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研究者インタビュー


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研究者インタビュー No.8

話し手:

望月克哉氏
(アジア経済研究所 新領域研究センター 主任研究員)
聞き手: 大野泉、山田肖子、尾和潤美、鈴木明日香
実施日: 2007年7月10日  19:30-20:40

聞き手:どうしてアフリカに興味を持つようになったのですか?

望月氏:アフリカ地域を研究するようになったのはアジア経済研究所(アジ研)に入ってからのことです。学生時代は、中国の対外関係を中心とした東アジア地域を研究対象としていました。

就職先にアジ研を選んだのは途上国研究に関心があったからですが、当時は南太平洋の島嶼国家について研究したいと思っていました。というのも、米国の信託統治下にあったパラオが1981年に自治政府を発足させたことにより、「南太平洋の島嶼が国家として成り立つのか」といった議論がその頃盛り上がっており、そうしたことに触発されたところがありました。しかし、アジ研ではアフリカ担当となったわけです。

ナイジェリアを最初に訪れたのは1986年の3月でした。当時、自分はアジ研に入所して1年目で、研究対象の国を自分の目で見ておきたかったのですが、費用がかかるアフリカ出張などさせてはもらえず、しかたがないので1年間溜めておいた有給休暇を全部使ってナイジェリアへ行きました。

ナイジェリアは1985年8月の軍事クーデターでイブラヒム・ババンギダ将軍が実権を掌握し、軍政を敷いていました。それ以前にも繰り返しクーデターは起きており、ナイジェリア社会の不安定化を伝え聞いていたわけです。銃を持った軍人が街にウロウロしている姿を想像していたのですが、実際にナイジェリアへ行ってみると、そのような光景に出くわすことはまれで、人々の行動を観察していても、旅行者の目には軍事政権の影響などは映らず、いわんや軍政と民政の違いなど分かりませんでした。これをきっかけに軍事政権に対するイメージも少し変わったと思います。

聞き手:軍が制圧しているというよりは、政権交代の一つのパターンのようなものだったということでしょうか?

望月氏:そうかもしれません。ナイジェリアには、官僚、政治家、中央省庁や地方の役人、それぞれの役割で政策決定に関与する集団や組織はあるけれども、優秀な人材をリクルートして養成していく仕組みがありません。他方、軍は優秀な人材を教育し、エリートを輩出する機能を持っているため、結果的に人材養成機関の役割を果たし、それが軍政を支えてきたと言えます。

加えて、国軍の規模がそもそも大きいのです。ナイジェリアは地域によって主要民族が異なっており、そうした民族の違いが様々な要素と絡み合って国内対立に発展してきました。1967年、東部州を中心に居住していたイボ人のリーダーが「ビアフラ共和国」として分離独立を宣言したことにより、内戦(ビアフラ戦争、1967年〜1970年)が勃発します。ビアフラ軍と、中央政府を主体とする連邦軍それぞれが軍へのリクルートを積極的に展開した結果、内戦後の軍人数が一時期は20万人を超える規模にまで膨れ上がりました。内戦が終わり、ビアフラ軍の武装解除を進める一方、その兵員を国軍に取り込んだ結果、軍の規模が大きくなってしまったのです。今日でも陸軍、海軍、空軍を全部あわせると、8万人に上ります。

聞き手:国軍が大きいというのは、ナイジェリアにそれだけの人員を抱えるに足る財政力があるという裏返しがあるのでしょうか?

望月氏:財政力の問題と言うよりも、国軍の営みが一つのビジネスないし産業となっているのだと思います。

確かに、サブサハラ最大の産油国であるナイジェリアには石油資源という財源はありますが、その管理がしっかりなされているとは言えません。皆が石油の利権にありつこうとする中で、国軍もまた、自らの権限を利用しており、たとえば国軍が使う名目で安く購入した燃料の横流しといった汚職が多いとされています。

