GRIPS開発フォーラム


研究者インタビュー


こちら

研究者インタビュー No.5

話し手:

高橋基樹氏
(神戸大学大学院 国際協力研究科長)
聞き手: 山田肖子、尾和潤美、鈴木明日香
実施日: 2007年5月8日 17:30-20:20
 

<要旨>

  • 学生時代から、アフリカや貧困問題に取り組み、国際社会に貢献したいという気持ちをもっていました。社会人として企業で勤務した後、アメリカ留学をステップとしてアフリカ研究者の第一歩を踏み出しました。

  • アメリカで研究できた利点は、主流派経済学の論理がまさに肌でわかった点、世界を規定する論理の中でアフリカの研究に着手できた点、構造調整を始めとする潮流をいち早く理解できた点です。

  • 日本のアフリカ研究を見渡した場合、世界をリードしている分野もあり、特に政策的なこととは直接かかわりのない研究から学べる点が多いと思います。

  • 近年、一部のミクロ経済学者から主流派経済学による合理的経済人のモデルに欠けている観点として、他者への「共感」を考慮したモデルであるべきだという点が言われており、これは今後のアフリカ経済研究の課題にもなるでしょう。

  • アフリカの開発を考える際に重要な点は「国家の確立」ですが、アフリカの国家が国家として成立していない背景には、政府が自主財源を得るための徴税制度が確立していないことがあります。援助依存から脱却し、自らによる開発の道を切り開くためには自主財源の確保が急務です。援助する側が注意すべき点は、アフリカが援助依存に陥っているという事実を忘れずに、外部者として民主化の向上等について対話をするという姿勢です。また、アフリカ自体の経験からアフリカが学べることは多く、アジアの経験を語る前にそうしたことを丁寧に掘り起こしてゆくことが必要です。

  • 援助の理念は「人間としての共感」であるべきで、援助が国益に影響するのは副次的なものに過ぎません。外交のツールはODA以外にもあり、日本人は援助が日本の国家としての品位や道徳性を表すものであることを認識すべきです。例えば、中国との資源獲得競争の中で対アフリカ支援を考えることや日本が署名した国際公約に対して消極的な実行態度を示すことは日本として恥ずかしくないでしょうか。援助は、本来貧困削減という途上国の行政目的のために実施する行政行為であるべきもので、日本もこの援助の原点に立ち帰るべきです。


  1. アフリカに興味をもち始めたきっかけは何ですか?

子どもの頃から幼心に、アフリカに興味を持っていました。ませた子どもだったかもしれません。中学生の頃にはアフリカ解放に参加する自分を夢見たりしていました。当時はまだポルトガル領のアフリカが植民地から独立する前でしたし、アパルトヘイト体制が強化されていた時期でした。また、途上国といっても当時アフリカに興味を持つ日本人は多くはなかったですが、常に人と比べて力点をずらして生きる部分があったように思います。

その後、大学に在学中は日本国内でも様々な矛盾があることに心がひかれ、身近な矛盾から取り組むことを考えて、途上国のことを忘れようとした時期もありました。一方で、大学卒業の年である1984年にはエチオピアを中心とする大飢饉が発生し、やはり日本のことだけを考えるのは良くないという思いも強くなりました。

従って、大学卒業後は途上国に関する活動をしたかったのですが、社会人としてそれをするには自由業(研究者等)でなければできないと思っていましたので、自由業で生きるほどの能力がなかった当時は、まず社会人になることを優先して(株)日本郵船に就職しました。

就職先でも、やはり途上国への思いがあったので、入社1年目の身上調書にナイロビ駐在希望と記載したら、上司から「当社で王道を歩きたいなら、ナイロビではなくニューヨークやロンドン駐在を希望しなさい」と叱られました。しかし、5年3ヶ月間の勤務の中で、組合の中央執行委員を経験したり、経営の観点から 船員の大量雇用整理を選択せざるを得ない状況を目の当たりにしたりと、様々な経験ができました。これらの経験は、その後の人生に大きな影響を与えました。特に、日本がバブル経済の中で、海外との競争において賃金が高いという理由で日本人の船員が会社を去らなければならなかった状況を目の当たりにし、現実の経済における「コスト」というものの持つ重い意味を思いしらされました。企業での厳しい経験を通じて、それを100%受け入れるわけではないけれど世の中には経営の論理があり、物事を持続的に動かすためには入ってくるお金と出て行くお金のバランスがとれなければならないということを考えるようになりました。

  1. 学生時代から社会人になるまで一貫してアフリカに対する熱い気持ちをお持ちだったようですね。研究者としての道を歩き始めることになったきっかけはいつ頃からですか?

