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研究者インタビュー No.4
話し手: |
武内進一氏 (アジア経済研究所 地域研究センター アフリカ研究グループグループ長 主任研究員) |
聞き手: | 山田肖子、尾和潤美 、鈴木明日香 |
実施日: | 2007年4月26日 10:00-11:20 |
聞き手:長年アフリカ研究に携わってきている研究者として、最近のアフリカに対する注目度や課題についての変化をどう見ていらっしゃいますか? 武内氏: アジ研に就職して20年が経ったが、アフリカが過去20年で変わったかと問われると、一言でどう答えていいかわからない。ただ、アフリカへの日本人の関心は大きく変わったと思う。アフリカに対する社会的関心が高まり、過去10年ぐらいで様々な角度からアフリカに関わろうとする人も急速に増えた。そうした変化の例は日本アフリカ学会にも見てとれる。20年前はアフリカ学会の会員といえば京都大学などで人類学や霊長類学を専門としている人が多く、研究発表もその分野が中心だった。現在でも京都大学関係者はアフリカ学会の中心だが、それ以外にも開発に関わる方面からアフリカを見ている会員が急激に増えたし、人類学や霊長類学関係者のなかでも開発に関わる問題意識を持つ人が多くなっている。アジ研は毎年夏に公開講座を実施し「アフリカ」コースを設けているが、20年前は10名ほどしかいなかった参加者が近年では大幅に増えた。参加者層は研究者・学生・一般人と多様だが、近年の特徴としてはコンサルタントなど仕事としてアフリカに関与している人が来て下さっている印象がある。 アフリカへの関心が高まった背景には様々な要因があるだろうが、国際社会における貧困削減の流れとシンクロしている部分があると感じている。映画「ホテル・ルワンダ」が日本で社会的現象になったことには驚いたが、こうした映画やホワイトバンド・キャンペーン、LIVE8、債務救済を訴える動きなどをきっかけに、「世界の貧しい人たちに対して何かをしなくてはいけない」という社会的雰囲気が高まり、アフリカに目を向ける人が増えたのだろう。「ホテル・ルワンダ」の日本上映を求める運動がインターネットで広まったり、アフリカへの関心がグローバルな市民運動の高まりを背景としているところなど、今日的だなあと感じている。 また、貧困削減・開発というアプローチの他に、1990年代におきたソマリアの混乱やルワンダでの大虐殺に対し、「国際社会は何もできなかったではないか」という反省の視点からアフリカに関心を抱く人たちも増えていると思う。人道危機・安全保障からの関心というアプローチもあるのだろう。 聞き手: 以前と比べると、最近になってアフリカに関わる人達は、アフリカ社会に対する純粋な関心だけでなく、援助や貧困など、何かしらのイッシューに絡めた形でアフリカを捉えようとする傾向があるようですが、そのような変化についてどう思われますか?また、アフリカへの関心が高まる中で、研究者としての役割はどこにあるとお考えでしょうか? 武内氏: イッシューの事例対象国としてアフリカを見る方法もありだと思う。きっかけが何であれ、アフリカに関心を持つ人が増えることは前向きにとらえたい。映画「ホテル・ルワンダ」には批判できる箇所もあるが、多くの日本国民の目をアフリカに向けさせるきっかけを作ったという点で、十分評価できると思う。
自分自身、Primitiveな興味からアフリカ研究の道に入ったので、アフリカへの関心の持ち方はどうあるべきかなど偉そうに言えない。アフリカを取り上げたイベントや催しものが増えることは、関心の間口を広げるために貢献していると思う。ただ裾野が広がったぶん、研究者としては、現実に即した、且つできる限り偏見を取り除いたアフリカの姿を伝えることが求められるのだろうと思う。ハードなデータに基づいた正確な情報もさることながら、それらの情報に基づいた研究者としての解釈を提供し、一般の人々により深みのあるアフリカ認識を伝えるということ。その点では、社会的責任があると思う。 武内氏: 一研究者として政策形成や実務のお役に立ちたい気持ちはあるが、高い研究レベルの見識があってこその政策提言と考えている。日本でも世界レベルのアフリカ研究の実績はあるが、全体として層が薄く、まだ底上げをする時期だと思っている。
研究レベルの底上げには、個人の研究レベル向上に加え人材育成も必要。ただ、昨今の盛り上がりに見るような「アフリカに何かをしてあげる」という視点だけではなく、アフリカ地域の国・人が持つダイナミックさを学ぶことが大事で、そういう発想でアフリカにアプローチできるような大学院教育や人材育成プログラムがもっとあっていいと思う。 武内氏:日本の研究者は現地に入ってミクロなデータを収集してくることが得意で、アフリカ研究が育つ土壌はある。既に素晴らしい研究をしている人もいる。しかし、社会科学分野での研究手法にはまだ向上の余地があると思う。