聞き手:ナイジェリアは西アフリカ諸国の中で一番大きく、それだけに様々な要素が複雑に絡みあい、情報収集も大変ではないかと思いますが・・・。

望月氏:アジ研の研究者は、現地の人と一緒に調査する方法を取ることも多いのです。自分もまた現地で協力してくれる研究者を探し、一緒に調査する機会が何度もありました。

途上国の現地調査に共通して言えることですが、どういう相手(カウンターパート)が現地で調査協力してくれるかで、できる調査とできない調査が自然と決まってくると思います。世界銀行など国際機関は巨額のお金を現地につぎ込んで調査をするのですが、アジ研の調査では資金も限られているので、研究を始めるに際し、まずは現地の人とのネットワークを利用して、協力の可能性を探ることになります。「まずはじめに人ありき」という意識が、かえって、アジ研の強さになっていると感じることもありますね。

自分の研究方法は、かなり“大風呂敷”だと思っています。都市に活動拠点を置き、ナイジェリア全般にかかる情報を網羅したいと思っているからです。というのも、ナイジェリア研究は、日本ではまだ系統化されていないために手付かずの領域も多くあり、資料や情報も散在しています。ナイジェリアに関する知識を系統化させる必要があると感じています。

もちろん日本にナイジェリア研究の蓄積が無いわけではありません。例えば、京都大学の島田周平氏は地理学のアプローチからナイジェリアの地域構造を分析し、さらに近年はポリティカル・エコロジーの分析視角を提示されています。経済史を専門とされている専修大学の室井義雄氏は、ユニリーバ社が徐々にアフリカ現地の貿易会社を買収していき、やがて「連合アフリカ会社(United Africa Company)」として西アフリカ貿易を独占するに至るまでを追った著作を残されています。また、龍谷大学の落合雄彦氏は、ナイジェリア近現代史の資料発掘に努め、青年運動の推進者であり、かつ政治・社会建設を指導したラディポ・ソランケについてのパイオニア的研究を行っています。

こうした研究者の活動以外にも、膨大なナイジェリア関連資料を買いつけるなど、日本にはナイジェリアを含む西アフリカに関する知識や情報が集積されています。

その一方で、ナイジェリア研究として重要な視点や論点が欠落しているのも事実です。たとえば、ナイジェリアを産油国という観点から分析した日本語文献はわずかしかありません。また、ナイジェリアは外交大国でもあるのですが、その外交政策を専門的に研究している人もいないのです。誰かが、このような研究テーマにも先鞭をつけておく必要があるのではないか。手をつけにくいと思われているところであっても、現地の研究者と連携することによって道が開かれるのではと考えています。

ナイジェリアは他のアフリカ諸国に比べても高等教育の歴史が長いだけに、大学数も多いのです。1948年に現在の大学モデルとなる高等教育機関が設立されて以来、連邦の大学、州立大学、さらに私立大学と増えていき、現在は47校の大学があります。私大においては、宗教系はもとより財閥が大学を作っている例もあるほどです。それだけに、ナイジェリアには研究者も多く、また、研究の幅も広い。それがナイジェリア研究の醍醐味にもなっていると言えるでしょう。

聞き手:ナイジェリア人は、近隣のアフリカ諸国と比べても起業活動が活発なようですが、それはビジネス精神が旺盛だからでしょうか、それとも資本力があるからなのでしょうか?

望月氏:ナイジェリアに限らず、アフリカには「ビジネス」を目指す人は限りなく多いと言えます。しかし自分の経験から言えば、彼らの発想は、起業家が持つビジネス・マインドとは異なるように思うのです。ナイジェリアは人口が多く、潜在購買力がとにかく大きい。マーケットが巨大なだけに、物や情報を右から左へ動かすだけで儲けがでる。それが彼らの「ビジネス」のやり方で、何かを生産したり、付加価値を高めるというビジネスの発想とは違うのではないでしょうか。

最近は中国ビジネスのアフリカ進出が注目されていますが、これまでもビジネス・チャンスを求めてやってきた外国人はたくさんいました。レバノン、シリア、インド、パキスタン、こうした国々を出自とする人々は英国が握っていた経済に食い込んでいき、物や情報を動かし、資本蓄積をしていったのです。その延長線上に中国の進出もあると考えるべきでしょう。

聞き手:投資先としてのナイジェリアは、治安、政治不安の観点から、決して理想的な場所とは思えないのですが?

