GRIPS開発フォーラム

アフリカ研究書
ななめ読み
著者インタビュー


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著者インタビュー No.2

話し手:

佐藤誠氏 (立命館大学国際関係学部教授)
『アフリカ経済論』の著者
ななめ読みNo.2を参照)
聞き手: 大野泉、山田肖子、鈴木明日香
実施日: 2005年12月15日

 

山田:日本の援助は借款主導で当該国の自主性、主体的開発意欲を促すというような考え方がこれまであった。アフリカへの支援で借款が果たせる役割についてどのようにお考えか。

佐藤氏:今では日本の援助自体、贈与がアフリカ支援の主流(98%)となっているのだから、日本は未だに借款をしているから駄目なんだ、という議論は必ずしも成り立たないだろう。借金を返済する努力を通じてその国の自助努力を促進するという考えにも一理あるし、事実、東アジア諸国は借款援助をうまく利用してきた。 しかし、現状のアフリカにおいてローン返済が可能な国は南アフリカなどに非常に限られてしまう。 アフリカはアジアの途上国とは異なる状況に置かれていることを踏まえて、支援形態を考える必要があるだろう。

山田:つまり、アフリカ支援を考える際は日本の今までの開発援助のやり方、返済努力を通じて開発を促すという考え方は修正する必要があるということなのか?

佐藤氏:そうだ。今年の7月にスコットランド、グレンイーグルスで開催されたG8において、世銀・IMF等国際機関が拡大HIPCsイニシャティブ適用国に対して債権を100%放棄することを発表した。 日本は同イニシャティブが導入された1999年当初、借款の債権を放棄せずに、債権の額に該当するグラントを供与するという形、債務救済無償の供与で対応しようとした。 このややこしいやり方は変更を嫌う官僚的な事務の象徴に見えるし、そんな方法は止めるべき。 東アジアを中心に円借款がある一定の役割を果たしたのは事実だが、アフリカに同じ効果を望めないのであれば違う戦略を立てたらいい。

山田:最近は「人間の安全保障」もテーマに執筆もされていますが、アフリカ援助においても「人間の安全保障」はキーワードになるのか?

佐藤氏:「人間の安全保障」の概念を運用させる場合、2つのタイプがある。カナダ型と日本型。カナダ型は人間の安全保障という名目のもと、時には主権的領域国家への軍事介入(PKOの派遣)・人道的介入も必要と認識している。虐殺が起きている時にインフラ支援をしても意味がないというのがカナダのスタンス。 軍事介入・人道的介入に対してよく挙げられる批判は、恣意的要素が大きく被介入国の意思を無視することにつながりうるし、介入のタイミングを間違えればデメリットが大きくなるということである。他方日本型はODAを通じた開発援助の中でじっくり平和構築をするという姿勢で「人間の安全保障」に臨む。日本のスタンスは間違っていないと思うが、カナダの経験にも学ぶ点がある。 日本は時間をかけて平和構築を支援するやり方を考えていったらいいと思う。 但し、やり方は慎重に選択しなければならない。

例として、話は少し横にそれるがイラク問題をここで挙げたい。イラク問題に関しては多くの批判が集まっているが、中でも戦争の大義が失われていることが大きな問題となっている。イギリスもアメリカも国民をだまして戦争に入ってしまったことについて始末がついていない。自衛隊のやっている人道支援の中味それ自体を否定するつもりはないが、こうした状況のなかで日本が人道支援を行うことは難しい。 ある一国の制度を壊しておきながら(戦争した米英などを支持する立場で)それを修復しに行くという一連の行為を人道的救援だというのは、日本がやっていること自体が戦争でなくても、歴史のコンテクスト、国際政治の考えの中に当てはめた時、純粋な復興支援とは異なる意味を持ってしまう危険性がある。従って、人間の安全保障の概念の適用は、大きなコンテクストの中に位置づけて慎重に考えなければならない

山田:お話をきいていると、「人間の安全保障=Fragile State(脆弱な国家)への介入」と考えているように見受けられるが、ご自身における「人間の安全保障」の定義は何か?貧困地域で飢饉に直面している農民達が持続可能な生活に戻れるよう支援することも、人間の安全保障の取り組みの一部に入るのかもしれないが・・・。

