GRIPS開発フォーラム


研究者インタビュー


こちら

研究者インタビュー No.7

話し手:

杉村和彦氏
(福井県立大学教授、学術教養センター長)
聞き手: 山田肖子、尾和潤美、鈴木明日香
実施日: 2007年6月23日 11:30-13:20

1. 聞き手:先生がアフリカを研究されるきっかけになったのは?

杉村氏:高校の時に、偶然アフリカの調査隊の写真集を目にする機会があり、写真の中の子供たちが生き生きとしているのを見て、将来はアフリカに行きたいと強く思うようになりました。運良く、大学時代に学生交流ということで学生のアフリカ研究会を作って企業から募金も集めてケニアに2回行きました。その後、研究者になってザイールで調査をする機会を得ましたが1991年に勃発した内戦により、1992年からはタンザニアに関わることになり、その後JICAの技術協力プロジェクト(ソコイネ農業大学地域開発センター・プロジェクト)に携わりました。

2. 聞き手:技術協力プロジェクトでのご活動はどのようなものでしたか?

杉村氏:このソコイネ農業大学地域開発センター・プロジェクトは、大学内にコミュニティ持続的発展を支援する拠点をつくり、その拠点の研究者と我々日本人研究者が共同で、伝統的技術を生かした村落レベルでの内発的発展のための調査研究を行うという、大学支援のプロジェクトです。私自身はそれまでは「開発」とは関わりのない仕事をしていましたが、人類学の研究者も変化していく社会や開発のための取り組みに貢献すべきという考えをもっていた京都大学のチームと一緒に、このプロジェクトに参画することになりました。プロジェクトの印象としては、巨額なプロジェクト資金が投入されたものの、残念ながらJICAの仕事は限られた時間の中で成果を出すことが求められているため、その限定された年数内でエリートの大学教員の意識を変えて仕組みを定着させるという成果を出すという点では困難な面がありました。また、本来は途上国主導で伝統を引き出す開発であったはずが、成果を形にしなければならなかったため、援助をする側が主導となっていた側面もありました。

この経験から感じたことは、本当に意図した援助の成果を上げるためには、長期間で且つ双方向性がある援助をすることが必要だということです。例えば、大げさかもしれませんが、JICAのプロジェクトも5年間で3億というのではなくて、100年間で300万円ずつ投入するような、小額でもきめ細かい援助があっても良いと思います。というのも、プロジェクト実施期間内の数年間でアフリカに対して十分に貢献したという思い込みをしないためには、互いに長期的に関わり続けることが大事だと思います。しかしながら、現実的には私が考えていることは既存のJICAプロジェクト援助の枠組みの中では実現できないだろうと思ったので、現在は一つの試みとして、NPOを通じてフェアトレード(主にハイビスカス茶など)を行って、都会を通さずアフリカの田舎と日本の田舎(私が現在住んでいる福井県)の間にできるだけ持続的なつながりを持たせるための活動をしています。

人と人との継続的なつながりは本当に重要です。例えば、JICAのプロジェクトを開始する際には、住民を集めて説明を行いますが、彼らは「何か良いものがあるそうだ」と期待して集まってきます。その村人と話す中で、特に印象に残ったのは、「これまで何度も外国人が訪ねてきたが、仲良くなった頃に皆去って行く。でも、あなた達日本人はそんなことはないでしょうね。」という言葉でした。この言葉で気づかされたのは、援助において重要なのは、初めに人と人とのつながりありきなのだということです。最近では、「開発」援助は専門化しすぎている感がありますが、本来は、援助は普通の人が普通の協力を同じ目線で継続的にすることが大事なのではないでしょうか。

また、私の知り合いで緑のサヘルというNGOを通じてチャドで働いた経験がある人と話をしていると、面白いことに気づかされます。彼にとってチャドで働いた5年間は、アフリカの人々に対して何かをしないといけないという責任が強かったために、アフリカのことをあまり好きになれなかったそうです。アフリカの人々を支援するという姿勢で現地に入ったにもかかわらず、むしろ村人に食事をご馳走してもらったりする中で、彼の方こそ村人から援助されていると感じたこともあったようです。更に、彼は、時々日本から訪問する研究者が短期滞在でもアフリカを楽しんでいるのを目の当たりにし、「長期間滞在したにも拘わらずアフリカを好きになれなかった自分と、短期滞在でもアフリカを好きになれる研究者との違い・ギャップは何なのか」という疑問を持っていたようです。その彼が、日本に帰国後、大学院生として援助という枠組みから離れて純粋にアフリカの研究を始めると、非常に面白いと感じたそうです。この背景には、彼がチャドに滞在していたときの「援助を通じた人間関係」と、援助という枠組みから離れたところで「肩肘を張らない対等の人間関係」との差があったのだと思います。おそらく、「アフリカの人々のために何かをしてあげないといけない」という責任感が強く、頑張っている人ほどこの差を感じてしまうのだと思います。