望月氏:投資はリスクとリターンの関係で決まるものなので、カントリーリスクが多少高くても、リターンが期待できれば投資のインセンティブは働くはずです。人口大国であるナイジェリアはその市場の大きさからも、リターンは相対的に高いと考えられています。加えて、原油やガスなどエネルギー資源に対する魅力も大きいと言えるでしょう。

ナイジェリアの石油利権も、ご他聞に漏れず有力者たちが握っているのです。ここでいう有力者とは、民族的・地域的な偏りはそれほどないけれども、いずれも政治に深く関わっている人たちのことです。政界・産業界においてトップにいく人たちは、まず間違いなく石油の利権を持っていると言ってさしつかえないでしょう。こうした人達にうまくとりいることができれば、外国人であってもビジネス・チャンスは広がるというわけです。逆に、石油の利権を持つような人たちと関わりが持てなければ、ビジネスの拡大は難しいと言えるでしょう。

聞き手:•石油の分配など、資源配分に対して国はどういう関わり方をするのでしょうか?

望月氏:独立後のナイジェリア国家がやってきたことは、いわば石油産業の独占でした。別の言い方をすれば、石油生産の上前をはねてきたのが国家なのです。原油の採掘権をはじめとする利権の分配は1940年代から始まった石油開発史の中で様々な過程を経て現在の姿に落ち着きました。民族的、地域的な平等性を保つために国家が特別な配慮をすることは、近年まで見られないやり方でした。

ナイジェリアの石油産業は1971年に「ナイジェリア国営石油会社」が設立されて以来、国家管理の下におかれてきました。しかも、石油開発は外国資本との合弁の形態をとってはいますが、もっぱら開発費用(石油産業の上流を担う費用)を負担しているのは外資で、いわばナイジェリア側の負担分も肩代わりしてきたわけです。とは言え、石油会社の利益が大きかったのも事実でした。また、サブサハラ・アフリカ最大の産油国であるナイジェリアとの関係を友好に保つことが有利との判断もあったのでしょう。

聞き手: ナイジェリアは石油の埋蔵量にも恵まれた産油国でありながら、財政赤字に陥ったり、他国から石油を輸入せざるを得なくなるのは何故でしょうか?石油の精製能力が足りないからでしょうか?

望月氏:それは違います。ナイジェリアには石油を精製する能力も施設もあるのです。グランドデザインはきちんとしていますし、石油業界のプロの目で見ても素晴らしいと思える石油製品の流通システムが構築されています。油送パイプラインも、南北に1400km、東西に1300kmと国土全体に行き渡るように延びています。各地の石油プラントがフル稼働すれば十分に国内需要を満たし、輸出することができるはずなのです。現にナイジェリア政府は2007年末までに日量400万バレルにまで生産を増やす計画を立てていますし、精製能力を高めることになっています。

聞き手:「石油プラントがフル稼働すれば」とおっしゃいましたが、稼働率が低いのは、武装勢力による攻撃があるからでしょうか?

望月氏:精製施設の稼働率の低さはプラントのメインテナンスができていないせいです。例えば、ある石油精製プラントを導入すると、その施設を稼動させるためには、資材・機材とともに技術を有する人材を育てる必要も当然生じてくるわけです。しかし、ナイジェリアの石油産業における人材養成の仕組みは非常にユニークで、石油会社がナイジェリアの優秀な人材を、早い時点で囲いこんでしまう。企業が中等学校入学時から出す奨学金で高等教育まで施した上、卒業後は自社で働かせるという“青田刈り”の仕組みなのです。

また、優秀な人材が身に付けた技術や知識が他の部門で活用されていません。プラントごとに経営体が異なるだけでなく、機材や作業が違うため、せっかくの技術が生かされないというのが現状です。雇用側にとっては他の企業に引き抜かれない人材は都合が良いとも言えます。それらに加えて、キャリアを積んだ人たちはデスクワークに従事する傾向があるため現場のレベルアップが図れず、ここでもギャップが生まれるというわけです。

ナイジェリアの石油産業は自力では立ち行かなくなってきているのが現状です。一つは、高度な技術を求めて最新プラントを設置しても、施設や機材の維持補修作業、働く人材の養成をカウンターパートの外資石油会社に頼りきっているため、ナイジェリア政府に必要な知見が蓄積されていないこと。二つめは、優秀な人材が現場を離れてしまい効率があがらないこと。そして優秀な人もそうでない人も、自分の得たポスト(仕事)を食い物にしていくこと。途上国にありがちなパターンに陥っていると言えるでしょう。