会社に入って3年目くらいに結婚し、結婚相手が会社を辞めて留学することに同意してくれたので、週末に留学に向けた勉強をしました。周囲には国連機関で働きたいと説明しましたが、自分の中では、アパルトヘイトの廃止のために働く国際公務員になりたいとか、飢餓の現場に行くことを考えていました。

留学前に考えたことは、何故留学先をアメリカにするのかという点でした。というのも、知り合いの研究者の方に「アフリカを志すのであれば、何故アフリカに行かないのか」と問われたのです。これはたしかに痛い指摘でした。が、大学時代に短期間ですが、既にアフリカを訪ねていましたし、むしろ留学をするなら、世界全体の中でアフリカを考えたいと思ったのです。アフリカ研究といえば、研究の歴史が長いイギリスに留学する方は多いですが、私は世界を規定しているアメリカの論理を理解し、その中にアフリカを位置づけて考えたいと思いました。

戦後世界で超大国となったアメリカ合衆国の指導者がアフリカを見るときの発想は、まず第1に、世界を不安定化してはいけないという自由世界の防衛の観点がありました。ただ、第2にアメリカの少なくとも一部の指導者はアフリカにおける植民地主義に原則論として反対しており、アフリカ諸国の独立をサポートしていました。現代世界の原則のひとつである民族自決の論理を支持して、それを広げようという面がアメリカにありましたし、この点は、私にとってはアメリカに直に行かないとわからないことでした。 日本は、オーガニック・ステート(有機的国家)であまり意図的な組織化を経ずに自然に国となったので、世界をどうするかという理念・論理が希薄ですが、建国理念の下に作られたメカニカル・ステート(人工的国家)であるアメリカの外交を裏付けているのは、そうした理論でしょう。よく使命感外交といわれるのはこのあたりに発しているのだ、と思います。

また、アメリカで勉強していたので、まさに生活実感として主流派経済学が良くわかりました。私は、1989年にアメリカに留学していなければ、研究者として構造調整政策を知ることが遅くなったでしょう。世銀、IMFによって構造調整が提唱されるようになってすでに9年の月日を経ていたにも かかわらず、日本のアフリカ研究者で当時、構造調整を正確に理解している人は多くはなかったように思います。

  1. アメリカでアフリカ研究の基盤を築かれた経験を踏まえ、日本におけるアフリカ研究をどう見られますか?アメリカにおけるアフリカ研究と比較すると、日本のそれには限界があると思われますか?

日本の限界を語る前に、日本には知的、学術的な余裕があること、それを象徴するのがアフリカ研究であることを強調したいと思います。「ブッシュマン」研究においては、日本は世界水準ですが、これは政策的関心や、いわゆる国益とは直接関係がないという面があります。しかし、国益と関係のない研究が世界水準に達しているという事実は、日本社会の知的な余裕、たしなみ、幅(スペクトラム)の広さを表していると思います。 今西、梅棹両先生が築いてこられた人類学・民族学の巨大な伝統(大阪の吹田にある民族学博物館を見上げると、梅棹先生が組み上げられた知的な気構えの大きさに圧倒される気がします)や、梅棹氏の文明論等、伊谷氏以下の皆さんが創り上げられた霊長類研究、人類の起源をたどる考古学など、アフリカ研究のうちの、国益や政策的関心とはとりあえず無関係な学問から我々が学べることはたくさんあります。

日本のアフリカ研究は、アプローチとして村ベースの研究をなさっている方が多いですが、そのアプローチにも既に大きな転換が生じ、定着したのだと思います。現在、ゼミで「アフリカ農民の経済学」(杉村和彦氏著)を講読していますが、著者の杉村和彦氏に代表される新しいタイプのフィールドワーカーが共通して持っている問題意識は、「どんなに都会から離れた農村でも市場は存在するし、学校教育、保健医療サービスという国家の片鱗にアフリカの農民は少なくとも間接的に関わっている」という点だと思います。 全てのアフリカ人の認識の中に、市場、国家があり、それらが世界システムとつながっているという観点は著しく重要で、以前のように文明社会と未開、資本主義と前資本主義に分けて未開や前資本主義の社会の論理だけを明らかにするというのはありえません。こうした新世代の研究者の認識は、わたしたちのように政策的関心をもってアフリカ研究に取り組む者にも大いに参考になるのではないでしょうか。

聞き手:杉村氏の本を読んで考えさせられるのはアフリカ社会の経済は集団の中でのリスク分散の発想が強く個人の利潤蓄積の発想が強くないという点です。これが事実なら、アフリカに対して従来の経済理論を適用することの妥当性自体が問われているように思いますが。

杉村さんの業績は、そうした大きな意味を持っていると言ってよいと思います。ただし、それでも、杉村さんの書物によって従来の経済学の全てが否定され尽したわけではありません。むしろ、近年の開発のミクロ経済学は、リスクの概念などを組み込んでその説明力を著しく向上させてきており、従来の「合理的経済人」の発想のような単純な利益追求以外の論理を組み込んで一人一人の個人行動を分析する枠組みができてきていると思います。これは、経済学そのものの論理が年々発展していることの証左でしょう。一部の開発のミクロ経済学者が言い始めているのは、人間には愛情や遠慮などの非合理的な面が存在し、従来の経済学が言うところの「合理的な判断」だけでは経済行動を説明しきれないという点です。 こうした考えは、さらに考察枠組みの多面化をもたらすものですが、主流派経済学の枠組みにとどまる限り、合理的経済人が何故愛情や遠慮をするのか、という根本的な論理矛盾を抱え込んでしまうという問題があります。その点、われわれのようにまずは、現実に生きて活動している人々に向き合おうとする地域研究者の役割が重要になるだろうと思います。