3. 聞き手:先生は、「アフリカの農村では農業技術を革新して富を蓄積するよりも農業はそこそこ食べられるものを生産できたらいい。むしろ、あるものを分け合う人間関係に投資することで非常時のリスクを分散することに意義を見出す社会である。こうした内的論理は生産性を上げるという視点での「開発」にはなじまない」と述べておられますが、援助プロジェクトに関わられる中でもこの矛盾を実感することはありましたか?

杉村氏:そうですね、確かに矛盾はありました。

アフリカに調査に行って大きな発見だったことは、アフリカの農業を考える際には日本で学んだ農学ではなく、むしろピグミーや牧畜民の研究などの他の学問が有用だったことです。つまり、日本では農業の分類に入らない分野が、アフリカの農業においては深く関連しているのです。例えば、タンザニアでは一昔前までは、タンザニア人同士の挨拶は30分から40分かけて行われていました。「ご機嫌如何ですか?」から始まって、「飼い犬は?その子犬は?」といった具合に、第3者から見れば意味のない挨拶を繰り返していましたが、実はここから学べることがあるのです。というのも、アフリカではアジアの灌漑農業と違い、収穫が運に任せられている天水農業が主流であり、数年間に1回訪れる雨が降らない渇水期において、アフリカの人々がその危機をどう乗り越えられるかは、最終的にはどれだけ深い人間関係を日頃から築いているかに因るのです。アフリカ人は働かないと言われることが多いと思われますがそれは時と場合によります。実際に私がタンザニアで滞在したサガラの人たちは大体昼くらいまで働いたらもう十分だという感じで仕事をやめて、昼からは酒盛りという感じです。確かに農業労働だけ見ていると働かないという感じなのですが、そうした労働の後、時には20キロ近く離れた家に遊びに行って帰ってくることがあります。20キロの往復はあまりにも大変な「労働」なのですが、こうした事柄はいともたやすくやってのけます。これはさしあたり最近会っていない友達や親戚を尋ねるということで一つ一つの事柄にそんな大きな意味を持たせているものではありません。しかし、見方を変えれば、リスクを回避するための人間関係を構築しているとも言え、彼らにとっては農作・労働よりも人間関係の構築の方が重要で経済的だと考える論理があるのです。そのように見ると、一見理解し難いと思っていたアフリカ人の行動も、少しはわかってきました。また、こうした側面に、定住し、土地に投資し、物を作って生産性を向上するアジアの共同体とは異なる、土地と人間の関係よりも人間同士の関係を重視するアフリカの共同体の特色を見ることができると思います。

このようにアフリカを見るとき、経済発展の結果として人と人との関係が希薄になってきたと言われる日本が、アフリカから学べることも自ずと見えてくる気がします。例えば、日本では、効率性とは全く異なる価値観として「スローライフ」という言葉が流行していますが、本当の意味でのスローライフはアフリカにあるのではないかと思います。また、ベビーリーフという野菜が最近日本の市場に出回っていますが、これは日本で主流な単作農業ではなくアフリカで主流である混作農業で作っています。日本とアフリカも既につながる部分があって、経済や政治的な観点からは異質であるという印象がありますが、音楽や文化的観点からは日本人はアフリカのそれを既に多く取り入れています。アフリカの人々が人間関係という形で蓄えている富は、日本社会の中ではそぎ落とされつつある側面であり、日本人が人間同士の関係を回復したいと思うのなら、アフリカを見て学び、双方向性の交流を重視すべきでしょう。