欧米諸国では、政策批判も含め、政策を意識しながら研究している人が多いと感じている。政策形成と研究の距離感が日本と違うのではないか。アフリカとの距離も近く、多くのアフリカ人が在住するヨーロッパ諸国は、アフリカ諸国の動きに対して緊張感がある。アフリカが抱える課題に対する切実度が、欧米と日本とでは明らかに違う。 武内氏: 「なぜアフリカに関わるのか」という点について個人的なレベルで答えるなら、それは「自分とは何か」を知るためで、きわめて利己的な動機だ。自分にとって研究関心の根源は、アフリカのため、他人のためではなく、自分を知ること、その自分が生活している日本を知ることにある。アフリカを見ることによって、自分の生きている状況が相対化され、結果として自分がいかなる時代に、いかなる社会に暮らしているのかがよくわかる。当たりまえと思っていることが当たりまえでない環境をみることによって、自分の世界(観)がクリアになる。 アフリカに目が向いたのは言語がきっかけ。高校生の頃にベトナム難民に興味がありベトナム語を学ぼうと考えていたら、「宗主国のフランス語の方が将来役に立つ」と言われた。このアドバイスは今から思えば正しくないが、ともかく大学ではフランス語を選択することになった。フランスに留学できるほど成績がよくなかったし、発展途上国に興味があったので、大使館での仕事に応募し、運良く在チュニジア日本大使館で2年間働くことになった。現地に住む経験を通じてアフリカへの興味を深めていった。 帰国後アジ研に入り、フランス語圏中部アフリカを担当するよう言われ、そこで最も大国であるザイール(現コンゴ民主共和国、首都キンシャサ)を選んだ。その頃は何を研究テーマとすればよいのかわからず、まずは人々が何を食べているか、それがどこで作られ、どのように運ばれてくるのかを調べようと「キャッサバ」(中部アフリカで主食とされる芋の種類)の研究を始めた。ところが、1990年代初め、2年間アフリカに在外研究で赴任する段になってザイールの治安が悪くなり、隣国のコンゴ共和国(首都ブラザヴィル)へ赴任先を変えた。1992年10月にブラザヴィルに着任したが、しばらくすると今度はそこが内戦状態になってしまった。しばらくそこにいたが、1994年初めにとうとう退避し、4月に任地をガボンへ変更した。ちょうどその頃、ルワンダで大虐殺が起こった。コンゴ共和国での紛争の経験は、研究助手をしていた仲間のコンゴ人から悲惨な話を聞かされるなど、自分にとって大きな衝撃だった。紛争を自分で体験し、友人からいろいろな話を聞くなかで、政党と部族の結びつきといった、紛争のメカニズムについても身近な経験から考えるようになった。そこから、ルワンダの紛争をいわゆる「ツチ族とフツ族による争い」という説明で片付けることには違和感を抱くようになった。 帰国した1994年10月は、日本で自衛隊をルワンダ難民支援のために派遣するかどうかの議論が盛り上がっていた頃だった。ルワンダの紛争についてよく報道されていたが、しばしばその説明は「ツチ族とフツ族の・・・」という紋切り型で、疑問を感じていた。帰国後しばらくはキャッサバの研究を続けていたが、1997年度から自分がアジ研でエスニシティと政治変動についての研究会を主催することになり、その過程で紛争問題の研究を深めていった次第。
先ほど自分がアフリカ研究の道に入ったのはPrimitiveな興味からと言った。要するに、おもしろそうだという程度のことだった。自分の研究人生も、最初から明確な方向性を貫いてきたというより、いきあたりばったりの部分が大きい。 武内氏:マクロな政治動向とミクロな社会経済の両方を見たいと思っている。マクロ・ミクロのどちらかに優劣をつけられないが、村の普通の人々がどういう風に考えているかは知っておきたいし、そのことは重要だと思う。
ルワンダで研究を始めたとき、政治を(研究課題として)正面に掲げて現地に入るのは難しいと感じたこともあり、土地問題を研究題材に選んだ。土地の問題が政治的問題と密着につながっていることは、その研究過程ではっきりした。マクロレベルで起きている政治の動きは、土地問題にも反映されている。 武内氏: 社会の変化に興味があったように思う。自分の住んでいる世界(日本社会)でさえ、昔に比べ急速に変化している。アフリカ社会の変化は劇的だし、アフリカの人たちにしてみればその体感スピードはもっと速いはず。 アフリカの人たちが食糧としているキャッサバの動きを知りたくて市場に入って観察しているうちに、キャッサバを運んでくるトラック、つまり、市場を成り立たせているアクターに興味を持ち、トラックに一緒に乗せてもらいキャッサバの買い付けに連れていってもらったりした。トラック運転手やそのグループの話を聞いていると、彼らのパワーを「すごいな」と思うことがしばしばあった。