人間が本来有する多面性(利己的動機と利他的動機)を踏まえずに、ある一面的な人間像を基に社会を描写してしまうと、その社会描写が恣意的になってしまう危険性があります。合理的経済人だけで構成される社会の中でその資源も一般均衡によって配分し尽されるという主流派経済学の論理は、現実的にはその描写を妨げる人間社会における様々な要素を考慮していないと言えるでしょう。アメリカ、ヨーロッパや日本には、「一般均衡論」に近い社会的条件があったと言えますが、アフリカにおける状況は違います。

その一つの要因は、アフリカの農民大衆は自給自足農業に依存しており、市場経済が先進諸国ほど発達していないことです。市場化率(個人の生産あるいは消費における市場への(あるいは市場からの)供給率の割合)が高い先進国の社会は主流派経済学の論理で説明が可能かもしれませんが、市場化率が低いアフリカにおける社会は従来の論理で説明できないのです。これからの日本のアフリカ研究者において、是非こうした問題が議論されることを望みます。

聞き手:高橋先生は、アフリカの特定の村や社会に入って、そこから世界を見るのではなく、マクロな視点からアフリカをひとつのケースとして見るという日本では比較的新しいタイプの研究者のお一人だと思います。このアプローチは、若い世代に増えていると思いますが。

若い方は、「自分の村、フィールド」から研究を始めることに躊躇を覚えるかもしれません。その理由は、アフリカを学びたいと思っている学生の約半数は、「アフリカの貧困解決」という問題意識があるからです。もちろん、フィールドワーカーとして村に入って圧倒的現実からアフリカを語ることも重要ですが、それを現実的にできるのは少数の方に限られています。また、物事のコンセプトを研究することもフィールド研究と同様に重要なことであり、国・地域横断的な視点から互いに共有できる概念を研究することが私の研究アプローチだと思っています。

聞き手:アフリカ研究の課題は大きいですが、一方で、なぜ日本人がアフリカ研究をするのかという意見もあります。

そのような意見も確かにあります。しかし、一方で、アフリカ人が自らを研究をするだけでは、日本人が日本のことを確たる物指しをもたずに語るのと全く同様に、アフリカ人以外には意味をもたないという可能性もあります。例えば、合理的経済人のモデルから考えて日本人の経済行動はこう違うという比較分析の視点があって初めてその研究に意味が出てくるわけで、つまり、尺度か比較の対象が必要ということです。我々、社会科学者は、社会の中に生きている人間を対象としています。 日本に住んでいる人とアフリカに住んでいる人の相違点を知ることは、同時に類似点を知ることでもあります。社会科学の普遍的な理論は、類似点を知ることによって相違点である偏差を考えることを基盤にしていると思います。したがって、日本人がアフリカを研究することは、日本人が欧米を研究すること、欧米人が日本を研究すること、またアフリカ人が日本や欧米を研究することと同様に意味があると言えます。

  1. アフリカにおいては国家が未成熟であるために発展が遅れている、特に、近親者に対する利権配分が問題とされていますが、これはアフリカ固有のものですか?それともあらゆる国家に共通の発展のプロセスだと思われますか?

パトリック・シャバル氏によると、アフリカの国家はパトロン-クライアント関係的結びつきと、その結びつきをパトロンが戦略的に利用する「instrumentalisation of disorder:無秩序の道具化」が基盤になっていると言われます。でも、私は、権力者(パトロン)が「無秩序」を自分の手段として利用する状況はアフリカだけではなくアジアにもあるのではないかと思います。シャバル氏はおそらく、アジアには官僚機構やそれを支える制度が確立しているからアフリカより国家が強く、無秩序の道具化が生じにくいと説明されるかもしれませんが、それでは何故アジアには確固とした官僚機構や制度があってアフリカにはないのかという点が課題になるはずであり、その点はシャバル氏も十分説明していない点なのです。

この国家制度を考えるに際し、ゴラーン・ハイデン氏が1980年の著書で述べた「アフリカの農民大衆は他の階級によって支配されたことがないun-captured peasant(捕捉されない農民)だ」という視点は非常に重要です。アフリカの開発にとって重要な租税制度の確立と密接に関連している視点だからです。日本の場合は、豊臣秀吉が実施し、徳川幕府に引き継がれた(太閤)検地が、権力者によって、社会の主要な富がくまなく捕捉されていた事例として紹介できます。租税制度を確立するためには、何を、誰に対して、どのくらい課税するかを決めなければなりませんが、(太閤)検地の歴史的意味は日本社会が長い分裂と闘争を経て、 権力者と農民大衆の間に課税(年貢徴収)の基礎となる土地の生産力について一応の合意を見た、ということにあるのではないでしょうか(もちろん権力者による無理な押し付けが伴っていたわけですが)。幕藩体制の下では、大名が日本人の主食で貯蔵に便利な米を基準として、生産高については少なくとも形としては、毎年合意を得た上で、極端に言えば一人一人の農民の生産と行動を把握していました。 少し乱暴なことを言えば、更に遡って租庸調の時代から1500年間にかけて政治権力と一般大衆の間でせめぎあいをしながら国家の基盤となる租税制度を確立してきた結果、現在では給与生活者の所得については、本人の知らないうちに税務署が把握し、源泉徴収する制度に行き着いたのだ、といえます。もちろん還付請求や不満のある場合の異議申し立てなどができるわけですが、徴税側にとっては、非常に効率的なシステムです。一方、アフリカにおいては、初めて近代的な支配者となった植民地政府は、租税として人頭税、家屋税、小屋税、妻帯税、自転車税等の数えやすい単位のものを収税するとともに、農作物もコーヒーやカカオ、綿など主に輸出に向けられた商品作物の価値の一部を収奪していました。 これは、農民が栽培する、農民自らも食べる主食作物を捕捉し、年貢を賦課していた日本の経験とは全く違います。 言ってしまえば数えやすい、取りやすいものから徴税していたのであって、アフリカにおける政治権力者は日本のように農民の生産を正確でくまなく捕捉することはできなかったのだと思います。