まだ私が大学院生だった頃、京都大学の坂本慶一先生や鳥取大学の津野幸人先生と共にアフリカに出張させて頂く機会を得ました。それはザイール川を調査団で下っていた時のことです。そのとき、アフリカで津野先生がおっしゃった次の言葉が今でも忘れられません。「アフリカは最も貧しいと言われるけど、本当だろうか。これほどまでに笑顔の素晴らしい良い人たちは見たことがない」。それがきっかけになって、調査団の中で、アフリカの「貧しさ」やその一方でその中にある一つの「豊かさ」が話題となりました。そして、そこで生まれてきたのが、笑度計という面白い道具でした。アフリカ、日本、ヨーロッパ・・・・・、どこの地域でもいいのですが、それぞれの場所で生きる人の「幸福度」を、「どのくらい腹の底から笑っているのか」というような尺度から比べれるような道具を作ってみたらどうだろうかという提案でした。津野教授をはじめ、一緒に調査旅行をしたメンバーが出した結論は、アフリカはかなり笑度が高いだろう、少なくとも日本よりは高いのではないかということでした。

人が幸福に生きていることと、貧しいということは区別されるべきだと思います。私は、幸せの度数として「笑度数」というのを計ることができればいいなあと思っていますが、厳密には学問的にそれを語ることはできないものの、アフリカでの経験を通じて直感的にそう思います。もっとも、最近ではGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量。西洋の伝統的な発展モデルである物質的な生産と消費のみに価値を置くのではなく、文化、社会及び環境にも価値を置きながら「開発」を進めるという価値観で、ブータン国王が提唱。)という指標も出てきていますが、経済学としては、これまで指標で計られてきたものからはみ出す部分を拾うことの重要性を感じています。貧しいかもしれないが、豊かな部分もあるというアフリカにおけるリアリティからアフリカとのつながりを求めていかないと、彼らの素晴らしい部分を取り残してしまうリスクがあると思います。

その他に矛盾を感じた点としては、私はこれまで農業、農学を通じてアフリカに携わってきましたが、日本で勉強した農学はアフリカではほとんど役に立たないという点です。というのは、日本の農学研究は、アフリカにおける農業とは定住、灌漑、土地への投資及び生産の共同体という点において異なっているからです。例えば、農学の世界では畜産や単作が主流ですが、アフリカにおいては牧畜や混作が主流です。要は、これまでの「農学」で研究されていない世界がアフリカにあったのです。日本からアフリカを訪問した私が、初めて混作を目の当たりにしたときには、彼らは冗談でやっているかと思ったくらい驚きましたが、そこには彼らなりの合理性がありました。キサンガニの研究所で勤務していたある研究者は、住民の蛋白質不足を補うためにハト豆栽培のプロジェクトを行うことになりました。そこで直面した問題は、留学先のベルギーでは混作よりも単作の方が良いと学んだので、単作による栽培を行いましたが、その8割くらいが害虫にやられてしまうことです。しかし、近隣の農民がそのハト豆の種をもらって自分の畑で混作で植えたところ、多少害虫がついたものの7割は収穫できたのです。よく考えてみるとこれは合理的な話で、一つの農地に一種類だけの種を植えた場合は害虫は繁殖し放題ですが、混作だと多様な食物につく害虫が発生するために害虫同士が相殺し合って、リスクを分散できるのです。更に、混作では背丈の高い作物の下には湿った土が培われ、そこに養分となるミミズや雑草が生殖し、腐葉土が自然発生的にできるのです。このように、自給自足的な枠組みの中で考えると、混作は合理的だと言えるのです。

聞き手:「アフリカのことはアフリカの人が一番良く知っている」という言葉を良く聞きますしそのとおりだと思いますが、一方で、技術革新や食糧増産という開発を考えた場合、混作に見られるようなアフリカにおける合理性は、どの程度開発への適用可能性があると思われますか?

杉村氏:そうですね、アフリカにおいて主流である混作農法は自給自足農業にとっては良いのですが、「開発」という観点からすると、大量生産できない、つまりは商品化できないという意味で駄目な発想なのかもしれません。しかしながら、アフリカの農村に入って現実を見ると、アフリカの人々の認識としては単作は老人や年のいかない未熟な若者がやることで、これに対して混作は力のある中年層やすでに農業に熟達した青年がやることという区別があり、主流は混作農法であります。というのも、混作には多種の作物を耕作することで食糧収穫のリスクを分散し、1年を通じて平均して何らかの農作物を確保できるという利点があるからです。単作は、一つの農作物を大量生産しやすく、また、トラクター等の導入によって生産性を上げることができるので、「開発」の視点からは単作の方が理にかなうのかもしれません。しかし、こうした外からの発想をアフリカに適応させるのではなく、アフリカの人々が直面している現実を理解した上で、何ができるかを考えることが重要だと思います。そして、「開発」を普遍的なものとして見なすのではなく、現実に応じて開発の意味や世界が変わることも求められているのではないかと思います。