佐藤氏:広義に考えたいと思う。緒方貞子氏とアマルティア・セン氏を共同議長とする「人間の安全保障委員会」でも、人間の安全保障を「欠乏からの自由」、「恐怖からの自由」を求めることと位置づけている。なので、貧困地域の農村を助ける事も人間の安全保障の定義に含まれうる。 しかし、こうした見方に対して現実主義に近い人は、「ならば外交政策全てが人間の安全保障と位置づけられるし、そうなると人間の安全保障という言葉に意味を持つのか」という批判を投げかけてくる。 その批判には受け止めて考えなければならない内容が含まれている。

そもそも日本政府が「人間の安全保障」をアフリカなど途上国支援のコンテクストに持ち出した理由(政治・外交的背景)がどこにあるのか考えたい。日本にとってアフリカ支援の短期的経済リターンは非常に少なく、それが目的とは言えないだろう。むしろ、長期的には、日本が国連の国連常任理事国に名乗り上げた際の支持票獲得など政治面における戦略的な狙いがあるだろう。

常任理事国入りしてしまうと、国際社会の安全保障に対して日本がどの様なスタンスを取るのか問われることになる。集団的自衛権は憲法上認められておらず、日本国民の合意もとれていない。軍事力として世界展開を日本は出来ず、また、そのような軍事展開は米国も中国も期待していない。 そうした条件下で、日本が安全保障に努力するというアピールをするために、つまり、「人間の安全保障」を日本の強みとしてアピールすることで代替しようとしていると分析する人が、横田洋三氏(中央大学教授)をはじめいたが、そのとおりだと思う。

山田:つまり日本は、狭義の安全保障を正当化するために、広義での人間の安全保障を提示しているという理解なのか?

佐藤氏:そういう面もある。「外交青書」を過去何年間か見てみると、人間の安全保障の記述が随分ある。かといって、今までの日米安全保障の文脈に変化が生じてきている訳でもない。日米安全保障と併行して人間の安全保障、グローバルな安全保障の概念が持ち出されるようになってきている。 安全保障には様々な要素が絡んでいるので政策も多様化するのは分かるし、参議院議員の武見敬三氏なども、日本の安全保障には3つの要素があり、人間の安全保障もそれに含まれると述べている。 しかし、3つの要素の中で論理連関がなければいけないが、そこがおろそかになっている。例えば、日米安保体制のもとでの沖縄の人の人間の安全保障をどう考えるかなど、矛盾を解く糸口がない。また、先ほど述べたイラクへの軍事介入のケースで人間の安全保障はどう考えればいいのか。 戦争で混乱した状況が与件としてあって、そこに入っていくということだと、そのような状況を予防するのが平和構築本来の目的で人間の安全保障の概念が果たす役割だとすれば、ちょっと違うのじゃないかということにもなる。

山田:アフリカ支援との関連で言うと、人間の安全保障は、短期的経済利益がないアフリカに対して日本の関与を正統づける一つの概念枠組みとして形成されていくプロセスにあるのかとも思われる。

佐藤氏:私の「アフリカ経済論」での担当章での議論を図式的に言うならば、日本のアフリカ関与というのは言うならばTriangle Thesisで説明できるということだ。つまり、日本の場合、中東でのオイルショックの経験が、中東へのリアクションと同時に、アフリカへ目を向けるきっかけになった。アフリカに対してシンパシーがなかったとは言わないが、「今度中東で同じ事が起きたら大変だ、もう一つパートナーを作っておかなければ」という考慮が大きかった。また、田中内閣のときにバンコクやジャカルタで反日暴動が起きた。 そのことが日本にショックを与え、外交上、事前的・予備的友好ネットワーク作りを目指すきっかけになった。特定地域だけとの交流では、その地域との関係が崩れた際に日本は孤立してしまうので、その防衛策として他の地域と関係をつくっておくという考え方だ。

日本はReactive State*1で他国の反応をみて自国の進む道を探していくタイプ。なので、アフリカへの関与も、他国との関係性の中で認識し始めたのだろう。特に重要なパートナーの一つである東南アジアのリアクションを見てアフリカとの関係を位置づけたと思う。

山田:Reactive Stateという話は大変興味深い。(第1回の)北川先生にインタビューした際も、歴史的にみて、日本はヨーロッパ諸国に反射したアフリカを見て反応している傾向があると言っていたが、それは変えられないのか?