聞き手:民間会社が自ら人材を養成しているのは、驚きだと思います。

望月氏:しかし他方、国家としては、技術移転が全て外国資本まかせであることに危機感を持ち始めているのも事実です。最近、ナイジェリア政府は「Local Content Development」政策というのを打ち出しました。これは、ナイジェリアの石油およびガス産業における地場資本の能力強化と、地元資本家との連携強化を狙ったものです。外資による支配を食い止めるべく、地元との協力体制を構築しつつ、ナイジェリアの雇用促進、経済を活性化させようという発想です。

しかし、実際にこうした取り組みに参入してくる資本家は、石油の利権に関わっている人がほとんどなのです。製油所(下流部門)を操業することによって、石油開発(上流部門)、ひいては石油の利権獲得に繋げようという形でしか展開していない。結局のところ、外国資本の石油会社が地場企業をダミーとして石油の鉱区を取得しているのが現状です。

聞き手:石油以外の産業において、地元の人を雇って産業を地元に根付かせられるような企業/業種はないのでしょうか?

望月氏:大手でいえば、醸造・飲料系の企業があります。飲料製造は一度プラントを作ればプラントの維持と原材料の調達が主な作業で、製造工程は比較的単純なため、地元での製造が持続可能となるわけです。

それ以外では、石鹸や洗剤などを中心に製造・販売をしている「ユニリーバ」系列企業も挙げるべきでしょう。ナイジェリアはじめ英語圏諸国ではリバーブラザーズとして知られる「ユニリーバ」社は、植民地期にアフリカ市場に進出して、現地生産、原料確保を展開し、製造までしているのです。

こうしてみると、「ユニリーバ」など多国籍企業は、産業を地元に根付かせているというよりも、国境を越えて資本の力を展開させていると見るほうが正しいかもしれない。

聞き手:外国籍企業と言えば、中国のビジネス進出も最近では活発化されていますが?

望月氏:確かにアフリカにおける中国ビジネスの進出は目覚しい。外交関係の緊密化の中で、通信分野の重点企業である「中興通訊(ZTE)」が携帯電話生産に参入しています。また、最近では石油価格の高騰による外貨収入増大を受けて、ナイジェリア政府が中国に委託して通信衛星を打ち上げたことも注目されました。

一見、相互に恩恵があるようにも見受けられるのですが、中国のビジネス進出についてナイジェリア側が必ずしも全面的に歓迎しているわけではないのも事実です。しかし、ナイジェリア市場がアフリカでは例外的に大きいだけに、中国製品の品質に関わらず吸収できてしまうという事実があるのです。先ほども言及しましたが、物を動かすだけで商売が成り立つマーケットなので、アフリカ企業のみならず、外国企業にとってもビジネス・チャンスは大きく、そうした企業の参入は決して目新しいことではないわけです。背後に巨大な生産力を持っている中国が、ナイジェリアのような市場に入ってくるのは自然な展開ではないでしょうか。

中国企業によるアフリカ進出が近年劇的に伸びた背景には、中国内部の生産力向上がありました。生産力が十分ではなく、品質管理も未熟だった頃には、中国製品は“安かろう悪かろう”で見向きもされなかったのです。事実、1990年代に入るまでは中国の存在感はあまりなく、むしろ台湾系企業の方が活発だったと言えるでしょう。特に南アフリカがアパルトヘイト体制を敷いて諸外国から孤立していた時期、台湾は積極的に南アとビジネスを行っていたという事実もあります。

中国の進出は製造業に限りません。石油産業におけるその特徴は、石油開発で採掘権を得る見返りに、下流部門(パイプライン、製油所などの建設)へ投資するなど、ナイジェリア政府の要請に柔軟に対応し、権益を獲得しているところにあると言えます。

しかし、こうした中国による資源外交、ビジネス展開はあくまで最近の傾向で、以前は政治的、外交的友好関係を築くことが主目的であったことが過去の文献から読み取れると思います。特に周恩来の時代には、アフリカ諸国を植民地的関係から解放するよう国際社会に働きかけており、それを通じて自国への支持を広げつつ、台湾(中華民国)を牽制していました。たとえてみれば台湾との“陣取り合戦”の意味合いも多分にあったに違いありません。こうした政治外交が、時代の潮流の中で変遷してきたと見るべきでしょう。

聞き手:台湾は何故アフリカへ進出していったのでしょうか?