アフリカの政府が援助依存から脱却できないのは、政府に自主財源がなく支出に対して税収のバランスがとれていないからで、援助依存という病を解決するためには自主財源(税金)を作りだすしかないのです。一方で、現在のアフリカは、税収基盤を抜本的に再編し、拡大すると同時に民主化しなければならないという人類未曾有の課題を与えられています。日本が1500年かけて確立したことをアフリカに対しては半年間でやりなさいという愚を犯さないよう、アフリカ諸国に政策の改善を要請する際に、援助関係者は肝に銘じるべきだと思います。

聞き手:援助機関などがユニバーサルな価値や処方箋を異なる国に当てはめるのは、発展のプロセスとしては必要だと思われますか?

私が若い頃、著書を愛読した伊藤正孝氏という朝日新聞きってのアフリカ通の記者がアフリカで活躍した時代は、アフリカ諸国のほとんどはいわゆる権威主義体制の下にありました。それはアジアの多くの国でも同じでしたが。伊藤氏は「外国人がその国を見つめることに意義がある」と言っていますが、このことは、例えば映画「King of Scotland」の主役であるウガンダの当時のアミン大統領などの独裁者がはびこっていることを念頭に置いたものです。外国人から見られることによって、その独裁者的性格に若干の歯止めがかかるという可能性もあるということです。どんな人間も感性をもっているので、外国から見られていることによって、自らの暴政や残虐行為を恥ずかしいことだと認識させることは重要です。日本では、明治維新の際にキリスト教を弾圧した時代がありましたが、その後は宗教の限定的自由が訪れました。これは、部分的には明治維新のリーダーが西洋に文明国と思われることを重視し「弾圧を続けていたら外国から文明国じゃないと思われる」というプレッシャーがそうさせたのでしょう。例えば、アフリカにおける女性の外性器切除の問題(Female Genital Mutilation)も、「それは彼らの伝統だから、文化だから」と言ってそのまま受け入れるのではなく、「伝統であっても、それは良いことではない」と対話する姿勢が大事だと思います。他方で重要なことは、決して援助をしてやっているという驕りから、高圧的に押し付ける態度をとってはならないということです。アフリカ諸国の多くは深刻な援助依存の状態にあるので、表面的には何でもドナーの言うこと聞いていますが、実質は聞いたふりをして援助をもらい、結局は内部を見ると何も変わっていないという現象もあります。

 とはいえ、世代は変わりつつあり、アフリカの指導層における私と同じ世代の人々は、以前の指導層とは感覚が違うと感じています。重要なことは、アフリカの中で「話し合える人」を増やすことと、アフリカが援助依存しているという事実を心に留めながらアフリカと対話をするという姿勢です。

聞き手:高橋先生が執筆されている援助を主題とした論文は、政策という処方箋を現実社会に日々適用させている実務者に多く読まれていると思いますが、それは援助に対するある種のアンチテーゼとして読んでほしいとのお考えでしょうか。

国際的な援助協調の議論は、日本において議論されているレベルよりはるかに質の高い議論で、且つ、援助のルールを作っている場であることが理解されるべきです。つまり、ヨーロッパのドナー諸国はルールを作るために理屈を考えており、ルール作りに参加しないと、どうしようもないのです。日本の中ではその理屈さえも考えていない人が多いですが、それではルール作りで勝つことができません。ルールが決定的に正しいとは限りませんが、ルールに従わなければ、孤立を招くだけです。日本はこのままでいいのでしょうか。日本なりの主張のこもった援助潮流を創りだすためにも、途上諸国や、他のドナー、そして国際社会のもろもろのアクターに対して説得的な理屈を構築してゆけるような、頭を使った援助をしなければならないだろうと思います。

聞き手:パトリモニアル・ステート(家産制国家)として成立しているアフリカの国家に対する援助が、一部の層を潤わせているに過ぎないと批判されることもありますが、そう仮定した場合に国家を援助する意義はあるのでしょうか。

アフリカにおけるパトリモニアル・ステートは、単なるエリートによるオリゴポリー(寡占)とは違います。例えば、ケニアの初代大統領であるジョモ・ケニヤッタによるネオ・パトリモニアル・ルール(新家産的支配)は、自分が愛している大衆に対して農村のインフラや教育、医療・保健整備などのサービスを供与することによってパトロン・クライアント関係を維持するというものでした。逆に、こうした公的資源を供与し、できればばら撒くという体制を維持できなければ、よりうまく資源を提供できる新たなパトロンに取って代わられます。