佐藤氏:結論から言えば、ダイレクトに向かわなければいけないが、まだ出来ていないということだ。個人的な感想として一例をあげると、アフリカ地域の医療と伝道に貢献したアルベルト・シュバイツァー−ヨーロッパの、聖人と言われたIcon−の目を通してアフリカを観ている。アフリカ研究の先輩達も言い続けてきた事だが、アフリカと日本を結ぶ直接的な接点を増やす事が急務。 最近はアフリカへ行く学生も増えてきているので、市民社会のレベルで昔とは明らかに状況は変化してきていると思う。 意識的にアフリカを見る人たちが増えれば、アフリカに対する働きかけも大きくなっていくのではないだろうか。

山田:アフリカ支援は要請主義から段々戦略的なものになっていくだろう、とも「アフリカ経済論」の中で書かれているが、アフリカ支援の戦略枠組みとして使えるほどに「人間の安全保障」はフォーカスされたものなのか?「人間の安全保障」の概念自体、広いことは先ほどの説明にあったが・・・。

佐藤氏:学者や実務者の間でも見解が分かれる非常に複雑な問題である。「軍事介入には批判的だが人道的介入は否定しない」と言う意見は多くあるが、そもそも軍事介入と人道的介入の境界線は曖昧。暴力装置である軍事力を直接使うかどうかで分けることが多いが、両者の根本的な違いは、被介入国の同意があるかどうかだろう。 しかし、非軍事的強制介入もありえ、非軍事的だからと言っても主権国家システムの下では正統な行為とは限らない。 例えば国境付近にいる難民を(外国人が)入って行って引き受けるということも国民国家の絶対的主権を前提と考えれば、強制的な介入とも取れる。 この考えに立てば、国家の主権を尊重するあまり、(その国が個人の人権を抑圧するような強権的な国家の場合には)弱者救済でなく強者救済にもなりうる。ただ、国家権力による暴力がなくなれば平和かと言えばそうではなく、ソマリアやユーゴがいい例で、国家の解体が平和と逆の方向に向かっていたことが、少なくとも短期的には否定できない。 人間の安全保障論の一番弱い点は、国家の位置づけをどうするかということ。国家安全保障の汚い面を批判するが、じゃあ国家をどうするのか、理論的に十分に練り上げられていない。

山田:日本の政府の外交戦略として、アフリカの特定の国の国内イシューにそこまで踏み込むことにそこまで意味があるかどうかと言ったときに躊躇があると思う。やはり無難なところに行くようになるのでは?

佐藤氏:まどろっこしいようでも国民の合意形成は必要。93年に日本もモザンビークに自衛隊を送った。そのときに私が批判したのは、もともとはあの紛争の原因は国際的アパルトヘイトの展開にあるのに、その時点までに日本が南アにもっと毅然たる態度を取っていれば、もっと有効な働きかけが出来たはずだということだ。

山田:日本が南アに対して必ずしも批判的な態度をとってこなかった理由として、経済的利益が背景にあったからだと思う。そうした経験から、日本が国家としてある国に対するスタンスを決める場合、民間企業なども含めていろいろな関心事があるなかで、その国家に関与する方針を一つに集約していくというのは非常に困難な作業なのではないかと感じた。

佐藤氏:南アフリカの友人で政府系の関係機関に勤めている人がいるが、その友人に、1994年以降、日本が鉱業資本への投資などを通じて交流を更に深めてくるかと期待していたのに何ら変化が無いと言われ、期待はずれだった様子がうかがえた。事実、アパルトヘイト体制が敷かれている時代も、他国は経済制裁を課していたが日本は国際批判を浴びながらも貿易し続けていた。 そこまでして経済的利益が南アにあったのならば、アパルトヘイト体制が廃止になった新政権以降、日本は全面的に直接投資をしてもおかしくなかったはずだ。南アの友人達は日本のそういう関与を期待したふしがある。期待はずれだったということだ。 もし本当に、南アが希少金属、貿易の拠点であるという論理、資源確保の分散ということが主要目的なら、ナイジェリアへの関与なども違った形になるはずだ。日本の政策に一貫性がないため戦略的な政策をとれなかった。日本のそうした姿は、現実主義とも言えず対症療法的。

山田:日本の政策に一貫性がない理由は何か?Reactive Stateだからか?