聞き手:ご研究の中でアフリカの農村は生産過程を共有分担する共同体ではなく、資源を分配するための消費の共同体だと書かれていますね。そうするとアフリカでは援助も成長のための投資としてではなく、消費財とみなされてしまうことがあると思われますか。

杉村氏:そのとおりで、むしろ、そこがアフリカの面白いところです。例えば、東南アジアにおける農業開発支援では、生産性を向上させるための農業機械を購入したりするのが主流でしょう。一方、アフリカで100万円を援助資金として農民に渡すと、彼らにとっては農業機械よりももっと切実な目的があり、そちらに使ってしまうことがあるのです。彼らにとっての現金は、生計を立てるための手段であり、例えば病気になったときのマラリヤの薬代や学費としての現金を必要としています。従って、農業よりもより性急に処理しないといけない優先課題があり、100万円の現金支援は、生活のための必要財を購入するための資源となり得るのです。また、消費はグローバル化の影響を受けているので、昔より現金で買いたいものは増えています。そのときに、日本から100万円で農業機械を買いなさいと言われても、生命に関わる危機の方が優先であり、また、人への投資を重視する彼らにとっては農地を耕すよりも家族を増やす方が重要かもしれません。要は、アフリカの場合は農業支援が農業機械へとつながる道が険しくて長いということです。それではこのようなアフリカの現状が悪いかというと、私はそうは思いません。物的なものよりも、人間の再生産を重視しているアフリカの世界から、幸福や楽しさとは何かという、言わばアマルティア・セン氏の人間の再生産も含めた開発理論である人間開発につながる課題を学ぶことができるからです。

4. 聞き手:アフリカの人間関係に投資し、消費財を分配するという内的論理は国家という機構の権限や資源まで人間関係に基づいて配分してしまうということにもつながる可能性があると思います。また、最近ではアフリカにおける汚職やガバナンスという問題が顕著に指摘されていますが、これも、結局は内的論理に起因するところだと思われますか。

杉村氏:私が滞在していた頃のザイールは、極端ですが、汚職ばかりで公私の区別がない世界でした。近代社会では汚職は良くないことで、経済活動の効率化を妨げると言われていますが、これは経済学がベースとしている均衡的互酬性の世界を普遍化した考えにすぎません。しかしながら、現実には皆さんもご承知のとおり、日本社会においても汚職は完璧になくなっていませんし、アフリカにおいても同様です。つまり、個人の価値観や人間関係に全く影響されない交換や契約に基づく均衡的互酬性ではなく、人間どうしの関係を円滑にするための贈与や分配によって、自分が困ったときに便宜を図ってもらうことを期待する一般的互酬性の世界は存在するのです。均衡的互酬性に基づく経済学の世界ではそのような世界はないという前提がありますが、現実的にはアフリカには経済学の論理では説明できない世界(一般的互酬性の世界)があるので、そのアフリカの現実を見ることから始めないといけないのだと思います。

5. 聞き手:来年TICADが開催されますが、研究者として果たすべきと思われている役割はありますか。

杉村氏:私はこれまで、大きな国政の流れとしてのTICADに関わったことがありませんが、そういう場所で話されているアフリカの話には少し違和感を覚えていました。というのは、アフリカとのつながりを考える場合、地方と地方の関係が重要であるにも関わらず、地方どうしは中央を通してしかつながれないからです。援助においても、専門家は地方と地方をつなげる調整役であるべきだと思います。

TICADのような政策に対しては、「国威発揚のための援助ではないですか?」と問いたくなることがあります。そもそも、「何のための援助か」ということを考える必要があって、中国と競い合うような援助は、対象になる裨益者にとって何の意味があるのかわかりません。近年、G8サミットに対抗してNGOグループらが別のサミットを行うなどの動きがあるが、同様に、TICADに対抗して、草の根レベルの交流に土台を置く別の会議を行える機会があれば、是非やってみたいです。

