代西欧的な合理主義や、拡大主義的発想だけを以ってアフリカをダメと決めつけるのもいけない。
また、援助に関していえば、日本人が思うほどには彼らはそれほど援助されたがっていないのではないか、ということも想定したほうがいいかもしれません。というのも、報道などで悲惨だといわれている地域に行っても、意外にも人々はのんびり暮らしていることもあるんですね。よく言われることですが、経済的指標だけが人々の悲惨さに直結するわけではありません。ただ、公衆衛生や医療などの面での援助はどこでも歓迎されるようです。ともかく、何よりも「アフリカ」とひとくくりにするのではなく、地域ごとの正確な情報が必要です。ありきたりですが、どこで、どのような人たちにとって、何が必要なのか、そのためにはどのようなやり方が最適か、それが重要です。例えば、アフリカという地域は、大きく分ければ食料のとれる/とれない地域、資源が豊富/豊富でない地域と両極端ですよね。食料がない場所に対しては、まず食料支援が大事でしょうし、食料や資源のある場所に対しては、道路インフラの整備と工業化が有効だと思います。私が入っている地域は、農産物がとれたり、資源があったりするので、道路を整備し、現金収入源にアクセスできるようにすることが大切だと考えています。こうした情報の提供に関して、私たちアフリカ研究者は、それぞれの専門的な研究テーマとは別に、もっと貢献できると思いますし、さまざまな機会に遠慮なく利用して欲しいと思いますね。


 

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No.14 2007/12/7 池谷和信氏(国立民族学博物館 民族社会研究部 教授)
No.13 2007/11/21 亀井伸孝氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 研究員)
No.12 2007/11/9 鈴木裕之氏(国士舘大学法学部 教授)
No.11 2007/9/4 若杉なおみ氏(早稲田大学大学院政治学研究科 
科学技術ジャーナリスト養成プログラム客員教授、医学博士)
No.10 2007/9/3 砂野幸稔氏(熊本県立大学 文学部 教授)
No.9   2007/7/12 舩田クラーセンさやか氏(東京外国語大学 専任講師/(特活)TICAD市民社会
フォーラム 副代表)
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No.6  2007/5/30 遠藤貢氏 (東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻 教授、「人間の安全保障」プログラム運営委員長)
No.5  2007/5/8 高橋基樹氏(神戸大学 教授)
No.4  2007/4/26 武内進一氏(アジア経済研究所 地域研究センター アフリカ研究グループ
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No.3  2007/4/16 峯陽一氏(大阪大学 准教授)
No.2  2005/12/15 佐藤誠氏(立命館大学国際関係学部 教授)

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北川勝彦氏(関西大学経済学部 教授)

 

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