こうしたクライアント(追従者)に対する資源供与を伴う新しい家産体制を、武内進一氏はポスト・コロニアル・パトリモニアル・ステート(PCPS)と呼んでおり、現在の紛争の原因はその国家の性質のなかにあるとしています。恐らく、南アフリカをある程度例外として、全てのアフリカの国家にPCPSの要素があるでしょう。武内氏によれば、破綻せずに平和を維持している国と、破綻してしまった国とはパトリモニアル・ステートとしての本質は基本的に変わらないという考えです。この考えに大きな異論はないのですが、私の考えでは、タンザニア等いくつかの国には、いまだ弱々しいけれども官僚制度が根付きつつあり、破綻国とそれ以外の一部の国の違いにも注目していく必要もあるように思います。

重要な点は、タンザニアにおけるスワヒリ語の導入等に見られるように、それぞれの国の国造りのあり方を丁寧に見ることです。一般的に、タンザニアの国造りのあり方はニエレレ大統領という指導者の属人的要素によるものに大きく影響されていると言われています。たしかに彼が作った政策が良かったという面もあります。マンデラ氏(南アフリカ大統領)、ニエレレ氏(タンザニア大統領)、カーマ氏(ボツアナ大統領)(アジア経済研究所の平野さんによれば、この3人をアフリカの三賢人と呼ぶべきだそうです)など、個人的に偉大だったと言うだけでなく、彼らの知恵の中身の何が重要だったかを確認する必要があります。 そうすることで、アフリカ各国自身の経験を、他のアフリカ諸国にもう少し移転できる(replicableな)ものとして一般化することにつながるように思います。よくアジアの経験といわれますが、アフリカは全く条件の異なるアジアの経験よりも、むしろアフリカの経験から学ぶべきではないでしょうか。

  1. 国家としての問題を抱えているアフリカに対して、日本の援助はどうあるべきだとお考えでしょうか?

自分は、参議院のODA特別委員会で「人間の共感以外に援助の根本理念はありえない。国益ではなく、人道主義でもなく、相互依存でもない」と発言しました。今、アフリカの現場やロンドン、パリ、あるいはオスロの国際場裏で話されていることの中身は、外交の論理云々ではなく援助のプロフェッショナルの議論です。それは、途上国における開発を目的にきちんと据えた議論です。このことは、ドナーがモザンビークに赴くのは、自国企業の利益のためでも、資源の確保のためでもなく、モザンビークの社会と国民の利益増進のためであるべきだという議論です。ヨーロッパやDAC(Development Assistance Committee)、世銀、SPA(Strategic Partnership with Africa)などの国際的な場での議論は、プロフェッショナルでアフリカの貧困削減のためにどうすべきかを逆算して議論しています。

聞き手:ヨーロッパへはアフリカの移民が多く、アフリカの貧困削減が国益に直接関連している面がありますが、日本がアフリカの貧困削減を論じても国益にならないのではないでしょうか?

中国から多くの不法移民が日本に入ってきていますが、だから、これを止めるために援助を供与して、中国に経済的に豊かになってもらい、不法移民を食い止めようと思っている人は少ないのではないでしょうか。ヨーロッパにおいても、ODAの最も根本的で重要な動機がアフリカからの移民問題という訳ではないと思います。

聞き手:ヨーロッパにおいては、アフリカに対する援助を国民が支持しており、だから政治家も支持するという面があるのではないでしょうか?

だからこそ、何故国民が支持するのかを考えないといけません。先日、ノルウェーでの会議に出席した際、NORAD(Norwegian Agency for Development Cooperation)の総裁(デンマーク人)が、「我々は我々の北欧諸国の福祉国家こそが、世界で最もよい国家だと思っている。そして我々は利他主義に基づいて援助している」と言いました。その断言ぶりには驚きましたし、ノルウェー人にきくと「私たちはああいう断言はしない」という反応で、少し安心しました。しかし、「利他主義」ということを断言する背景には、北欧の同規模の国々が皆アフリカを援助している中で、自分たちだけが国益のことを主張することなど考えもせず、援助の質について競い合う世界があると感じました。

一方、ノルウェー外交はしたたかなもので、パレスチナやスリランカの和平に関与し、積極的に仲裁役を引き受けていますが、EUには加入せず、また捕鯨については日本と同様の強硬な立場をとっています。これらの点では、援助とは全く違う孤立を恐れない方針で動いています。言い換えれば、平和構築や開発援助とその他の国際関係との間に明瞭な区別がなされているのではないでしょうか。他方日本の、特に外務省の場合には、援助は外交の道具だと言い、あたかも援助独自の目的を否定するかのごとき言説がなされることがあります。援助は、相手国の開発に資するというそれ自体の固有の役割があることを再認識しなければなりません。 アメリカの場合も外交と援助を分けて考えており、援助だけで天然資源が確保できるなどとは考えられていないですし、ましてや援助が外交の万能薬などとは見なされていない。冷戦以後、援助不要論がアメリカ国内で言われUSAID(United States Agency for International Development)を廃止するという議論もあった反面、ベーシック・ヒューマン・ニーズの視点を援助の中で位置付けて主導してきたのは北欧諸国だけではなく米国=USAIDも担ってきたという面もあります。援助は外交の一部に影響することは間違いないですが、援助が国益に裨益するのは副次的効果にすぎないということも理解されるべきでしょう。