佐藤氏:Reactive Stateは必ずしも悪いとは思わない。周囲の状況にReactiveでいること、それによって自分の置かれている立場を検証していく事は必要。米国はReactiveになって欲しいぐらい。問題なのは、誰に対してReactiveなのか、Reactiveの中でどういう意見を言うかが大事。日本は自分のスタンスがなく振り回されて終わるから問題。 国際潮流に流されているというよりも、端的に言うとアメリカだけを見ている感が否めない。イラクへの自衛隊派遣にしても、米国との同盟関係を大事にしたということに尽きる。 アフリカの友人でも、日本はそんなにお金があってなぜ主体性がないんだ、などと言う人もいる。最終的な局面で常に日米安保体制が優先されてしまう今の日本は危ないとさえ感じさせる。

振り返ってみれば明治維新のころから日本は一貫してReactive Stateだったが、その頃はバランス感覚が今よりもあったのではないか。アジア侵略は良くないが、日露戦争終結のタイミングも世界情勢をみていた節がある。しかし、それは日中戦争以降おかしくなってしまい、戦争に負けても元に戻らない。Reactiveなのは昔からだが、グローバリゼーションが進みネットワークも広がる中で、国際社会を支配しているdominant powerに対してのみReactiveになってしまったのではないか。アフリカに対してもReactiveになる必要がある。

大野:明治維新の頃は日本なりに富国強兵という目標をもち、特定の国との関係ではなく、日本自らの目標達成のために外交判断を下していた。

佐藤氏:当時の情報・技術の取り方はうまかった。医者はドイツ、芸術・フランス、海軍・イギリス、陸軍・プロシア、農業・アメリカ・・・。そのぐらいの感覚はあった。こういう主体的なreactivityは、近代日本の評価すべき点ではあるだろう。

山田:日本にとってアフリカは何なのだろうか?

佐藤氏:グローバル化が進むなか、アフリカはLDCの象徴的な存在。貧困・紛争・飢饉と、開発課題の集大成がアフリカにある。直接的利害も薄いし、対中国に背負っているような歴史的関係もない。しかし、それ故に日本人の国際感覚、政治感覚、ヒューマニズムなど、あらゆるセンスが問われる鏡なのではないか。 アフリカに関しては、直接ではなく、国際社会をどう見るかというフィルターを1回通さないと、日本として適切な対応がしにくい地域だと思う。

山田:(第一回目インタビューの)北川先生とお話ししたときも環インド洋のアジア・太平洋諸国の地政学的繋がりをアフリカに対する日本の関与のひとつの理念的基盤に出来るのではないかという話もあったが・・・。

佐藤氏:環インド洋共同体という話は一時盛んだったが、最近はあまり聞かない。あの時は、モーリシャスなど割と小さい途上国が議論に熱心だった。モーリシャスのような外資導入型、ミニ・シンガポール型の開発はやがて行き詰るので、広域の自由市場が欲しかったということだろう。 インドもオーストラリアも南アもそれぞれ関心はあるが、関心度がさほど高くなかった。例えばオーストラリアで言えば、アジアとの関係の方が環インド洋よりも優先したということだろう。

山田:今お話していて思ったが、東アジア共同体がもう少し実態的効力を持ってくれば、アフリカとの関係も変わってくるかもしれない。

佐藤氏:そうだろう。そうすると、あまり意識していなかったが、アフリカを見るに際し、アジアの問題はどうしても関わってくるということになる。飛び越えてアフリカは考えられないのだろう。

山田:現場に入ると、援助協調、援助モダリティが進んでいて、他国と協調してやっていかなければならないという面があるが、日本は国際コミュニティの中でどのようにやっていけると思うか?

佐藤氏:神戸大学の高橋基樹教授の影響を受けていることもあるが、個人的には援助協調は不可欠という見方をしている。フランス、イギリスなど旧宗主国も含め、今の時代、ひとつの国だけで一国の開発を面倒みることはできないので、援助協調は大事。援助協調の潮流の中で日本なりの国際戦略を立てるしかない。

山田:NEPADなどのアフリカの主体的開発への動きについてはどのように見ているか?