聞き手:確かに、対アフリカ政策に関わる議論が特定化されてきており、別の観点、別の発想が入る余地が少なくなっていると感じます。

杉村氏:そういう表舞台に出されると、共通の言葉で話さざるを得ないという現状があり、それが一般の人が違和感を覚える原因なのかもしれませんね。TICADも首都の東京ではなく、是非とも地方でやってもらいたいものです。

6. 聞き手:先生は、地方(福井県)発の国際協力に熱心に取り組んでいらっしゃるようですが、具体的にどのような活動をされているのですか。

杉村氏:昨年は、科学研究費補助金事業の最終年度として、福井県の公民館でアフリカのモラル・エコノミー研究の権威であるゴーラン・ハイデン氏を招いて国際協力のシンポジウムを主催しました。福井県の森の中で、田舎料理を提供し、一緒に畑を耕すといった活動を通じて参加者同士に親密感が生まれ、欧米の方々からも非常に好評でした。国際協力の分野では、未だに中央と地方の差がありますが、長期交流が可能なのは中央よりもむしろ地方です。地方であれば公民館も無料で使用でき地方の良さを実感してもらえますが、都会であればロジも大変ですし費用の観点からも長期間では実施できません。発想の転換が必要だと思います。

聞き手:対アフリカ支援の予算を増加するには、日本国民にアフリカを理解してもらうことが重要だと言われていますが、先生のように、地方で一般国民に対してアフリカを発信されている活動は日本国民のアフリカ理解に大きく貢献していると思います。

杉村氏:日本国民に理解してもらおうと思えば、地方で地道な努力をして下さい。私はたまたま福井県で、おそらく一生開発の専門家や研究者という形ではアフリカとは関係がない人々に対して、アフリカについて面白く話さなければいけないという状況にありましたが、その過程を通じてある意味では自分にとってのアフリカは鍛えられました。「アフリカがあなたの人生とどう関係があるのか」ということが問われます。地方でもホワイトバンドなどを通じて、国際協力に関心を持つ若者も増えてきましたが、彼らに対しても、地方でもアフリカと草の根レベルでの永続性のあるつながりを持つことが出来るのだと説くことが重要です。

今では約20万円でアフリカへの航空券が買える時代なので、中央主導のODAだけではなく、各地方行政レベルでの国際協力を如何に実施できるかを考えなければいけません。援助の専門家に対する多大な費用の一部を、「村と村の助け合い」という精神に基づいた持続的な援助を実施するために使用してはどうでしょうか。この観点から、中央主導のODAにおける変革が必要だと思っていますが、自分ができることとして地方での事例を作っているのです。福井県発の国際協力が、地域社会の中での国際協力を循環させるきっかけになれば良いと思います。

 

 バックナンバー
No.15 2008/1/25 佐々木重洋氏(名古屋大学大学院文学研究科准教授)
No.14 2007/12/7 池谷和信氏(国立民族学博物館 民族社会研究部教授)
No.13 2007/11/21 亀井伸孝氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 研究員)
No.12 2007/11/9 鈴木裕之氏(国士舘大学 法学部 教授)
No.11 2007/9/4 若杉なおみ氏(早稲田大学大学院政治学研究科 
科学技術ジャーナリスト養成プログラム客員教授、医学博士)
No.10 2007/9/3 砂野幸稔氏(熊本県立大学 文学部 教授)
No.9   2007/7/12 舩田クラーセンさやか氏(東京外国語大学 専任講師/(特活)TICAD市民社会
フォーラム 副代表)
No.8   2007/7/10 望月克哉氏(アジア経済研究所 新領域研究センター 主任研究員)
No.7   2007/6/23 杉村和彦氏(福井県立大学教授、学術教養センター長)
No.6  2007/5/30 遠藤貢氏 (東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻 教授、「人間の安全保障」プログラム運営委員長)
No.5  2007/5/8 高橋基樹氏(神戸大学教授)
No.4  2007/4/26 武内進一氏(アジア経済研究所 地域研究センター アフリカ研究グループグループ長)
No.3  2007/4/16 峯陽一氏(大阪大学准教授)
No.2  2005/12/15 佐藤誠氏(立命館大学国際関係学部教授)

No.1  2005/11/25

北川勝彦氏(関西大学経済学部教授)

 

このページのトップへ↑



[アフリカの森]