日本では良い援助、開発へのコミットが何故議論にならないのでしょうか。それは、日本人が、援助が自国の道徳性を表すものだと思っていないからでしょう。元・イギリス国際開発大臣であるクレア・ショート氏の回顧録を読むと、彼女は若い頃から国内の社会的不正義だけではなく世界の不正義についての怒りを常に問題意識として持っていたようです。日本にそうした政治家がどれだけいるでしょう。日本ではそういう意識を持っているのは若い世代だけで、年をとるごとに忘れてしまう。もしかしたら、逆説的ですが、日本の教育から変えていくべきなのかもしれません。

アフリカにおいて日本のソフト・パワーを活用して日本のプレゼンスを示すことが、最終的には国益に資するという発想が日本にないのかもしれません。そこには、これまでの日本援助の(成功)経験のほとんどがアジアであったという限界が関係しているでしょう。特に、日本のアジアにおける援助は、日本と同じアジア地域に位置する諸国に対して要請主義という形式に基づいて援助を実施したことで、アジアが経済的に発展したと同時にそれが日本の経済的な国益にも跳ね返ってきたという事実があります。そうしたアジアの中における日本の幸運な経験を、そのままアフリカに移転しようとしても上手くいかないでしょう。また、日本とアジアの関係とヨーロッパとアフリカの関係には異なる背景があります。 例えば、農業技術一つをとってみても、アジア諸国と気候風土や民族性が類似している日本国内で開発された農業技術を他のアジア諸国に適用するのは比較的容易でした。しかし、ヨーロッパとアフリカは、その文化・社会及び経済的背景において、日本とアジアの関係よりもはるかにかけ離れているのです。 したがって、日本の対アフリカ支援を考える際には、単純なアジアでの日本の経験の移転という発想を超えなければならない点を指摘したいと思います。

聞き手:日本の援助は戦後賠償から始まっているので、「国益」という概念はそもそも後付けの説明なのかもしれません。だからこそ、日本国内での国益と援助に関する議論がまとまらないのではないでしょうか。

戦後賠償の考え方は、マイナスから始まった国益をゼロに近づくように埋めていくというもので、日本の援助は「ごめんなさい」と自ら頭を下げて低姿勢であることから始まっています。これは、アフリカにおいて、ヨーロッパ人が人権弾圧やガバナンスの問題に対して頭を上げて指導的視点から援助を実施しているのとは違います。戦後賠償に始まる日本の態度は、受け入れる側は謝罪の代わりにもらってやっているという観点なので、日本が口出しをする、すなわち何らかのコンディショナリティ(政策条件)を付けるということは想定されていません。 言い換えれば、ドナー側の介入という発想はないので、それが、ヨーロッパの指導者タイプの援助ではなく、一歩引いて相手に選ばせようという黒子的援助に繋がりえるかもしれません。あえて言えば、こうした静かなアプローチにこそ、日本なりのよさがあり、またアフリカの主体性を重んずることを期待できるかもしれません。

聞き手:日本社会のさまざまな要因を含み込み、それによって援助量を維持するためには、全てが「人間としての共感」に基づいた援助でなはなく、国益の観点が入ってもいいのではないかという意見もあると思いますが。

分からないではありません。しかし、国益という観点が援助政策の中に入ってくると、援助の質や方向性を歪めてしまいます。であれば、援助を不純にするような理由付けは排除してもよいと考えます。援助の量を維持するために必死に防戦されている方々の努力は分かるのですが、国益論を何でもいいから動員して援助の量を維持すればよい、というのは本末顛倒でしょう。国益論に関わって、援助は外交の唯一のツールという方もいらっしゃいますが、それは不勉強なのであって、日本はそんな情けない国ではないはずです。というのは、外務省がコントロールできるのはODAだけしかないかもしれませんが、日本政府全体で見れば、貿易保険、旧・日本輸出入銀行などのツールもありますし、JETROを核とした経済外交などをも行っています。 資源確保の目的であれば、ODAではない他のツールが使えるはずです。 そもそも、何故日本がODAを通じて途上国のために学校を建設したら、優先的に天然ガスをもらえるようになるのか、その理屈が自分にはよくわかりません。全く次元が違う話ではないでしょうか。

要は、国際社会における援助の議論の水準は日本が考えているレベル以上であるということです。援助の中身を真剣に考えないと、現場で仕事をしている大使館の専門調査員、JICAの企画調査員の方々は恥ずかしい思いをしていて、そのこと自体が残念ながら日本の国益を損なうことになると思います。