佐藤氏:アフリカ地域が主体となった取り組みという点では評価できる。アフリカの友人達の中ではNEPADに批判的な人が圧倒的に多い。国際的に言っているのにふさわしいようなことを国内で全くやっていないという意味なのか・・・。そういうことをアフリカの国々が言い出したことに価値がある。

大野:アメリカが民主主義をdogmaticに推し進めていることの弊害なども考えれば、日本がいい意味でのReactivityを発揮し、開発途上地域のニーズに上手く対応できれば、アフリカ支援においても日本の持ち味をだせると思うのだが。

佐藤氏:言葉だけで言えば、「要請主義」だって悪いことでは決してない。相手が計画を持って来たからそれに対して応えましょうというのは本来正しい。それが実際にはそのように機能していない。 Reactiveというのも同じで、自らのスタンスがあって反応するならいいが、ただ振り回されていて、しかもその影響の発信源が今、(アメリカなどに)一本化されつつあるのが問題だということだ。 日本の良さはアフリカ支援においてもエッセンスをもたらすことができると思う。特にTICADUで打ち出されたアジア、アフリカと日本の3者でアフリカ支援に取り組もうという発想は間違っていないと思う。現実はその形にはなっていないけれども・・・。

山田:アフリカ関与という点だけに限定すると、日本はアメリカに反応しているというよりは、英国、ないしは国際的な援助潮流に反応しているように見える。

佐藤氏:確かに、パリクラブなどの国際的な潮流の影響があるかも。先ほどは日米安保体制が何よりも優先されていると述べたが、アフリカ支援に関しては必ずしも米国だけに向いているのではないように思う。だからといって、純粋な国際社会を見ているとも思わない。 英国だったりフランスだったりと、欧米主要ドナーなのではないか。

山田:お話を聞いていると、日本もいろいろな外的要因にreactしていて、それらが重なり合って日本独自の方向性が最も見えにくいのがアフリカ関与なのかなという気もしてくる。はっきりしない「国際社会」という対象に対して、何かhumanitarianなところを見せなければいけない、というような・・・。アフリカに対するコアな方針がないまま散発に行動が出ている。

大野:あるときはアメリカがアパルトヘイトに対して極端に厳しい態度を取ると、それによって影響されることもある。

佐藤氏:87年頃、日本が南ア貿易で1位になったとき、アメリカの市民社会や議会がそれに対して非常に批判的になった。国際社会からの批判の中でも、やはり日本はアメリカの世論を一番気にする。それ以来、日本の対南アの姿勢がガタガタしだしたという印象がある。

大野:日本のODA予算が限られている中、アフリカ支援に取り組みの具体的アプローチはどのようなものが適切とお考えか?例えば、広い視野で平和構築・紛争処理も含めて満遍なく対処していくのがいいのか、もしくは一定の政治的安定を遂げて開発に取組む段階にきた国に援助を集中させてモデル国となるようなアプローチをとるのがいいのか、など・・・。

佐藤氏:多面展開は人道的には好ましいけれども、限られたリソースをもって成果を出すためには選択と集中も必要。特に選択は慎重にやらなければならない。アフリカ地域における支援を難しくしていることの1つに、カウンターパートとなる国の市民社会が弱いことが挙げられる。 政治に関しても、強引な選挙制度の導入だけではだめだということははっきりしているわけで、市民社会が成熟するには、特に同じ市民社会レベルの関係(政府を通さないNGOによる支援活動)が大事だと思う。

山田:日本とアジアの関係の歴史を見ていても、国としての公的チャンネルの他に市民レベルでのミクロな人間関係が沢山あった。チャンネルが分散していて、いろいろなレベルでの関係性があるから、二国間で生じる問題への取り組みも重層的になるのだろう。アフリカに関しては、個人レベルで感情移入や関わりのある人が少なく、どうしても国家という塊で見ることになってしまう。

佐藤氏:そういった意味では、文化交流なども長い眼では重要なのであろう。日中交流史を見ても、外交レベルの他にフォローできる政府以外のアクターがいた。アフリカについても、そういうアクターを増やす事が今後の課題だろう。

*1「アフリカ経済論」の中で、Calderを引用して佐藤氏が展開した議論に基づく。Calder, Kent, “Japanese Foreign Economic Policy Formation: Explaining the Reactive State”, World Politics, vol. XL, no. 4, July 1988.


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