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研究者インタビュー No.3
話し手: |
峯陽一氏(大阪大学准教授) |
聞き手: | 山田肖子、尾和潤美 |
実施日: | 2007年4月16日 17:00-18:00 |
聞き手:一研究者としてアフリカに関わってこられて、アフリカにおけるこれまでの変化をどのように見られますか? 峯氏:アフリカ研究者といっても、マクロな視点から全体を見る人と、ミクロな視点から見る人がいると思いますが、私は、研究のフィールドとして南アフリカ(南ア)を観察してきました。そこからアフリカを見ると、やはり1994年が大きな変化の年でした。 1994年は、マンデラ政権誕生後、南アがアフリカ統一機構(OAU)及び南部アフリカ開発共同体(SADC)に加盟した年です。経済大国である南アがアフリカの一部に公式に組み込まれたことが、本当に歴史的な変化だったと思います。 というのも、それまで南アは、政治的にはアパルトヘイト体制のせいで、国際社会からもアフリカ諸国からも、パリア・ステート(疎外された国家)として扱われていました。経済的には影に隠れた貿易や投資活動がありました。先進国は南アの人道問題を批判しつつ、経済関係を維持していましたし、アフリカに南アにすり寄る政権があったのも事実です。しかし、南アと全面的な友好関係を確立することは、ほとんどの政府や企業が自粛していました。ところが、民主的な新体制が樹立されたことで、南アは政治・経済的にアフリカ大陸に公式に統合され、文字通りの地域大国となり、アフリカにおける生産・流通の拠点の役割を本格的に担いはじめました。そもそもSADCは、南アに対抗して集団的な経済自立を目指すために、南ア以外の南部アフリカ諸国が結集して創設したものでしたが、南アはこれに参加しただけでなく、この地域全体の発展の機関車の役割を果たすことが期待されるようになりました。そのような大転換を刻印したという意味で、1994年は特別に大きな変化の年だったと言えます。 特に最近は、アフリカ大陸において南アの投資や南ア製品の流通が激増しています。これを南アの「多人種ブルジョアジー」による「ネオ・コロニアリズム」と言う人もいるくらいです。資源開発や観光を含むアフリカのゲートウェイとして、南アは重要な役割を果たすようになりました。 聞き手:1994年以降、南アフリカのアフリカ大陸における存在が急速に大きくなったとのことですが、南アフリカに対する他のアフリカ諸国からの対抗意識はないのでしょうか?また、南アフリカの側にアフリカの一員としての同化意識はあるでしょうか? 峯氏:南アは他のアフリカ諸国と一緒に成長していく、共存共栄していく、というのが建て前であり、それがビジネス・ランゲージです。しかし同時に、周辺国においては、南アに対する警戒感が強く存在します。また、南ア自体も内部に様々な矛盾を抱えており、南アの国民的な一体性はほとんどないとも言えます。私は1999年から2001年にかけて南アで暮らしていましたが、南ア国内で、人種間の軋轢や貧富の差を越えて共通している価値観は、外国人嫌い、つまりゼノフォビアと、セクシズムだけだ、などという皮肉を何度か耳にしました。
国内に問題が多いと、原因を国外に転嫁することになりがちです。南アでは、たとえば、治安悪化の元凶を作っている犯罪者は南アフリカの人間ではなく、不法移民などの外国人だという認識が根強くあります。こういうところで黒人と白人の認識が一致するというのは、いささか悲しいことです。 峯氏:最近のアフリカ諸国では、外交官からビジネスマン、留学生、肉体労働者と、上流から下流まで多数の中国人が入ってくるようになりました。社会的、経済的、政治的に、中国のプレゼンスは高まっていると思います。一方、中国人は中国人同士で集まる傾向が強く、アフリカ人とどのくらい交流しているかは疑問です。日本人でも内輪で固まろうとする人は多いですけどね。 ボツワナを何度か訪問したことがありますが、あそこでは特に中国への反感が強いと感じました。歴史的には東アフリカ諸国のインド系の人々の地位とよく似ているのですが、中国人はアフリカ人から搾取する中間層的な存在と見なされ、一般にあまり良く思われていない。中国人だと思われると商店の売り子にも無視されるけれど、私が日本人だとわかると、急にニコニコされるようなことが、何度もありました。 しかし、考えてみると、普通のアフリカ人たちが中国、韓国、日本の人々の違いをよく知っているかというと、かなり疑問です。それは普通の日本人に、ケニア人、ウガンダ人、タンザニア人の違いがさっぱりわからないのと同じです。一般的なアフリカ人は、中国による援助と日本による援助の違いも理解されていないでしょう。しかし、「あんな奴らと一緒にするな」というニュアンスで、「俺はモザンビーク人じゃない。南ア人だ」ということにこだわる南アの黒人がいたとしたら、ちょっと嫌な感じがします。同じような意味で、自分が誤解されたとしても、「僕は中国人ではありません」とは、あまり繰り返して言いたくないというのも正直な気持ちです。 最近よく言われる援助協調ですが、日本はなぜ他の東アジアのドナーと積極的に協調しないのか不思議です。日本は欧米の援助動向には詳しいですが、アジア諸国の援助動向にはあまり関心がないようにさえ見受けられます。日本とアフリカの正しい関わり方を考えるのに際して、欧米のレンズだけを通してアフリカを見ていても、あまりオリジナルなアイデアは出てこないでしょう。