聞き手:最近の日本国内の議論では、対アフリカ支援を中国との競争という観点で論じる向きもあります。

ここで私がいうことが杞憂に終わればよいのですが、ひとつ心配なのは、日本の一部に我が国も中国と同様、アフリカには政経分離でアプローチするべきだ、という議論が強まることです。どうも一部の人々の中には、アフリカに人権や民主主義を導入するのは時期尚早で、当面は開発独裁で行くべきだという根拠の薄い考え方が根強くあるように思うのです。この議論は二重の意味で間違っています。ひとつには人権尊重や民主主義固有の意義を全く理解せず、これらを開発に従属させている、ということです。 また、アフリカにおいては過去、独裁が多く現れたわけですが、そのほとんどが開発の実現に失敗しています。現在の中国のアフリカへの協力は、強く自国のための資源確保に動機付けられたもので、独裁でありながらも開発・貧困削減に強い決意をもって望んでいる政府を後押ししている、といった類のものではありません。 そもそも、日本は、「人権を無視した援助を実施している中国と同じことをやっている」と国際社会から思われて、恥ずかしくないのでしょうか。 他方で、中国は経済的に成長していますが、内部では貧困に苦しむ人もおり、人権や民主主義の面で大変な問題をかかえています。 そうした中国にとって、アフリカ諸国に対して人権や民主主義の原則遵守を求めること自体が自己矛盾を抱え込むことになります。 この中国の自己矛盾そのものが、日本外交にとっての大問題だろうと思います。今日本は、より長期的視野に立って、中国を世界の人権と民主主義の大きな枠組みのなかに、そして開発と貧困削減に向けた国際的努力の枠組みの中に招き入れてゆくことが必要でしょう。そこに、日本外交の正念場があるように思います。 日本政府関係者は2006年の中国とアフリカ諸国との協力会議の「成功」にややあおられている面がありますが、中国に追従して政経分離でアフリカを支援すれば、遠い将来、中国の指導者たちに嘲られる日が来るかもしれません。ちなみに2010年には韓国もDAC(経済協力開発機構開発援助委員会)に加入しますが、日本が人権や民主主義についてきちんとした姿勢を貫かないと、近い将来韓国にも日本のアフリカ援助の無原則さを嗤われることになるかもしれません。

聞き手:アフリカが注目されている2008年に向けたご自身の役割や目標は?

今年の自分の目標、役割は恥の文化の国日本の人々の「廉恥心(恥を知るこころ)に訴える」ことです。2010年に韓国がDAC入りし、パートナーシップを謳い、援助効果向上を求めるパリ宣言の遵守を誓っているのに、日本が未だに自国の国益のみを重視したり、パリ宣言に対して本当に達成しなくても努力目標程度に考えれば良いといった不誠実な態度をとったり、また、対アフリカ援助額倍増などの国際公約の実現可能性が不透明であったりすることには、危機感を禁じ得ません。この現状で良しとするのであれば、‘Japan has a culture of shame.’ ではなく、’Japan is a country of shame.’と日本の格を下げてしまうことになりかねません。 「援助は貧困削減という行政目的のために実施する行政行為」というヨーロッパでは常識となっている概念が日本では常識ではありません。自分の使命は、研究者として活動できる間、この概念に対して理解し共感してくれる人を増やすために一貫して言い続けることだと思っています。

聞き手:アフリカでは援助協調の体制が確立していますが、その中で日本が果たせる役割は何でしょうか?

日本が果たせる役割は、指導者型のヨーロッパ諸国とはアプローチの異なるドナーとして、アフリカの政府と他ドナーを架橋することだと思います。例えば、アフリカ政府が、ドナーに対して交渉上不利な状況に立たされている場合に、他ドナーの一方的要求があった場合には、それに対して「それは言いすぎだ」と他のドナーを諌める事などは重要です。また、ドナーの大半が途上国が自己の基準に合わないがために、急激に援助を引き上げ、国家の破綻や財政の破産を招くなどの事態は頻繁に生じます。よく理論武装をして、そうした事態を避けるための努力をすることも、また日本ならではの役割であるかも知れません。

よく、「顔が見える援助」といわれますが、ある日本の専門家は「醜い顔を見せればかえって逆効果」だと言いました。日本がSilent Partnerと言われたのは1918年に西園寺代表団が出席したベルサイユ講和会議がその始まりです。この会議では、沈黙を続ける(実は欧州言語で満足のゆく自己主張ができなかっただけだと思いますが)日本の代表団は異様なものとして見られていたでしょう。現場のドナー会合で沈黙を続ける日本は同じように見られてはいないでしょうか。ベルサイユ会議の際には、日本は反人種差別条約を提案する等、国際社会に対して発信するメッセージをもっていました。今、それぞれのドナー会合に出席する日本の関係者に、各途上国の開発についての主張すべきビジョンや戦略があるでしょうか。 必要なのは、日本としてオリジナルな貢献をするためには、国別援助計画などの策定過程を通じて、相手国政府や他の利害関係者に対して明確に主張することのできるビジョンや戦略を持つことです。

聞き手:日本援助の良い面は、例えばドナー会合などで表面に表れてこない途上国現場の専門家の資質や地道な努力だと思われますが、それがなかなか国際議論などの場で出てこないと思いますが。