彼らと話すことは単純に楽しかったし、仕事や暮らしぶりを見ていると、とても魅力的だった。 コンゴやガボンの村で生活しているとき、彼らを「貧しい」と思ったことはない。さすがにルワンダでは、ときどき厳しいなあ、と思うことがあるが・・・。それでも、「貧しい」、「貧困」という言葉には、今でもなじめないものを感じる。アフリカが多くの問題を抱えていることは間違いないし、そこには日々の生活がままならない人々も確かにいる。ただ、自分は「アフリカがいかに貧しいか」ではなく、「彼らがいかにすごい人たちであるか」を現地で実感したし、それを研究という立場から伝えられればなあと思う。 聞き手:貧困削減・人間の安全保障というコンテキストで、日本への提言はありますか? 「すごい人たち」が望ましくない状況にいるとしたら、(社会はそれぞれ違うのだから、同じように変化する必要はないという)単なる文化相対論だけでは限界があって、やはり、状況改善のために何ができるかを考えなければならない。が、何かやるにしても、状況をきちんと把握した上で行う必要がある。何かしらの処方箋を考える前にまず、その文脈や背景を正しく認識しないといけない。どのような政策をとるにせよ、どのようなプロジェクトを実行するにせよ、それがどのような文脈に置かれ、何を背景に持っているのかという点に敏感であって欲しいと思う。具体的な提言ではないが、自分の立場からは、この点を強調したい。 聞き手:日本にとってアフリカとは何でしょうか? アフリカは、日本が国際社会で国力に見合った役割を果たせるかどうかの試金石的存在。アフリカへの政策を見れば、日本外交の特徴や国際社会での日本の位置づけが分かるということ。アフリカは地理的、文化的に離れているからという理由でアフリカに関わらないという選択肢も可能性としてはあるが、それは長期的観点から日本にとってデメリットにしかならないということだろう。 聞き手:国際潮流の中での日本の対アフリカ支援を考える場合、あたかもアフリカ諸国よりも欧米諸国を意識したパフォーマンスであるかのように捉えることもできますが、日本がアフリカに直接関与すべき意義はどこにあるとお考えになりますか? 対アフリカ支援という文脈で「アフリカに関わる」ということの現実は、たくさんの人間が、援助、外交、ビジネス、研究などの理由でアフリカへ行き、そこで人々と交わることだ。欧米諸国向けのパフォーマンスという側面があったとしても、それだけでなく日本としてどのように対応するかは考えざるを得なくなってくるはずだと思う。その意味で、日本はアフリカに直接関与せざるを得ない。そして、アフリカ支援にいかに取り組むかは、日本が国際社会の中でどういう立場を望んだのかを示すし、それによって自分たちの子孫が自国を誇れるかどうかを判断する要素にもなりえると思う。 聞き手:書著の中で、近年発生しているアフリカの紛争は、国家(nation state)が成立していないことに起因すると述べておられますが、アフリカにおける国家形成はどうあるべきでそれに対して日本ができることは何でしょうか? アフリカ諸国は、19世紀末のベルリン会議によって国家の形を与えられ、70年程度の植民地期を経て独立し、それ以降まだ50年程度しか経過していない。急に国家形成を強いられ、国際政治に投げ込まれたという点で他の地域の国々に比べてハンディキャップを負っている。統治のための制度や国民としてのアイデンティティなど、国家を統治するための諸条件が確立しておらず、頻発する内戦もこれが大きな要因だ分析している。一方、(国家は多種多様であっても)ましな国家のあり方はあるはずで、日本を含む国際社会が果たしうる役割の一つは、アフリカの国家形成には時間がかかることを理解した上で、アフリカ諸国が誤った政策をとらないよう(例えば、ひどい人権侵害を起こさないよう)注意しながら関与することではないか。そうした関与をする場合に、援助は政策を誘導するために重要なツールになりうると思う。 聞き手:来年はG8サミット、TICADWの国際会議が日本で開催される他、JICA・JBICの統合によるODA実施体制の再編成の年になります。対アフリカ諸国への援助についても関心が高まる中で、日本がどういうスタートを切るのか注目されていますが、その点についてどう捉えていますか? また個人的な話をすると、「来年に向けて何かをしなければならない」という考えは、自分の中にはあまりない。来年催されるイベントが何かしらの変化をもたらすかも知れないと思うが、特にそれを主導したり、積極的に何か企画するというよりは、協力できることがあれば協力するというスタンス。今後の動きとしては、政府のイニシアティブに加えて、市民社会がどれぐらいアフリカ支援に関われるのかが重要だと思っている。 |
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