国益を剥き出しにした中国の援助と、より洗練された日本の援助という相違は、確かにあると思います。しかし、日本は中国に対する対抗意識をむき出しにするのではなく、アジェンダ・セッティングを自ら行って中国を巻き込む、さらに、援助協調が重要だと本気で思っているのなら、アフリカにおける協調の場に東アジアの隣国を誘い込むくらいのことを、もっとやってもよいと思います。 峯氏:よく知られているように、中国はアフリカとの関わりにおいて、外交的な配慮以外に、資源開発、経済開発を優先させています。日本も同じように資源開発と経済開発を優先させて、ひたすら中国と競争するということでよいのでしょうか。つまり、中国と同じ土俵で、同じ価値観で競争するというだけでよいのかどうか。もちろん経済成長は大切ですが、たとえば持続可能な発展、人間の安全保障といったアプローチは、経済成長の負の側面にしっかり目を向けようとするものです。 日本は、戦後の経済成長の過程で失ったものがたくさんあります。東京への一極集中、乱開発、地方の過疎、少子高齢化など、新しい問題もたくさんあります。先進的なモデルを示すことだけが、先進国の役割ではないでしょう。先に成長を遂げた日本は、経済成長の影の問題にどのような手当をしているのか。急速に追い上げている、まさに「発展途上」の国々に対して、こうした補完的な視点や教訓を提示できることは、アジア先進国としての日本の強みだと思います。人間の安全保障や持続可能な発展といった考え方は、そういう意味でも大切です。 現在のアフリカでは、成長の極と停滞の極があちこちで分解しています。経済成長による格差の拡大が、政治的な紛争の直接、間接の原因になるかもしれません。人間の安全保障というアプローチは、こうした不安定化傾向に対して、国際社会がきちんと手当をしていこうというものでもあります。中国で「和諧」の大切さが語られていることは、対話の糸口になるかもしれません。
日本には、外交やビジネスとは違った分野でアフリカと交流してきたアフリカ研究者が大勢おり、日本アフリカ学会の会員は800人にも達しています。目の前の経済的、外交的利害にとらわれないアフリカへの愛着の視線が存在していることは、日本の対アフリカ関係の貴重な資産だろうと思います。 峯氏:人間の安全保障には、「恐怖からの自由」を重視するカナダ型と、「欠乏からの自由」を重視する日本型があるとされています。前者は、国家主権よりも人道危機への対処を重視するという考え方で、必要ならば主権国家の意向を無視してでも介入することが必要だという立場だとされています。それに対し、後者は緊急の介入型の援助よりも、むしろ長期的な開発の観点から人間の安全を増進していこうとする考え方だとされています(本企画の佐藤誠氏とのインタビューも参照)。 いま、「されています」と申し上げましたが、今の日本では、「日本型」というほどには、人間の安全保障と開発を結びつけた議論が活発でないように思います。軍事介入よりも平和的援助の比較優位を生かしながら、人間の安全保障をめぐる議論に独自の貢献をしていくことも大切だと思うのですが、あまり深められていないという印象を受けます。戦後の日本の開発援助の経験を考えると、もったいない気がします。 私自身の考え方を述べますと、人間開発(Human Development)と人間の安全保障(Human Security)を組み合わせて考えることが重要だと思います。グローバリゼーションは、ローカルな社会を不安定化する傾向があります。ひとりひとりが達成した人間開発の成果が、政治紛争、一次産品価格の下落、自然災害、感染症の広がり等のリスクによって、一夜にして水泡に帰することがあります。これをアマルティア・センは、ダウンサイド・リスクと呼んでいます。リスクに対して脆弱な階層を特定し、ひとりひとりの安全と安心を確保していくことが、開発における人間の安全保障の重要な課題になります。そこでは、蓄積されてきた地域研究の知見を加味しながら、ローカルな文脈に即した対応策を考えていくこと、そして、既存の国別援助の枠を越えて、グローバルな課題に目配りをしていくことが必要になるでしょう。
「人間の安全保障」の理想を体現する事業を進めていくことも大切ですが、従来型の開発プロジェクトの適切性を評価する点検項目として、人間の安全保障に関わる事項を組み込んでいくことも考えられます。たとえば、このプロジェクトを実施することが、特定の集団を排除することで政治的緊張を高めないか、自然災害に対する脆弱性を強めないか、人の移動を促すことで感染症の拡大をもたらさないか、といった点について、費用便益計算を越えて、十分な配慮がなされているかを確かめるわけです。ジェンダーや環境の面では、すでにこうしたプロジェクト点検の活動が進んでいると理解しています。 峯氏:Human “Security”は人間の「安全保障」と訳されているために、内容が誤解されてしまう可能性があります。