相手の立場に配慮して、彼らに選んでもらおうという日本の専門家の姿勢は重要です。一方で、「彼らはExpatriate(外国人専門家)として他ドナーのように官僚のポストを埋めているのではなく、政府の横にいてサポートしているんだ」とドナー社会に対して主張し、他ドナーを論破できるような大使館やJICAの人材がいてほしいと思います。ご質問との関連でさらに付け加えるなら、よく日本人の援助関係者から、言葉で伝えられない技能といった暗黙知が大事なんだといわれます。恐らく、それは長い年月をかけた技能伝達の現場などでは意義のあることかもしれません。 しかし、そうしたことを援助の枠組みに取り入れてゆくためにも、「俺の背中を見て覚えろ」といった、外国語に翻訳できないメッセージのままでは困るのです。

聞き手:成果主義を至上目標としているヨーロッパの援助の中では、日本の目に見えない成果を明確にドナー会議の場で説明できない面もあるのではないでしょうか。

確かに指標は大事かもしれませんが、定量的な指標だけではなく、定性的な視点も同様に重要です。例えば、一般財政支援の成果として識字率や予防接種率の向上に結び付ける議論がありますが、財政支出と識字率の間にはいくつもの社会的ファクターが絡むのであって、かなり無理があります。それよりも重要なことは、一般財政支援を実施したことで政府の行政機能が向上し、財政資源の配分が戦略上適切に行われ、会計的なアカウンタビリティが向上したというような定性的な評価なのです。

  1. 日本は国益ではなく質の高いアフリカの貧困削減・開発に資する援助を目指すべきとのご意見ですが、日本国民に対する説明はどうお考えでしょうか?

政治家の方がよく言われるのは、自分の選挙区に戻ると商店街が閑散とした「シャッター街」に遭遇し、商店街の地元の人から何故地元の振興ではなくODAをするのかという指摘を受けるという話です。要は、政治家の方がODAの重要性を説明できていないのです。これは、日本が戦後、高度経済成長によって増加した税収を貧困層へ再配分した日本型の福祉国家的な政治のあり方に深く関わっています。長い間日本国民が政治に期待しているのは、「何かをしてもらう」ことだったのです。 政治を取り巻く人々は、みんなのお金である税金を少しでも自分たちのために有利に配分してもらおうという発想で動いてきました。日本に欠如しているのは、グローバル化が進む国際社会の中で皆が一致して良いことだと考える目的に税金を使用しようという能動的姿勢だと思います。私のこの指摘の現実性を疑う方もおられるかも知れません。アメリカの使命感外交の例があります。 もしかしたら、それははた迷惑なものかもしれません。ただ、私に言わせると、アメリカの使命感外交がはた迷惑なのは、それを日本のような国がうまくカウンターバランスできないからではないでしょうか。 北欧のように小さな国でも、平和構築や貧困削減でキラリと光る能動的外交を行う例を参考にすることも重要に思います。

そうした外国の例を参照しなくとも、例えば日本では、芸術文化の振興や文化財の保護のように、国民の即物的な利益には一銭の得にもならないようなことに巨額のお金を使うことには、一定の合意があるわけですね。開発援助は芸術文化よりももっと緊要性の高いものだと私は思いますが、そうした視点から、援助に使われるお金の意味合いを考えてみることも重要ではないでしょうか。

もちろん、選挙区の商店街の活性化も大事ですが、彼らは日本国民の一部であって全員ではありません。中学や高校で純真な気持ちで学び、途上国での悲惨な事態に心を痛めている学生やその学生を育てている母親も国民なのです。政治家・議員は、選良たるリーダーとして国民全体の意見を吸い上げた政策・理念を策定しなければならないと思います。

 

「人生に迷ったら一度働け!」

「褒められたことを大切に!」

   

 

 バックナンバー
No.15 2008/1/25 佐々木重洋氏(名古屋大学大学院文学研究科准教授)
No.14 2007/12/7 池谷和信氏(国立民族学博物館 民族社会研究部教授)
No.13 2007/11/21 亀井伸孝氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 研究員)
No.12 2007/11/9 鈴木裕之氏(国士舘大学 法学部 教授)
No.11 2007/9/4 若杉なおみ氏(早稲田大学大学院政治学研究科 
科学技術ジャーナリスト養成プログラム客員教授、医学博士)
No.10 2007/9/3 砂野幸稔氏(熊本県立大学 文学部 教授)
No.9   2007/7/12 舩田クラーセンさやか氏(東京外国語大学 専任講師/(特活)TICAD市民社会
フォーラム 副代表)
No.8   2007/7/10 望月克哉氏(アジア経済研究所 新領域研究センター 主任研究員)
No.7   2007/6/23 杉村和彦氏(福井県立大学教授、学術教養センター長)
No.6  2007/5/30 遠藤貢氏 (東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻 教授、「人間の安全保障」プログラム運営委員長)
No.5  2007/5/8 高橋基樹氏(神戸大学教授)
No.4  2007/4/26 武内進一氏(アジア経済研究所 地域研究センター アフリカ研究グループグループ長)
No.3  2007/4/16 峯陽一氏(大阪大学准教授)
No.2  2005/12/15 佐藤誠氏(立命館大学国際関係学部教授)

No.1  2005/11/25

北川勝彦氏(関西大学経済学部教授)

 

このページのトップへ↑



[アフリカの森]