望月氏:台湾は必ずしもアフリカ市場への進出を狙っていたわけではないと思うのです。1970年代以降、台湾が輸入代替工業化から輸出指向型工業化戦略に転換していく過程で、アフリカの市場にも展開したと考えるべきでしょう。台湾はその頃、盛んに日本車用の交換部品(スペアパーツ)を製造しており、日本車が海外で売り上げを伸ばすにつれ、日本製の高額な純正部品に代わって、廉価な台湾製品の需要も伸びたようです。当時のナイジェリアでは日本車用の交換部品を「Taiwan」と称するぐらいにまで製品が普及していたと言われています。日本車が東南アジアに、そしてアフリカに輸出されていくのを追う形で台湾企業もアフリカ諸国に進出したと考えるべきでしょう。

台湾に限らず、ナイジェリアでビジネスを行っている外国人の進出ルートを探ると、自国からナイジェリアに直にビジネスを展開していった人たちはいないようです。ナイジェリアで多く見受けられるレバノン人、インド人の進出パターンとしても、最初は英国やフランスなど、ヨーロッパ諸国でビジネスを起こした後に、ヨーロッパ系商社が築いた流通マーケットをねらってナイジェリアに入っていき、たとえばアフリカン・プリントなどの綿製品の卸・小売業で働く者の中から、製造工場を所有する者が現れたと言われています。さらには別の事業、たとえば二輪車などの組み立て産業にまで手を広げる者が出てきたということです。

聞き手:今後の研究活動はどのような方向を目指していかれる予定ですか?

望月氏:こんな言葉はないのでしょうが、自分としては「エリア・ジェネラリスト(Area Generalist)」が必要になる、と考えています。ナイジェリアとこれをめぐる地域全般を、地理的にも、分野的にもカバーできる人材がいてもよいのではないでしょうか。それが地域研究のあるべき姿の1つではないかと思うのです。

また、アジ研は「共同研究会方式」をとっていて、同じ地域やイシューに関心をもっている者同士が、1つのテーマの下に情報を共有して研究しているわけです。このやり方を日本人の間だけではなく、現地の研究者とも展開してきましたが、双方を並行して進めるという機会はありませんでした。数年の時間をかけて、現地と日本のメンバーが相互に交流しつつ研究を進めてゆく、そうした調査研究プログラムを企画・運営してゆく必要を感じています。

このような認識なので、とにかく年1回のペースでナイジェリアへ“里帰り”をしつつ知見を深めるとともに、現地研究者とのネットワークを育てながら、共同研究の機会を模索していきたいと考えています。

聞き手:実務と研究の距離間はどのようにとっていかれるつもりですか?

望月氏:途上国を研究している限り、日本を含め海外のドナー国がどういう援助を行っているかを知らないと、ある面で現地の動きに疎くなってしまいます。ナイジェリア現地で活動している組織や団体は多く、なかでも英国や米国の政府機関やNGOは活発で、現地での知名度もきわめて高いと言えます。しかし、そうした組織や活動に関する情報を日本の政府関係者が漏れなく把握しているとは言いがたいのが現状です。日本の援助戦略を考えていくうえでは看過できない状況とは言えないでしょうか。

自分はかつてODA官庁に出向し、経済協力を担当していたことがありますから、実務者がロジスティックスの調整で忙しいこともよく知っているつもりです。そうした経験から言えば、自分を含めて調査研究を職務とする者が、サブスタンスの面で貢献できる部分もあるのではないかと考えています。

 

 <こぼれ話>

「Anything for me?」

ナイジェリア人の中には、日常のやりとりで「Anything for me? (自分は何をもらえるわけ?)」と聞いてくる輩が少なくない。最初のうちは「今更なんだ」と腹を立てていたものだが、まもなくそれは一種の挨拶だと分かって嫌味を感じなくなった。自分もタイミングをとらえて、「Anything for me?」と言ってみたりしている。

それを聞いた相手もニヤリとするのだが、そんな時にはお互いが心の中でつぶやいている。
「Ah! Nigerian! (ああ、ナイジェリア人だよな)」

 

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