確かにSecurityには軍事・警察的な安全保障の意味もありますが、たとえばSocial Securityつまり社会保障には、軍事的な意味はまったくありません。こうした言葉の問題もあって、研究者のなかには人間の安全保障から距離を置く人々がいますし、実務家の側でも、使い勝手が悪いコンセプトだと思っている人たちが少なくないという印象があります。 しかし、私自身は、人間の安全保障のコンセプトは非常に重要だと思っています。1994年には国連開発計画(UNDP)が人間の安全保障の概念を発信し、2003年の「緒方・セン報告書」につながっていきました。今、この考え方を本当に定着させられるかどうかの分かれ道にきていると思います。そこで、人間の安全保障の可能性と危険性の両方を自由に議論できるような、知的コミュニティのアリーナを作りたいと考えているところです。政策を意識しながらも、政策から一歩離れたところで研究を進めることによって、知的コミュニティとしての貢献が果たせると思っています。
(「集団のsecurityと個人のsecurityが必ずしも整合しないときに、どちらを優先するか、ある特定の社会においてリスクに一番さらされているのは誰かを特定するのは難しいのではないか」という質問に対して)リスクの種類が変わると、脆弱な階層も変わってきます。大金持ちが資金運用で損失を出すのもリスク、貧乏人が会社を解雇されてパートで食いつなぐことになるのもリスクです。結局、誰のどのような安全を優先的に守るべきかというのは、社会の合意の問題だと思います。それは特別に難しいことではなく、生命を脅かされる、働きたいのに仕事がない、医者にかかることができない、移動を強制される、学校に行けない、考えを強制される、といったことが、基本的な不安全に含まれると思います。そして、誰が生命を脅かされているのか、誰が医者にかかれないのか、誰が学校に行けないのか、といったことを考えていく必要があります。安全への権利と自由は同義語だと考えてもいいでしょう。人間にとって特別に大切ないくつかの自由を、理念として強調するだけではなく、ひとりひとりに現実に目に見える形で保障していこうとするのが人間の安全保障です。ある人々の自由と他の人々の自由が対立する場合には、それぞれの自由を尊重しながら、妥協点を探していくしかありません(交渉ゲームの均衡点は複数あるかもしれない)。権利の侵害とインセキュリティは、似ているけれども、違います。インセキュリティは、客観的
不安全と主観的不安の両方を含む言葉だからです。 峯氏:世界中どこでもそうなのですが、とくに近年のアフリカにおいては、HIV/AIDSや気候変動など、国境を越えたリスクの広がりが見られます。広域的な協力によって始めて効果的に対処できる、というケースが増えています。日本の対アフリカ支援は、マルチな枠組みも重視すべきだと思います。 国民国家の枠組みも大切ですが、国家の中における様々なアクターがセキュリティの主体を巡って対抗し、そのパワー・バランスのもとで中央政府がなんとか正統性を維持しているというのが、多くのアフリカの国々の現状だと思います。中央政府の硬質の軍事的権力を強化するというのではなく、分権的な制度によってセキュリティの主体の安全度を高め、同時に中央政府の側の調整能力を高めていくという発想も、必要ではないでしょうか。対アフリカ支援においては援助協調も大切ですが、多国間主義的な枠組みと、国内における分権推進の枠組みの中で、日本としてどのような支援ができるかを再考する必要があると思います。ここにおいても、人間の安全保障の付加価値が出てくるのではないかと感じています。 開発というのは内発的なプロセスであり、アフリカの開発課題も援助という外部からの介入だけで解決できるものではありません。難民等の人道支援において大胆な介入型の援助が果たす役割は非常に重要ですが、それ以外のケースでは、アフリカの側の自助努力が不可欠でしょう。援助の方法を変えたからといって、援助を受ける側が変わるとは限りません。しかし、自助努力を求めることと、相手を突き放すことは違います。極度の貧困や災害、暴力の犠牲になって呆然としている人々に向かって、自助努力の原則をふりまわすほど愚かなことはありません。そこでまず必要なのは、人々がどのような不安全に直面しているか、未来の何が不安なのかを、まず理解しようと努めることです。人間の安全保障は、まず相手の話を聞くところから始めなければなりません。 番外編 聞き手:先生は、何故アフリカに行かれたのですか?何故、日本人にとって遠い場所であるアフリカを選ばれたのですか? 峯氏:アフリカとの出会いは偶然です。学生時代にラテンアメリカの研究会(読書会)に参加しようと思って行ったところ、曜日を間違えて南アフリカの研究会(読書会)にひょっこり行ってしまったことがアフリカを知るきっかけでした。研究者にとって最初のフィールドは非常に意味があるもので、その後、他の国や地域に行っても最終的に戻ってくるということがあります。でも、「何故アフリカ?」と聞かれても、「何故彼女と付き合ったのか、結婚したのか?」と聞かれても上手く説明できないのと同じで、地域研究はある種のアタッチメントだと思います。 |
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